君がいる明日
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振り向いてマイプリンセス
振り向いてマイプリンセス4
アルフレッドの部屋に着くと、既に土や苗、プランターなんかがバルコニーへ運び込まれていた。
もし俺が来なかったらどうしてたんだ?
これはあれだな。きっと準備の良さと言うよりは、自分の提案が通らない筈が無いという自信の現れだ。少なくとも俺にはそう見えた。
流石、王子として育てられた王子。
そんな俺の呆れは、割合でいえば1割程度。残り?決まってんだろ。
目の前に用意されたパラダイスに釘付けだ。
こうやって柔らかな土を自分の手で弄っていると、気持ちが落ち着く。
俺は怒涛のように過ぎ去った今日半日の出来事などすっかり忘れ、日当たりの良いバルコニーの隅にしゃがみ込んで手に取った苗を順に植え付けていた。
用意されていた物を吟味しつつ、可能ならば祖国からあれとこれを取り寄せて……と此処まで考えた所で、不意に自分はこのままで良いのかと不安になる。
アルフレッドの人が良いから今までは気付かない振りが出来たが、自分はとてもでは無いが"姫"を演じきれていない。
自分に"姫"の白羽の矢を立てられた日から祖国を発つ間際まで、礼儀作法や立ち振る舞い、言葉遣い至るまで今更過ぎる教育を受けた。が、いかんせん付け焼刃にも程がある其れは、生かされる事などある筈も無く。
(……それでも、もっと真面目に聞いてりゃ良かったな……)
悔やんだ所で仕方無いのだが、やると決めたからにはもう少し姫らしく振る舞えないものかと歯痒く思う。「いや何で俺が」と直ぐに心の中で打ち消した声は、些か心許ない。
フランシスが個人的に教えてくれようとした事もあったが、どうせ使う機会など訪れない筈であった其れらを身に付ける気にはなれず。
食い下がる程に逆に意固地になって粗雑に振舞う俺に、逆効果と察してからはフランシスも煩く言事はなくなった。
そんな俺も、フランシス曰くもっと幼い頃は可愛げがあった……らしいが、子供なんて誰だって可愛いもんだろ。
そんな夢ばかり見てないで、日々刻々と変化する"今"という現実を見て欲しいものだ。
(……今、か……)
性を偽って大国に嫁ぎ、今は……まだ正式にでは無いが夫の部屋のバルコニーで好き勝手に土を弄る自分を思う。
物心付いた時から、自分がして来た事はと云えば、今のようなガーデニングに刺繍、料理、妖精と話をしたり偶にフランシスから剣術を教わったり。ああ、ひ弱な体格を疎ましく思って体力作りに精を出した時期もあった。
王子なのに王子としての役割も存在意義も与えられず、しかし王子だから街へ出て働く事も叶わず。
飼い殺し……否、自分は恵まれていた筈だ。「今まで只のうのうと生きて来たのだから役に立て」実際はそれなりのオブラートに包まれた言い方だったが、婚儀の話が出た時に兄に言われた台詞と自分の思考が重なる。
そうだ。これだって漸く俺に与えられた立派な役割……だろ?
自身の全てを偽るように全身を覆う白い衣装へ、視線を落とす。
不意に、すっかり手の止まっていた俺を一陣の風が撫でた。
散らばる髪と頬に擽ったさを覚える。
草の匂いが鼻腔を掠めて、慰められてるような気になった。
優しい自然に触れ、表情を失くしていた顔がふ、と綻ぶ。
すると、タイミング良く室内から顔を覗かせたアルフレッドの声が俺を呼んだ。
振り返れば、全身で喜びを伝えるような無邪気な笑顔。
空色の双眸に真っ直ぐ捉えられる。
「そろそろ休憩にしないかい?」
俺は一つ頷いて了承の意を示し、作業を一時中断して後片付けに入った。
部屋の中へ戻ると、既にティータイムの準備が整っていた。
来た時はバルコニーに置かれた品々に心奪われていて気が付かなかったが、アルフレッドの部屋は当たり前だがとても豪華で。
同じ王子とはいえ、騎士の一家であるフランシスの家で過ごしていた自分は気後れしてしまう。
(まあ、あいつの家だって色々高そうなモンばっか置いてたけどよ)
俺は招かれる侭にアルフレッドの傍まで寄り、アルフレッドが引いてくれた椅子へとぎこちなく腰を降ろす。
