君がいる明日
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振り向いてマイプリンセス
振り向いてマイプリンセス2
「――俺は、姫としての自覚が足りなかったのかも知れねぇ……」
俺は前髪をくしゃりと掻いて苦く呟いた。
ひらひらと鬱陶しい服はしかし脱ぐ訳にもいかず、皺になるのも構わずベッドへ腰を降ろす。天蓋付きだ。物珍しさにぼんやりと見上げる。
此処はこの城で俺に宛がわれた部屋。
ぐるりと見渡せばピンクや赤がやたら目に付く。色使いが派手で目に煩い。女性の、姫の部屋だと気を遣ったのだろうか……遣い方を間違っている気もするが。世の女性はこんな部屋が好きなのかも知れない。俺はそう結論付ける。
女性どころか人と接する機会が多くなかった俺には、一般的な感覚というのは良く判らない。
溜息混じりに視線を戻すと、部屋の中をうろうろと徘徊していたフランシスが、俺の苦い呟きを聞き付けたのか態とらしく仰天してみせる。
「え? 今更そんなこと言っちゃう?」
「うるせぇ」
じろりと睨み上げて吐く言葉は我ながら力無い。
強制的な決定事項だったとはいえ、最後は自分も納得して目的を果たしに来た。――しかし、考えが甘かったかも知れない。
並々ならぬ決意で乗り込んだ筈なのに、俺の心は早くも折れ掛けていた。
アルフレッドの人懐こい笑顔が思い出される。
おかしい、こんな筈じゃなかった。
感じる予定の無かった罪悪感に、ベールの下で眉間を歪める。
噂では、かなりの独裁で強引で……と、さして興味も無いから真剣には聴かなかったが、兎に角アメリカ国の第一王子、俺の夫になる男は酷い奴の筈だった。
俺の予定はこうだ。
極悪非道な王子は政略結婚の相手として送り込まれた俺には目もくれず、他の美しい姫を次々に娶り、俺は何処か適当な別宅で悠々自適な生涯を終える。
もしくはこうだ。
ロクに会話もせずに避けまくり、寝所だって死んでも共にしない……もとい、する訳にいかない俺は愛想を尽かされて本国に送り返される。
政略結婚、つまりは政治的利益を得るのが目的な訳だが、ここ超大国アメリカが俺の国から得られる利益なんて無いに等しい。
だから今回の婚姻は、約束を反故にされて面子を潰されたくないアメリカ国の意地と俺は読んでいる。
だからあの王子にさえ其の気が無くなれば、俺は晴れて自由の身という訳だ。
――アメリカ国へ嫁ぐ事が決まっていた、産まれてからこの方ただの一度も表舞台に出て来る事の無かったイギリス国の姫。……当たり前だ、本当は居ないんだからな。
噂だけが一人歩きして、絶世の美女だの天使のような歌声だの、とんでもない尾鰭背鰭胸鰭のオプション付きの姫との婚儀を、今更反故にされたら面子も丸潰れだろう。
否、散々出し惜しみしてしまった事で、相当な期待を抱かれているのかも知れない。
此処へ来るまでは俄かに信じられなかったが、思えば口約に過ぎなかった婚約話。自国に利益のないこの婚儀を是非にと急いたのはアメリカ国ではないか。
俺は今更だが自分の浅はかさを呪いたくなった。
愛想を尽かされる予定ではあるが、余りに嫌われ過ぎて戦争でも仕掛けられたら堪らない。いや……流石に其れは無い……よな。
祖国の面々だって、男の俺が上手くやり切れるとも思って居ないだろうが、これは悠々自適に過ごす道は諦め、早急に国に帰った方が良いかも知れない。
「よーし、安全確認終わりっと」
「あ? お前ンな事してたのか」
「一応ね。護衛も兼ねてるもんで」
言いながら、たった今戸締りの確認をしたばかりの窓を開けてフランシスが肩を竦める。部屋に入ってくる風が心地良い。
俺は一旦思考を中断した。
問題は他にも山積みなのだ。
「……次、名前聞かれたらどう答えりゃ良いんだ……」
「徹底して教えなきゃ良いでしょ」
「うう……」
「んじゃ、エリザベータ」
「うーん……ちょっとな……」
『エリザベータ』と名乗った所で気さくに「エリザ」と呼んできそうな顔を思い浮かべて気持ちが萎える。
俺は仲良くする気なんかないっつの。
「ならナターシャとかどうよ」
「っ! それは『兄さんと私』のあのこえー主人公の名前じゃねーかばかぁ!」
「はあ……もう英子で良んじゃね?」
「却下だ! なんかそれ可笑しいだろ! もっと真面目に考えろゴラァ!」
「あのねぇ、俺の知り合いの女の子の名前は、もうお前がみーんな却下したっての」
投げ遣りなフランシスがやれやれと肩を竦めて首を振る。
俺は質の良いベッドを荒々しく軋ませて立ち上がると、従者兼フォロー役兼護衛兼八つ当たられ係のフランシスの襟首を掴んだ。
ああもうムシャクシャするぜ!
