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振り向いてマイプリンセス

振り向いてマイプリンセス5


『必ずやらなければいけない事』なんてものは何もない俺の生活だが、日課にしている事はある。
 中でも取り分け気を使うのが、「負けなんか認めるか!」と啖呵を切った日から始まったフランシスとの秘密特訓。まだ人前で成果を発揮する機会は無いものの、不意打ちに仕掛けるフランシスへの切り返しに、日々確かな手応えを感じ始めていた。
 そしてアルフレッドのバルコニーを使ったガーデニング。曲がりなりにも王子の部屋を使っているのだ、俺の気合も相当だった。

 そして……目下最大の難関でもある、人気のない深夜に行う入浴。
 誰も居ない間に済ませないといけない、そんな俺の入浴時間は、夜も更けてから始まる。
 怪しまれるかと思ったが、アルフレッドに身体を見られたくないのだと説いたら、あっさりと承諾されてこの時間は俺の貸し切りになった。
 今夜も一人で広い浴場を満喫した俺は、いつもよりかは重ねる布地の少ない寝巻きも兼ねた踝まである白い衣装に、腰まで届くサラサラヘアーのブロンドウィッグ、そして顔の殆どと、勿体無い事に美しい人工金糸を覆い隠してしまう程の長くて白いベールに身を包んで長い廊下を歩いていた。
 今までこの時間に誰かと遭遇した経験はないが、用心するに越した事はない。
 ウィッグだけは女装の意図だけではなく俺の意向でも有るんだが……それは、別に憧れのサラサラヘアーを常に体感していたいからじゃなくて、長い髪が突然短くなったら可笑しいからなんだからな!だから、なるべく外さないようにするんだ!
 俺は心の中で誰へとでもなく宛てながら、ベールを目深まで引き下げて足音を殺して歩く。

 不意に、視界が動く物陰を捉えた。
 あれは――。

(……アルフレッド……?)

 通路の奥、やけに縮こまって歩くアルフレッドの後ろ姿を見付けて俺は近付いた。
 心なしか足下がフラフラと覚束無いように見える。
 深夜という時間帯もあって、俺は小声で呼び掛けながら軽く肩を叩いた。

「――……アメリカ?」

「うわぁぁああ!!」
「のわぁあ!?」

 するとアルフレッドが突如悲鳴のような叫び声を上げて飛び退る。
 俺もそれに驚いて肩に置いた手を跳ねさせると、距離が出来てしまったアルフレッドの、いっそ青白いと形容してしまえるほど何かに怯えた顔を見遣った。

「わ……悪い、驚かせたか?」

 俺は目を白黒させ、跳ねた手を宙に浮かせながら取り敢えず謝罪を口にする。

「……っ、……あ、き……君か。もう、急に驚かせないでくれよ」

 アルフレッドは俺に気付くと不平を漏らしながらも安堵を浮かべて直ぐに距離を寄せて来る。距離が近付くにつれ自然と僅かばかり見上げる体勢になりながら、俺は気恥ずかしげに頬を掻くアルフレッドを待った。
 アルフレッドは俺よりも大柄で、ちゃんと二本の脚で歩行していると云うのに、何故だかその様子が大型犬に懐かれているように見えて。俺は微笑ましさにくすりと笑みを漏らす。
 我が事ながらお世辞にも良いと言えない環境で育って来た俺には、こんな穏やかな感情を抱く事も、今みたいに笑えるのも滅多にない事で。俺は自然と弾む声音を自覚しつつ、抑える事はしなかった。

「はは、どうしたんだ? こんな時間に。まさか夜が怖くて眠れない、なんて言うんじゃねーだろうな?」

 俺は冗談交じりと云うかほぼ冗談のつもりで言ったのだが、アルフレッドはギクリと肩を強張らせて俺を見る。
 予想外の反応に、俺までつられて一瞬動きが止まった。え?マジなのか?こいつが。な、何か言わなくては──。