机の上には、アメリカ国では主流と聞いた黒い液体の"こーひー"ではなく、香りだけで銘柄が知れるほど祖国ではオーソドックスな紅茶と、小振りながらも価値の高さが窺える皿の上に見た事の無い食べ物が乗っていた。
しかしナイフとフォークが見当たらない。皿の上の、パンとパンの間に野菜や肉を挟んである食べ物をしげしげと見詰め、向かい側の椅子へ腰を降ろしたアルフレッドをちらりと盗み見る。
「ん? ああ、これかい? これはハンバーガーといってね。こうやって食べるんだ」 言いながらアルフレッドが皿の上の"はんばーがー"を手で掴んで口に運ぶ。そのまま大きな口を開けて美味そうに齧り付いた。
俺は一瞬呆気に取られたが、直ぐに気を取り直す。
細かいマナーが必要な食事よりも余程良い。のだが――。
掌を上にして自分の指先を見詰める。
さっきまでガーデニングに精を出していたのだ、作業を終える時に一応は土を落として拭いはしたけれど、素手で食べ物を掴むには抵抗がある。フランシスが居たら悲鳴を上げそうだ。
(一度水場へ行って洗って来るか……)
そう思った矢先、アルフレッドが「ああ!」と声を上げ、手にしていたハンバーガーを皿へ下ろしたかと思うと、俺の分である筈のハンバーガーを手に取った。
何をするのかと思えば、更にそれを俺の口元に突き付けて来る。
俺は視線の先をハンバーガーに定めたまま固まった。
暫しその意図を理解する事を拒んでいた俺の脳が、アルフレッドの気の抜ける一声で諦観する。
「はい、あーん」
何故だかアルフレッドの笑みには、俺に有無を云わせない力があった。
(これも仕事、仕事だ。俺の使命……)
恐る恐る開いた口で小さく齧った"はんばーがー"は、思いの外美味かった。
アルフレッドもそれを感じ取ったのか、「美味しいかい?」と聴いてくる声は弾んでいる。いや、美味いに決まっていると確信してるのか?
俺はこくこくと首を上下に振って応えると、もう一口齧り付いた。
それは良かったとアルフレッドが笑うから、俺も笑みを返す。……まあ、ベールで覆われているから表情なんか殆ど見えないだろうけど。
「これは街にこっそり遊びに行った時に食べたのを、シェフに頼んで作らせたんだ」
「街……、……っ…」
俺は発しかけた言葉を慌てて飲み込む。同じ味を際限するまでに費やした時間や、完成した時の感動を嬉々として話すアルフレッドの、キラキラと光る吸い込まれそうな空色の瞳につられてうっかり呟いてしまった。慌てて口を噤んで俯いた俺は身動ぎの勢い余ってガタンと椅子を鳴らしてしまう。
しまった、不自然すぎた。
そう気付いた時にはアルフレッドがきょとんとした顔で此方を見ていて、俺は膝の上で拳を握る。
(俺の馬鹿……)
もうとっくに遅い事だが、アルフレッドの前ではあまり喋りたくないと思ったのだ。
声も、口調も、全然こいつに釣り合わない。
どうしたものかと思考を巡らすも、視線の居た堪れなさに負けて口を開く。
「……っ…、…あ……や、その……」
アルフレッドの顔を見れぬ侭ボソボソと口籠もれば、首を傾げる気配が伝わって来て。
「……? どうしたんだい?」
「俺……わたし……」
俺は何も話せずただ身を縮こませる。
「? 無理しなくて良いんだぞ? さっきは俺って言ってたじゃないか」
一人称ぐらいは気を付けていたつもりだったが、確かに兵士と一悶着あった時に「俺は普通に作っただけだ」と叫んだ覚えがある。
そろそろと窺うように視線を上げれば、おどけたように片目を伏せるアルフレッドと目が合って。
口元にハンバーガーが付いているのが、ちょっと笑えた。
堪えていたのに。笑った所為で不覚に鼻から息が抜けてしまい、俺は慌ててズズ、と鼻水を啜る。
「――泣いているのかい……?」
「っ……な、なんでもない! ちょっと目に砂が入っただけだっ!」
優しく俺を心配する声音に、眼の奥まで熱くなる。
どうしてこいつは……、こんなに温かいんだろう。
俺は無理矢理に笑みを浮かべて、完全に顔を上げた。
「……美味いな、それ。なあ……もっと食べたい、食べさせてくれるか?」
* * *
「おい、ちゃんとやれよ」
「ちゃんとやってるでしょーが。全く、坊ちゃんは人使いが荒いんだから」