大体なんで、今まで親兄弟はおろか臣下達からも放置されてた俺がこんな目に合わなきゃなんねえんだ。
王子なんて名前だけ。もう男は要らないとばかりに誰にも省みられず過ごした幼少期を思い出して余計に腹が立った。
フランシスもハナから俺のストレス解消に付き合ってくれるつもりだったのか「お、やるか?」なんておどけながらファイティングポーズを取って見せる。
そうこなくては。俺はニヤリと口角を歪めて笑んだ。
よっしゃ、お望み通りボコボコにしてやるぜ!俺は拳を振り上げる。
――が、今まさに殴り掛かろうと云うその時、突如として扉が開け放たれた。
「やあ! 部屋はどうだい? 何か足りないものがあったら遠慮無く言ってくれよ! ……って、あれ……?」
「……、どーもー……」
気まずい顔を浮かべたフランシスが、アルフレッドと視線を合わせる。
部屋の中には二人以外、他に誰も居ない。
* * *
「ハァッ、ハァッ……」
思わず窓から飛び降りてしまった。
後の事はフランシスが適当に上手くやってくれるだろう。
まだ自分の気持ちの整理も出来ていない。バレたら大事である訳だし、余計な接触は避けるに限る。
それに今は大変気が立っているのだ。今度あんな事をされたら蹴りでも入れてしまいそうだった。
「……っ……」
『あんな事』を思い出すと染まる頬は怒りか羞恥か。
窓から出た先は、小さな森のように木々や草花が生い茂っていた。
人気のない……しかし手入れの行き届いた緑の世界。鳥の囀りに耳を傾けながら暫く当てもなく進んでいると、開けた場所に出た。
「――うわ……」
緑の絨毯に、景観を壊さない程度にひっそりと敷かれた石畳。
此処に来る迄に見掛けた草木だけでは無く、計算され尽くした絶妙な配置で花が植えられ、それらが花弁を惜しげもなく広げて咲き誇っている。それは見事な庭園だった。
慣れない土地で緊張の連続。混乱に絡まっていた思考がゆっくりと解きほぐされる。深呼吸をすれば、甘い花の香りが鼻腔を掠めた。
それほど広くは無い庭園を歩いていると、誰も居ないと思われた空間から話し声が聴こえて来て。
横へ視線を向けると、植物に身を隠して此方を窺う小さな存在と目が合った。
背中の羽根を震わせて慌てて飛び立とうとする彼等に、慌てて声を掛ける。
「ッ待ってくれ! お前達は此処に住んでんのか? あ……いや、悪い。こういう時は先ず自分から、だよな。俺はアーサー、今日から此処に住む事になったんだ。 ……ん? ……っ! 女の格好は訳有りだ! ッあぁあ悪い、急に大声出しちまって、怒ってねぇよ」
ふ、と意識して表情を緩ませると、小さな存在――妖精達も、安心したように傍まで寄ってくれた。
思わず手を伸ばして擽れば、指先に身を寄せながら嬉しそうな声が上がる。
可愛い――。
今度は無意識に目尻が下がる。
嗚呼、このままずっとこうして居られたらどんなに良いだろうか。
だがこの心穏やかな一時は、今、一番切実に現れて欲しくない声に因って破られた。
「おーい!」
「げっ、何であいつ……」
頭から被る真っ白なベールを引き下げて身を縮こませる。どんなに背を丸めた所で隠れる場所も何もないが、何もせずには居られない。
徐々に近くなる姿は先程自分が部屋から逃げ出す羽目になった原因、アルフレッドだ。
フランシスは何をして居るのかと思わず内心で八つ当たる。
「こんな所に居たのかい? さっき部屋まで行ったんだけど入れ違ってしまったみたいでね、探してたんだ」
此方の姿を見掛けてから此処まで駆けて来た男は、呼吸一つ乱さずに直ぐ傍で足を止めた。
(近い近い近い!!)
