君がいる明日 - main
振り向いてマイプリンセス

振り向いてマイプリンセス1


「くそっ、何だってこんな……やっぱり納得いかねぇ」

「往生際が悪いねー、坊ちゃんは。もう諦めなって」

 暗澹たる表情で重い足を進める俺の隣を歩くのは、従者のフランシス。
 従者といっても、ガキの頃から一緒に育ったからほとんど兄弟みたいなもんだ。こいつはちっとも俺を敬いやしねぇし、俺も望んじゃいない。
 声を潜めて煌びやかに長い廊下を歩く。
 目の前には俺達二人を先導して歩く背中。声を潜めるのは勿論、他の奴等に聞かれたら困るからだ。それでも悪態を吐かずにはいられない。だって――。

「なんっで俺が男と結婚なんか……」
「……しっ、姫」

 だって俺、アーサーこと"イギリス"は立派な男なのだ。
 さっきは「坊ちゃん」と呼んだ癖に、今度は態とらしく「姫」と呼んで片目を伏せて窘めてくるフランシスへ返事の代わりに睨みを利かせつつ、到着した豪華絢爛な扉の前で立ち止まる。
 流石の俺も此処まで来ると諦観して悪態を吐くのも睨むのも止め、身に纏う真っ白なローブを深く被り直した。
 男とバレてしまう訳にはいかないのだ。

 この扉の奥には、今日から俺の夫となる男"アメリカ"がいる。



  * * *



 こんな有り得ない婚儀が俺の身に降りかかったのはつい先日の事。
 元々そういった話……いわゆる政略結婚的な、俺の国から世界一の超大国であるアメリカへ嫁ぐ話はあった。
 が、それはあくまで女性の話で。まだ俺が生まれる前に親達が、早急にも互いの親交やら条約やらを固めたかったが為に、居もしない娘との結婚を約束してしまったのだ。なのに一向に女性は産まれなくて。

 王子の成人の儀を控えとうとう痺れを切らした超大国に、しかし今更姫が居ないとも言えず白羽の矢が立てられたのが俺……という訳だ。
 れっきとした王族の直系だが既に重席は兄達で埋まり政治的に果たすべき役割も無く、悔しい話だが小柄で線が細く、認めたくないが童顔な…いや、だからといって男は男。
 どう頑張った所で子は成せねぇし、裸を見られたら一発でアウトだ。
 だからそう……俺はある目的と、重大過ぎる責任を背負ってこの地に降り立った。他の誰でもない、俺の為に。
 それを果たすまで……その間だけの辛抱だ。

 此処へ来るまでに幾度も固めた決意を再び胸に滾らせて拳を握ると、不意に肩を揺すられる。
 何だよ、今俺は――。

「ははっ、すみませんね、王子。どうやら緊張しているようで……」

 フランシスが苦い顔で取り繕う。
 ヤバい、完全に意識を余所に飛ばしていた。
 焦って眼前の王子と呼ばれる人物を見遣れば、玉座から立ち上がり何やら側近に指示を出しているようだった。
 どうやらフランシスの、俺が緊張していて喋れないという発言を真に受け人払いをしてくれているようだ。
 暫くすると側近達は皆居なくなり、フランシスも其れに倣って僅かに距離を取る。横目で窺えば、離れた位置から見守られているのが視線で分かった。
 人の気配が遠ざかって行く。この場には、俺とフランシスと"アメリカ"、部屋の隅の離れた位置……重厚な扉の前に立つ兵士が一人となった。
 初老の側近達は、去り際じろじろと値踏みするような嫌な視線を送って来た。仮にも自国の姫として迎え入れた女性……そう、一応女性な俺に対して失礼極まりない行為だが、それも仕方無い。
 なんせ俺は此処へ来てからまだ一度も顔を見せていない所か、フランシスとの小声の応酬以外は声も発していないのだから。
 万人に童顔と言われようとも俺は男だ。フランシスから化粧なんてものを施されて居るとはいえ、極力顔も肌も見せないに限る。俺の身体は袖口から多少指先が覗くくらいで、他は全身布地でグルグルに覆われていた。
 身体のラインでバレないよう幾重にも布を折り重ねたローブ。頭からすっぽり被ったベールに、喉仏を隠す為の長いスカーフ。
 はっきり言って怪しすぎる。
 俺ならこんな姫なんざ御免だ。
 今は身に着けて居ないが、自国から持って来た少ない荷物の中には手袋やら胸の詰め物やら他にも色々ある。ああ、考えるだけでも憂鬱だ。

