君がいる明日 - main
振り向いてマイプリンセス

振り向いてマイプリンセス3


「――で? 坊ちゃんはその王子様と仲良くお話しして来た訳ね。あーんな、窓から逃げて行ったクセにぃー?」

 揶揄口調で紡ぐフランシスの顔には、大きく『あ・き・れ・た』と書かれていた。
 否、実際には何も書かれて無いが、俺には分かる。

「ッ……う、煩ぇっ! あいつには妖精を見る素質があんだよ!」
「あのねぇ坊ちゃん……」

 フランシスは「ハァ…」と大袈裟に溜息を吐いてガックリと肩を落とし、指先で眉間を押さえる仕草を取る。
 壁に預けて居た背を離して此方へ歩み寄って来ては、俺の額を人差し指の先で小突いた。
 な……なんだよ。
 俺は額を掌で押さえる。痛くはないが条件反射だ。

「んなもん、お前に気に入られる為に吐いた嘘に決まってんでしょーが」
「そ、そうなのか……?」

 当然と言うように肩を竦めるフランシスは「これだから箱入りは」なんて俺を小馬鹿にしてくる。
 くそっ、悪かったな。好きで箱入りに育った訳じゃねぇよ。……箱入りというより、寧ろあれは――。
 俺の思考がグルグルと渦巻く後ろ向きの坩堝に陥り掛けた所で、フランシスの慌てたような声が其れを遮った。

「やっ、まあ気に入られてるなら其れも好都合でしょ。上手くやって、早く帰ろうな。お兄さんは宮廷の料理が恋しくて堪らないよ、アメリカ国の料理はどうも大味でお兄さんの口には――」

 フランシスはふと言葉の途中で口を噤むと、考え込む素振りをする。
 俺は首を傾げてフランシスを見た。
 確かに髭のコックが作る我が国の宮廷料理は絶品だ。……俺にはいまいち味の違いと云うものが良く分からないが。

「……料理……料理。あ、そうだ。坊ちゃん、あの王子様に手料理喰わせてやったらどうよ。そうすりゃ化けの皮も剥がれて、上手くすればイギリス国に帰れて、正に一石二鳥」
「……お前、なんかそれ、俺に失礼じゃねーか?」

 今、もしかしなくても物凄く侮辱された気がするんだが。
 得意気にピンと立てている人差し指をへし折りたくなる。
 ――けど、料理はいいな。
 妖精の話に始終笑顔で付き合ってくれたアルフレッドを思い出す。

「長話に付き合わせちまったし、よし」
「お? 何処行くんだ?」
「キッチンだよ、キッチン」

 俺はおざなりに言葉を返すと、白いベールを深く被り直して部屋を出た。
 自分の料理に対する他人からの評価は知ってるが、それはワザと……でもないけど、兎に角ちゃんと気合いを入れて作れば大丈夫だろう。
 大体、自分は問題無く食べられるのだ。
 舌が肥えてる奴の評価なんか当てになるもんか。




  * * *




「――で、何でこんな事になる訳!?」

 俺に宛がわれた赤とピンクの部屋に、フランシスの叫び声が響き渡る。
 直ぐに「煩いぞ、」と喉元に突き付けられていた刃が微かだが皮膚に押し当てられたのが見て取れた。
 これがもし、悪漢相手であるならフランシスと二人……なんて言わず俺一人でだってボコボコにしてやるのに。
 しかしこれは誤解なのだ。誤解は解かなくてはならない。
 俺は「あいつは美味しいって食べてた!」とキッとフランシスを睨み付けてから、両側から二人掛かりで捕らえられている腕を捩りながら上背のある兵士を見上げた。

「っ……してない! 毒なんて入れてね……ない! ……デス! 信じろ……って下さい、まし! ませ!? ああもう! ばかぁ!!」

 姫を繕おうとする自分と素の自分とが交錯して俺の口調はもうメチャクチャだった。
 仕方無いだろ?俺は今、王子毒殺の嫌疑を掛けられて取り押さえられ中、連行される寸前なのだ。
 頼みのフランシスも武器を突き付けられてホールドアップ。
 嗚呼……終わったか、俺の人生。さようなら俺の生まれ育った祖国。

「そこまでするかぁ!?」
「だから! 俺は普通に作っただけだ!」

 フランシスが「幾ら何でもやりすぎ!」と書かれた顔で俺を見る。
 何で今此処で一番俺を信じてフォローしなくちゃいけねぇこいつが、俺を100%疑ってやがるんだ。
 だから俺は不味いもん喰わせようとなんかハナからしてねぇ!

 毒殺だなんて、此処まで言われたのは生まれてこのかた初めてで。俺は泣きそうになる。
 今日こそ上手くいったと思ったのに。
 口では上手く伝えられない感謝を込めて作った力作。頑張ったのに認められない所か逆の意味にさえ取られ、悔しさから目に涙が滲む。

(この兵士は、あいつが仕向けたのか……?)