朝起きて、フランシスにサラサラヘアーのブロンドウィッグを付けて貰って化粧もさせて、面倒臭い衣装着替えも手伝わせる。
そうして始まる俺の1日は、その殆どをアルフレッドの部屋のバルコニーでガーデニングをして過ごし、暗くなる前に自分の部屋へ戻る事の繰り返しだった。
最初はフランシスにも土台作りを手伝わせるつもりだったが、アルフレッドは自室にフランシスを入れたくないようで渋い顔をしたから俺一人でやっている。
しかし、ならば部屋への送り迎えだけでもと言ったフランシスを、アルフレッドが剣呑とした表情で却下したのは意外だった。アルフレッドには俺の中で常に笑顔なイメージが定着しているのだが、確かにたかが部屋間の行き来を送り迎えなんて、自分の家を危険視されているようで王子としては不愉快かも知れない。
俺は自分が導き出した見解をフランシスへ言ってみたら、何故か「坊ちゃん鈍っ!」と呆れられた。
だが「他の理由なんて無いだろ」と返すと黙り込んだので、俺の中ではその理由という事で収まった。
「――こんなに気合い入れちゃってさ、またあの王子様のとこ?」
「ああ。昨日は新しい薔薇を植えたばかりだし、まだ良く見といてやらねぇと。それに妖せ……や、何でもねぇ。兎に角気合は充分だ」
俺がフランシスの言葉を肯定して頷いたと言うのに、ニヨニヨしていたフランシスは途端に渋い顔をする。
なんだよ……。
最近のフランシスの考えはいまいち読めない。まあどうでも良いけど。
アルフレッドとは、成人の儀の準備が忙しいようであまり会っていないが、それでも何だかんだと理由を付けて1日一回は俺の元へと訪れていた。
マメな男だ。こんな所で王子なんかしてなければ……いや、王子だから余計にか?モテるんだろうな、と思う。
それに比べて俺は――。
「……なあ……。俺、このまま何もしなくて良いと思うか?」
「いんじゃないのー? 他でもないあの王子様が言ってんだろ? 坊ちゃんが気にす事ないでしょ」
俺は政治に詳しくないが、第一王子の成人の儀、それに合わせての結婚……。俺にも何かやらなければならない事があっても良さそうなのだが、不思議と何もない。
ついでに、あの毒殺騒動以降、兵士達は俺の姿を見かけると畏まって逃げて行く。
アルフレッドが何か働き掛けてくれたのだろうが、こそこそと去って行かれるのも余り良い気分ではない。
あいつは何を訊いても誤魔化すが、恐らく俺がやらなければいけない筈の事も、やってくれてるんじゃないかと思う。何となく、だが。
俺に出来る事など何も無くて、ただ黙って大人しくしている事だけを望まれる――。そうして必要な時にだけ引っ張り出されるのだ。
無意識に下唇を噛む。
「──俺、結局あっちにいた頃と何も変わらないな……」
「何言ってんの。変わったろ? 前より良く笑うようになった」
「それって駄目じゃないか? 何もしないで、俺……ただ、」
「いーや、俺にとっては重要も重要。お前の楽しそうな顔が見れるだけで、お兄さんは充分、ってね」
俺が真剣に悩んでいると言うのにこいつは。
疲れた溜息を吐き出す俺の心は、先程よりも軽くなっていた。
「……はあ……。バーカ、何ふざけた事抜かしてるんだっつの。……前から薄々思ってたけどよ、フランシスお前、俺に甘過ぎねぇ?」
「俺は坊ちゃんの味方ですから」
もう返す言葉も無く鼻で笑ってやると、フランシスが「アーサー」と俺を呼んでわしわしと頭を撫でてくる。
暗に元気を出せと言いたいのだろう。
「ったく……お前がそうやって甘やかすから、俺がこんな……」
ムカつく事に、フランシスの阿呆にすっかり絆されて鬱々とした靄が晴れてしまった俺は、話題の転換も出来ずに口篭る。
「こんな? こんな馬鹿になったって? やだねー坊ちゃん、自分で認めたら一生馬鹿のままだぜ?」
「なっ……! 誰が馬鹿だ!! 大体! お前の所為だっつってんだろうが!!」
「つまり坊ちゃんは、俺の所為で馬鹿になったまま負けを認めてお馬鹿に生き――」
「テメェ……言わせて於けば! やってやろうじゃねぇか……誰が負けなんか認めるか!」
「はは、そうこないとね」
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