アルフレッドは暫く辺りをキョロキョロ見渡したかと思うと、会った時と同じ人懐こい笑みを浮かべて向き直る。
出来れば、余りこっちを見ないで欲しい。
透き通った空色の瞳で見詰められると、色々と見透かされてしまいそうで怖かった。
「……話し声がしたと思ったんだけど、誰か居たのかい?」
――マズい。
俺は焦る。何がマズいって、まず一つは妖精なんて言った所で誰も信じちゃくれない事。
もう一つは声、だ。
外見をどんなに誤魔化した所で、肉体は勿論のこと声だって変わらない。
一応フランシスと女声を出す特訓に励んではいたが、まだマスターするには至ってない。
思わず一歩後退さる。今度はこんな目の前で逃走劇をかますしか、他に道は無いのか?
やけくそ気味に決心を固めた所で、身を引いた事に気付いたアルフレッドが更に言葉を続けて来た。
「もし君が独り言を言ってたんだとしても、俺は変だなんて思わないぞ! ……ただ、俺はまだ君と話を出来ていないからさ、誰かに先を越されていたら悔しいと思っただけなんだ。ああ、それと――」
アルフレッドは一旦言葉を区切ると、声のトーンを落として真っ直ぐに俺を見る。
俺も逃げるのを一時中断して、けれど目は見れずに視線を彷徨わせた。
何を言う気だ?緊張で、喉が鳴った。
「君の付き人の彼から、聞いたよ。……男みたいな声で、男兄弟に囲まれて過ごして来たから男言葉が抜けなくて、コンプレックスなんだってね」
ぴく、俺が反応したのを見て、アルフレッドは拳を握って力説する。
「俺はそんな事気にしないんだぞ! だから、そのままの君を見せて欲しいんだ」
(ナイス! フランシス!)
心の中で喝采を送り、俺は漸く顔を上げてアルフレッドと目を合わす。
これは声の問題は解決と見ていいだろう。
少し納得いかない所もあるが、此処は大人しく独り言って事で話を合わせるか……そう決めて口を開こうとした刹那、俺の中にある考えが浮かぶ。
――妖精。そう言えば誰もが俺を可哀想な目で見たり時には引いたり、フランシスみたいに直接笑って馬鹿にする奴は他にいなかったが、良い感情を持たれた事はほとんどない。
下手に冷たく当たって気分を損ねるより、いっそ引かれてしまう方が楽かも知れない。
「……、……妖精が……」
「ん? なんだい?」
俺にとっての事実を否定されてしまうのは、余り良い気分ではない。
思わず小声になってしまった俺の言葉は聞こえなかったようで、アルフレッドが屈んで耳を寄せて来る。
俺は決心してさっきより声を大きくした。
「……妖精が、いたんだ。それで……少し、話してた」
「…………」
予想していたどの反応とも違うが、目を白黒させて驚いた様子のアルフレッドにまじまじと見られている。
くそ、とっとと笑いだすなり何なり好きにすれば良いんだ。
居た堪れなくなって視線を地面に逸らすと、頭上から……今度こそ予想していたどの答えとも違うアルフレッドの声が落ちてきた。
「妖精!? 君は妖精が見えるのかい!?」
「っ、あ、ああ……」
「Great! 凄いじゃないか! 俺は見えないんだ……」
アルフレッドが心底残念そうに眉を下げる。 俺はなんかもう頭の中が真っ白だった。だから後に続いた「君みたいな心の綺麗な人じゃないと見えないのかな」なんつー台詞は無視だ、無視。俺は何も聴いてない。
大体照れながら言うなっての、こっちが恥ずかしいだろ。
「はは、は……あんなに可愛いのに見えないなんてな、勿体無い話だぜ」
「ねえ、ここにいた妖精は一体どんな妖精だったんだい? 君の家にも妖精は居たのかい? 聞かせてくれよ」
「……お、おう! 任せろ!」
何が何だか良く解らない内に、気付けば俺は満面の笑みを浮かべていた。
……こいつ、良い奴かも知れない。
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