 もう何もかもがどうでも良くなって抵抗するのを止めると、扉が開け放たれた侭の室内に新たな闖入者が現れたのを靴音で察して。
 第三者と兵士が息を呑む気配が伝わって来て顔を上げる。アルフレッドだ。
 アルフレッドは室内の光景を目の当たりにして固まっていたが、直ぐに正気を取り戻した。

「……っ、一体何をしているんだ!」

 一瞬の内に怒りの形相を滲ませたアルフレッドがずんずんと大股でやって来て、俺の腕を掴む兵士の手を捻り上げた。
 兵士はみな一様にたじろいでいる。何がどうなってるんだ?
 アルフレッドが一人を睨んで促すと、そいつは額に手を翳して敬礼の姿勢を取りながら報告する。

「ハッ! ……この者の作った食事を召されて倒れたと聞き及びましたので……」
「俺はこの通り平気だ。……君達の処分は追って通達する」
「っしかし……!」
「反論は認めない。全員、即刻出て行け」

 拘束が解かれ、呆気に取られてアルフレッドを見上げていた俺の身体から力が抜け、ペタリと床に落ちた。
 三人しか居なくなった部屋の中、アルフレッドは先ずフランシスに喰って掛かった。

「君は何故黙って見ていたんだ!」

 俺の傍を離れてフランシスの元へ行こうとするアルフレッドは、今にも殴り掛からんばかりの勢いだ。
 俺は慌ててアルフレッドの下衣の裾を捕らえて首を振る。
 アルフレッド、と呼び掛けそうになり、一瞬の逡巡いの末、声に出す呼び名は国名を選ぶ。

「ア、アメリカ、」

 俺は自分のを教えるつもりがない……もとい、教えられないのだから。俺だけ呼ぶのはフェアじゃない。

「待っ……――ってフランシス!? お前、血が出てんじゃねーか!」

 アルフレッドと対峙するフランシスに目を向ければ、さっき突き付けられた刃だろうか。首筋に薄らと滲んだ赤い線に慌てる。

「え? あー、ほんとだ。どーりで痒いと思ったら……」
「掻くんじゃねぇぇえ!」

「っ……兎に角、彼等には俺がキツく言って於くよ。もう安心してくれ。……それじゃ」

 俺とフランシスがぎゃいぎゃいと騒ぎ始めると、アルフレッドは居心地悪そうにしながら部屋を出て行ってしまった。

「何だあいつ……あ、ヤベ。礼云うの忘れちまった。――ちょっと行って来る」
「えっ? あっ、おい……!」

 フランシスの声を背中で聞きながら通路へ出ると、まだアルフレッドの後ろ姿が確認出来た。
 広い城の中で見失わないよう、俺は直ぐに駆け出す。

「……っ、…アメリカ……!」

 後ろから駆け寄る足音に気が付いている筈なのに、アルフレッドは足を止めてくれない。名前を呼んでも止まらないから、俺は更に速度を上げて横へ並んだ。
 アルフレッドは走っている訳ではないが早足で、コンパスの差から俺は並んだ所で小走りだ。……悔しくなんか、ないんだからな。

「さっきは……その、助かった」
「――礼を云われるような事をした覚えはないよ」

 兎に角さっきの礼が先だと、正面を見据える空色の眸を見上げながら告げれば、アメリカから返る言葉は謙遜というよりは若干棘のある口調だった。どうやら不機嫌なようだ。
 しかし考えてみれば、確かに謝る理由は無いかも知れない。
 俺はただアルフレッドにスコーンを焼いてやっただけで、こいつだって喜んで受け取って美味いと全部平らげたのだ。……本心だったかどうかは分からないが。
 具合はいつ悪くなったんだろうか。今は平気なんだろうか。
 徐々に思考が暗い方へと落ち込み、俺は足を止めた。
 突然足を止めた俺を気にしてくれたのか、アルフレッドも少し先で足を止めてちらりと此方を窺っている。

「……そんなに不味かったのか?」

 俯き加減に視線だけで見上げれば、アルフレッドは暫しの見詰め合いの末に諦観したように肩を竦めて身体の向きを変え、完全に此方へ振り返った。
 その表情からは先程よりかは剣呑さが消えている。

「うー……ん、斬新な味だったかな」
「!? さっきは美味いって言ったじゃねーか!」
「ぇえ!? 君が訊いたのに其処で怒るのかい!?」
「っ……うぐ」
「HAHA……けど、食べられない事もないんだぞ。さっきは少し油断しただけさ」