 また物思いに耽ってしまって居ると、近くまで来ていたアメリカに不意に声を掛けられた。

「顔を見せて貰っても良いかい?」

(来た……!)

 俺はゴクリと生唾を飲み込む。化粧はしてる。フランシスにはバレないと太鼓判を押されたが、矢張り緊張するしバレなかったら其れはそれで男としてのプライドが傷付く。
 俯いていた視線を恐る恐る上げると、薄いベール越しに澄んだ空の色をしたアメリカの瞳と目が合った。
 それでも動けず逡巡していれば、遠くでフランシスが焦る気配が伝わって来る。

「綺麗な目だね」

 しかし予想に反して其れ以上を促される事はなく、屈めていた背を伸ばしてにこやかな笑みを向けるアメリカに拍子抜けを喰らう。
 助かった、そう思ったのも束の間、今度は新たな爆弾が飛んできた。

「俺はアルフレッド。……君は?」

 すっと差し出される手に思わず一歩後退ってマジマジと見上げてしまった。人懐っこい笑みを浮かべる王子…アルフレッドは俺の反応に首を傾げる。

(馬鹿か、こいつは……)

 王族は普段、象徴である国名や与えられた役職を名乗る。それに不自由はない。だから俺の事はイギリスとでも…不本意だが姫とでも呼べば良いのだ。
 自分達はまだ婚儀を交わした訳ではない。家族でも何でもない他人だ。
 王族にとって愛すべき自国の名は重んじるものであり、それとは別の個人を意味する名は又違う意味で大切だ。それを、こんな、妻になる予定とはいえ顔も見せない初対面の相手へ名乗るとは――。

(いや、俺がこんなだから気を使ってくれてるのか……?)

 俄かにこの国の将来が心配になりつつも、俺は焦る。俺に与えられた人名(ひとな)はアーサー。思い切り男だ。
 はっきり言って、名を交換するほど仲良くする気などハナから無かった。其れどころか嫌われて去る算段すら立てて居た自分は偽名など考えても居なかった。
 最初にこの婚儀が持ち上がった時、一応考えて於こうと提案するフランシスの言葉を必要無いと一刀両断した事が悔やまれる。
 いやしかし、余りに姫々しい名を提案され、そんな名で呼ばれる自分を想像したら鳥肌がたったのだ。だから悪いのはフランシスだ。あいつ……後で殴る。

 俺が口をパクパクとさせて思考を八つ当たりの現実逃避へ飛ばして居ると、不意に手を差し出された侭の体勢で放置してしまっていたアルフレッドに手を取られた。

(ああ、握手か。ってヤベェ、俺の手どう見ても女じゃ……)

「……っ!!?」

 ちゅ、と小さな水音を立てて、俺の前に跪いたアルフレッドが上目に視線を寄越す。
 油断した。先程からずっとフル回転の脳は現実に付いて行けず不覚を取った。
 再び青い瞳と眼差しが交錯する。まさかこんな扱いを受けるとは夢にも思わず、あわあわと混乱を極めていると、漸く俺の従者兼フォロー役のフランシスが動いた。

「――失礼。王子、どうやら姫は長旅で疲れていらっしゃる御様子……今日はどうかこの辺りで」

 す、とフランシスが俺の肩を引いて後ろへ下がらせる。アルフレッドも手を離したので、俺の手は力なく引力に引き摺られて脇に垂れ下がった。緊張の余り指がガチガチに曲がって妙な形を成している。

(くそっ! 遅ぇんだよ!)

 俺の中でフランシスを殴る回数が2にカウントされた。

 



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