「ハッ、ハハ……なんだアメリカお前、マジかよ。俺が部屋まで連れて行ってやろうか? って、別にこれはお前の為じゃなくてだな! お、お前が怖がりのクセに夜中出歩いてっから仕方無く俺が……」

 真白な頭で焦って紡いだ言葉は、自分でも言ってる途中からマズイと思うようなもので。
 俺はいつもこうだ。
 意識していないと、本心を見せたくないプライドから変に自分を繕おうとし過ぎて、相手を貶すつもりも無いのにそんな言い方になってしまう。
 相手がフランシスであれば何の気負いもなく好き勝手に言い放題出来て、その度に「俺の前以外では気を付けろよ?」なんて言われて来たのだが。そもそもフランシス以外の人間と会話する機会が乏しい俺は、矯正する程に人とのコミュニケーション経験を積んでいなかった。

(っほら見ろ! やっぱりテメェが甘やかすから俺が……!)

 完璧に八つ当たりと思いつつ、俺はもしアルフレッドの反応を見て不快にさせてしまっていたら、寝ているフランシスを叩き起こしてでも一発殴る事を決める。

(いや、叩き起こしてから一発殴るから合計二発か……)

 既に内心ではアルフレッドの不快に歪められる相貌が浮かび、俺の脚は今にも振り返って駆け出してしまいそうだった。
 しかし、俺が何時の間にかぎゅ、と硬く瞑っていた瞼はアルフレッドの言葉でそろりと開かれる事になる。

「ふふ……じゃあ、お願いするよ」
「あ……ああ! 任せろ」

 思わず拳を握り締めて力説した。

(やっぱり……良い奴だな、こいつ)

 もし俺が女だったら、惚れていたかも知れない。
 俺は早速アルフレッドの部屋へと向けて歩き出そうとするが、不意に背後から制止が掛かる。振り返ると、アルフレッドが何処か照れ臭そうな笑みを浮かべていた。

「あ……、ちょっと待って。……やり直させてくれないか?」
「え?」

 彷徨わせていた視線を俺に合わせると、アルフレッドは一拍置いてから表情を引き締める。真剣な眼差しに射抜かれて驚いたのか、俺の心臓が一つ跳ねた。

「――こんばんは、my princess.今宵は綺麗な月夜だね、……良ければ、俺の部屋までエスコートさせてくれないかい?」

 アルフレッドが本の台詞でも詠うように馬鹿な事を抜かすから、俺の顔が熱くなった。
 そんな俺の反応を知ってか知らずか、アルフレッドが悪戯に片目を伏せて俺にアイコンタクトを寄越す。
 フランシスの方が余程ふざけた事ばかり言ってるじゃねえか、負けるな俺。
 差し出される掌を叩き落したい衝動を堪え、俺は深呼吸した。

「――……Yes, prince.」

 アルフレッドみたいにペラペラ言えない台詞の語彙の少なさは、俺の頭だから仕方ないっつか恥ずかしい台詞なんて思い付いたって口に出来る筈がない。けど、本番は此処からだ。
 俺はヒラヒラと長くてウザったいスカートの端を指先で摘むと、軽く持ち上げて片脚を僅かに内側へずらす。そのまま記憶を探りながら角度を気にして緩く頭を下げる。
 気恥ずかしさもあり、アルフレッドが最後まで繕わなかったので俺も最後はフンと鼻息も荒く「どうだ」というように顔を上げて空色の双眸を見遣る。

 フランシスとの秘密特訓は、こうした女性の礼儀作法やマナーだ。

 暫く固まっていたアルフレッドに、失敗したかという思いが胸中を過ぎるが、気を取り直したアルフレッドは俺の不安なんか一瞬で払拭するくらいの笑みを満面に浮かべて、人の手を勝手に掴むと軽い足取りで歩き出す。
 其処にはさっきまで青白い顔で泣き出しそうにしていた面差しはなく、おかしくて何だか俺まで口許が綻んでしまった。