 油断したら食べられないスコーンって何だよ、普段の俺ならすかさず突っ込んでいた筈なのだが、ずっと笑顔を絶やさなかったアルフレッドの理由の分からない不機嫌さに焦りを覚えていた俺は、安堵でつられたように笑みを返す。
 アルフレッドは決まりが悪そうに頬を掻くと、ふと何か思い出したように言葉を続ける。

「……そうだ、用があったのを忘れていたよ。――もし良ければ、これから俺の部屋に来ないかい?」
「……え……?」

 俺はぴく、と肩を震わせて一歩足を引いた。

「え? ……っ! 変な意味じゃなくてだぞっ!? 外のガーデンを気に入ってたみたいだから。けどあそこは……人の出入りがあるからね。広さは劣るけど、俺の部屋のバルコニーで良ければ、君の好きなようにガーデニングしてみないかい?」

 良い提案だろ?と俺が喜ぶと信じて疑わないような眩しい笑みが向けられる。
 俺はもう一度「えっ…?」と意味のない音を発した。
 先のが驚き、次のも驚きだが半分は嬉しさだ。けど――。

(部屋には行くなって、フランシスが言ってたな……)

 惹かれるが、男とバレた日にはこの生活も終わってしまう。

(――って。俺はこの、女装生活を惜しく思ってんのか?)

 まさか、違う。ただ、まだあの王宮に帰りたくないだけだ。俺は自分の希望よりもバレない事を優先する事に決める。土いじりは諦めよう。
 フランシスから教わっていた、『部屋に誘われた時に断る台詞』の淑女についての何たるかをアルフレッドに言い聞かせる。
 しかし、本心としては願ってもみない申し出だった。自分の意志で断る事に些かの抵抗を覚えて、つい最後に「それに、フランシスに駄目って言われた」なんて子供みたいな事を付け加えてしまった。

(呆れられたかな……)

 そっと視線を移してみれば、アルフレッドは呆れると言うよりまた不機嫌になっているようだった。俺は訳が分からず再び焦る。
 くそっ、フランシスの野郎!この理由ならどんな男相手でもコロリと大丈夫っつってたのに、失敗じゃねえか!
 俺の中のフランシスボコボコカウンターが勢い良く回った。
 アルフレッドは眉間に深く縦皺を刻んだ双眸で俺を見据えている。
 心なしか唇を尖らせた拗ねた表情のようにも見えるが、そもそも不機嫌になる理由が分からない。

「――けど君は、さっきからあのフランシスとかいう従者と、ずっと一緒に居るじゃないか……俺よりも……彼の方がいいのかい?」
「フランシスぅ? あいつは兄みたいなもんだぜ」
「けど、実の兄弟じゃないんだろ?」

「っ……!」

 アルフレッドの言葉に息を呑む。
 咄嗟に何も言い返せない。だって事実だ。何なんだこいつは……何も知らないクセに。

「――……なんだよ、そんなに血の繋がりが大事かよ」

「sorry.……その、君と彼がとても楽しそうにしていて、妬いてしまったんだ。君を傷付けるつもりはなかった」

 俺はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。
 慌てたアルフレッドが不機嫌な表情を消して、不自然に空いていた二人の距離を詰める。
 結構離れていたような気でいたのに、アルフレッドの長い足じゃほんの数歩の距離だった。
 アルフレッドが何かおかしな事を言ってる気がするのだが、その前に冷たく言い放たれた言葉が脳内をグルグルと駈け巡り、全く聴いて居なかった。俺は唇を引き結んでアルフレッドから視線を逸らす。
 互いの衣が触れるほど傍まで来ると、アルフレッドは跪いて俺を見上げ、勝手に手を取った。

「my princess……俺はどうすれば傷付けてしまった君の心をモガモガ」

「だぁぁあっ! この、ばかっ! そんな事しなくて良いから! ほら……早く行こうぜっ」

 今度はちゃんとあいつの言葉に耳を傾けていた俺の耳に、歯の浮くような台詞が入ってくる。
 な、なんだこの恥ずかしい男は……!
 俺は口吻けられそうになった手の甲を翻して掌で奴の口を押さえて遮ると、さっさと横をすり抜けて歩き出す。
 ちゃんと付いて来てるかと振り返れば、頭に「?」を浮かべて棒立ちのアルフレッドが目に入った。

 なんだこいつは、俺に言わせる気なのか。察しろよ!

「あ? んだよその顔は。……お前の部屋のバルコニー、貸してくれんだろ?」

 俺は今度こそ振り返らずに歩き出した。
 後ろから付いてくる軽やかな足音に直ぐ追い付かれる。
 隣に並ばれた。と思ったら手を引かれてアルフレッドが早足で俺を引っ張り始めた。
 肩越しに向けられる笑みが、相変わらず眩しい。

 何だかペースを乱されっ放しだ。
 けど……悪くは、ない。

 



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