君がいる明日
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振り向いてマイプリンセス
振り向いてマイプリンセス8
楽しい時間はあっと言う間に終わりを迎えてしまった。
見慣れない街の風景がオレンジ色に染まって行く。
俺達は地面に長く伸びた二人分の影を見ながら、黙って帰途についていた。手は相変わらず繋いだ侭だ。
いつもは煩いアルフレッドとの、慣れない沈黙。
はしゃぎ疲れたと云うよりは、なんかこう……タイミングを見計らって居るような緊張感が漂っている気がした。
「……ねぇ、」
俺の思考を読んだかのようなタイミングで掛かる声。心臓が飛び出そうな程驚いたが、平常心と内心で唱え努めて冷静に返すべく正面を向いたまま返す。
「な……なな、なんだ?」
──全然冷静にならなかった。
アルフレッドは其れには突っ込む事なく、同じく正面を見ながら続ける。
「……人名はまだ教えて貰えないのかい?」
ぴたり、俺の足が止まった。
ちらりと窺う横顔はオレンジ色で、普段と違い感情の無い表情からは何も読み取れない。
「…………だ……だめだ。お前が嫌いとか、そんなんじゃないんだ……けど、悪ぃ」
まさかこの場で飛び出してくるとは思わなかった問いに、ぐっと喉を詰まらせる。
俺は既に、偽った名をこいつの前で語る気は無くなってしまって居る。
どうせ呼ばれるのなら、自分の人名…今は亡き母が付けてくれた名が良い。
けれど其れは無理な願いだ。
ならば、隠し通すしか道はない。
申し訳無さに俯く俺の頭上に落ちる「そうか」と呟くアルフレッドの声は抑揚が無かったけれど何処か寂しげで、俺の罪悪感が一層騒ぐ。
俺につられて足を止めていたアルフレッドが再び歩き出しても、俺は動けずにいた。三歩先行くアルフレッドが振り返る。その顔には矢張り寂しげな色が滲んでいるように見えて。
(――本当にこのまま隠し続けるのか……いつまで? いつ俺の性別がバレるとも限らないのに……こいつにこんな顔、させたくない――)
俺は暫し逡巡した後、俯きながら意を決して震える唇を開く。
……言おう、本当の事を。
その後の事は、言ってから考えればいい。
「……アルフレッド……おれ、本当は……」
繋ぐ手に不自然に汗が滲んで力が籠もる。
駄目だ、告げた後に嫌悪されて手を離されても良いように、力を抜かなくては。
口の中がやけに渇いたが、それでも言葉を搾り出そうとしたその時、突然アルフレッドが俺の手を強く掴んで引き寄せた。
完全な不意打ちに俺はバランスを崩す。
「わっぷ! アル、なに……っ」
アルフレッドの筋肉質な胸板に顔面から突っ込んだ俺は、鼻の頭に痺れるような痛みを覚えながらアルフレッドを見上げようとするが、その前に俺は再び腕を引かれてクルンと回されるように、今度はアルフレッドの背中側へと回された。
いとも容易く扱われる自分の貧弱さに男としてのプライドが傷ついたが、今はそれよりも一体なんなんだと問い質したい。
そんな俺の声は、言葉として発する前に飲み込む事となった。
訊くまでもなく、今、自分達がどういった状況に置かれているかが俺にも分かったからだ。
俺はアルフレッドに庇われる形で背から顔を覗かせて、真正面に立つ二人組を窺った。知らない顔だ。
「ケセセッ、良いモン着てんじゃねーか。何処のお貴族様だぁ?」
「抵抗せぇへんかったら、命までは取らんでー。金目のモン置いて早よウチに帰りや」
(賊か? 二人……少ないな。まだ他に仲間が隠れてンじゃねぇだろうな――)
後は帰るだけだと云うのに、嫌な相手と出くわした。
二人組の男は刀身の長い武器を所持していて、既に臨戦態勢だ。大人しく言う事を聞かなければ、間違い無く襲い掛かって来るだろう。
俺は警戒心を強めて辺りの気配を窺うが、丸腰では何も出来ない。
「危ないから、君は下がってて」
アルフレッドは眼前の賊二人を意に介さずに振り向くと、片目を瞑っておどけて見せる。俺を安心させようとしているのだろう。
直ぐに視線を戻すと腰から短刀を取り出して男達と対峙するが、そんな物では相手とのリーチが違いすぎる。
しかし俺に出来る事はと云えば、自分が人質になんかされたりしてアルフレッドの邪魔にならないようにする事ぐらいだ。
「わ……分かった」
二歩、三歩と後退りながら辺りを見回すが、応戦出来そうな得物は見当たらない。
俺は少し離れた位置からアルフレッドの背中を見守る。
(剣さえあれば……)
何も出来ない自分にもどかしさを覚えたが、しかし其れはほんの一瞬の事だった。
「あいつ、強ぇ……」
器用に短刀と鞘を用いて涼しい顔で二人の相手をするアルフレッドは、汗すらかいて無いのではと思わせる。
テクニックと云うよりは、単純にパワーとウエイトの差だろう。確かにアルフレッドの躯は服の上から見てもガタイが良かったと思い出す。
アルフレッドの一撃は重く、相手も簡単には距離を詰められないようだ。
どちらも相手の出方を窺っている。そんな保たれた均衡状態を崩すべく繰り出された最初の一手に、俺は思わず声を荒げた。
「っ……ずりぃ!」
「外野は黙っときー」
二人組のうちの一人が、アルフレッド目掛けて地面の砂を蹴り上げたのだ。
呑気な声に部外者呼ばわりされて、俺の怒りが増幅する。
更にはもう一人がアルフレッドの背後に回り込んだ。これでは余りにも不利すぎる。そう思っている間にも、回りこんだ賊が刀身を大きく振り翳した。
「アルフレッド! 後ろ!」
砂が入ったのであろう目を擦っていたアルフレッドが、俺の声と気配を頼りに手にした短刀を思い切り薙ぎ払う。運良く当たった刀身同士が耳障りな高い音を奏でた。
力量差だろう、そのまま銀髪頭の賊の手から武器が離れて宙を舞う。
俺はそれを見て直ぐさま走り出した。
元々血の気の多い性格をしている自覚はある。これ以上黙って見ている事など出来なかった。
「どけっ!」
手離してしまった武器を取り戻すべく同じく落下地点を目指して駆けて来た賊に渾身の蹴りをくれてやると、俺は空中でクルクルと円を描きながら地に向かう剣に手を伸ばして柄を掴み取り、落下前に自分の物とする。
無様に地面に転がる賊もそうだが、離れた場所で対峙するアルフレッドともう一人の賊も驚きに目を見開いていた。
それもそうだろう。
普通は空中を落ちてくる鋭利な刃物を、素手で掴み取ろうとはしない。
だが俺は、普通の王室育ちでも、ましてや普通の女では断じてない。
不意に辺りが騒がしくなる。
丁度良い事に、相手側の加勢が到着したようだ。流石どいつもこいつも凶悪な面構えをしている。
否、丁度良いなんて不謹慎か。時間を掛け過ぎてこれ以上の人数を呼ばれない内に、さっさと蹴りを付けて仕舞おう。
ズラは有るし化粧もしてる、大丈夫だ。俺は視界を覆う邪魔なベールを投げ捨てる。
「大英帝国様ナメんなよっ!」
ああ違った。今はアメリカ国だったな。
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