 道すがら、「prince」と云ったのを「my prince」に言い改めさせられたのは一刻も早く忘却の彼方に沈めるとして。

 俺はさっきから、見慣れてきている筈なのに昼と夜では別の顔を見せる豪奢な扉を開けて中を窺う背中を見詰めていた。両手で扉を押さえているので、俺の手は既に解放されている。
 固まった侭いつまでも中へ入ろうとしないから、俺は焦れてその背を押してやる。
 そうすればアルフレッドは、たたらを踏みながら漸く室内へ足を踏み入れた。俺の仕事は此処までだ。
 しかし扉からアルフレッドの手が離れて閉まる間際、振り返るあいつの顔がまるで見放されたみたいな、今生の別れを突き付けられたように泣き出しそうなほど歪んでいるから。今度は俺が「おやすみ」と言い掛けた口のまま固まってしまう。
 けれど俺の同情心か何かが働き掛ける前に、アルフレッドが強攻策に出た。

「のわっ!」

 一度は視界を阻まれた扉が物凄い勢いで開け放たれると、そのまま腕が伸びて来て俺の腕を捕らえ、室内に引きずり込まれる。

「ぶっ!」

 そうして勢い余ってアルフレッドの胸に顔面から飛び込むと、俺より縦にも横にもでかい……けれどブルブルと震えて止まない身体に抱き締められた。
 そんなアルフレッドに流され掛け、俺の肩口に顔を埋める奴の頭を撫でてやろうとか脳裏に過ぎった俺だが、それよりも今が非常にマズい状況に気付く。女性のように柔らかさなど皆無な骨張った身体を抱き締めて離さないアルフレッドの胸を、思い切り突き飛ばした。

「っば、ばかぁあ!!」
「NOOOOO!!」

 咄嗟の事で加減を忘れてしまい、後ろに重心を傾かせたアルフレッドがとん、とんと数歩後ろへ下がったかと思うと、そのままどさりと倒れ込んだ音が聞こえる。
 幸いな事に丁度良い位置にベッドがあったようだ。
 王子を突き飛ばしてしまった俺は、安否を気遣う為に慌てて駆け寄る。

「わ、悪い! アメリカ……大丈夫か?」

 俺が手を伸ばすと、アルフレッドがその手を掴む。引っ張り起こそうとしてもビクともしないから両手で掴んで再度挑むも、アルフレッドに起き上がる気が無いらしい。
 キングサイズの天蓋付きベッドに背を預けたまま、空色の双眸が覗き込む俺を見上げた。

「大丈夫じゃないよ……」
「どこか痛いのか!?」

 焦った俺がアルフレッドの身体を確かめようとするより先に、ぽつりと頼り無い声が呟かれる。

「……君が一緒に寝てくれたら治るんだけど」
「えっ、あ……や、それは……」

 アルフレッドの目は真剣だった。俺は動揺のあまり掴んだ手を離そうとするが、今度は逆に俺の手が捕らえられてしまって動けない。

「何もしないって誓うよ。だから……もう君にしか頼めないんだ。頼むよ……」

 こんな状況、まさか早くも身体を求められるのかと焦ったが、どうやら違うようだ。
 俺は完全に警戒心を解く事はしないで、まさかとは思うもう一つの可能性を問う。

「――そんなに夜が怖いのか? お前、いつもはどうしてんだよ」

 聞くとアルフレッドは困ったように苦笑した。

「笑わないで聴いてくれるかい?」
「内容にもよるが、なるべく笑わねぇようにする」
「――夜じゃなくて、その……ゆ、」

「ゆ……?」

 一見怖いもの無しにさえ見えるこの王子を此処まで怯えさせる物って一体なんだ?俺は固唾を呑む。

「………、……幽霊」

 数秒後。広い室内に、俺の笑い声とアルフレッドがぽこぽこ怒る声が木霊した。

 



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