君がいる明日 - main
振り向いてマイプリンセス

二度目のデート 後編


 街の中心部へ進むにつれ、陽が傾き始めるにつれて徐々に人が多くなって来た。
 色々な店が左右に連なる大きな通り。
 家路に就く人と夕餉の買い物に勤しむ人とで辺りはごった返している。
 俺はアルフレッドとはぐれないように、少し身を寄せた。

「なあ、次は何処に行くんだ?」

 会話は小声。俺が話す時はアルフレッドの服を引いて耳を傾けて貰う。

「そうだなぁ……」

腕を組んで思案する横顔を眺めていて…、不意に気付いた。
ピタリと脚が止まる。

「あ、」

「? どうし……」

「…あー……俺、さっきの場所に忘れ物した! 取りに行ってくるな!」

 云いながらもジリジリと後退しながら距離を取り、アルフレッドが驚いている内に踵を返して走り出した。

「えっ? ちょっと待ってよ! アー……」

「やっぱトイレ! だから付いてくんなよ!」

「ちょっと……! ねえ!」

 顔だけ後ろに回して念を押す。
 俺に向かって伸ばされた手は、丁度間を横切った幼い兄妹に阻まれて空を切った。
 全く得心の行ってない顔、名を呼ぶに呼べない歯痒さの滲んだ声を背に、人混みを縫うように進む俺とアルフレッドの差は徐々に開いて行く。

 走り難い格好、無理矢理でも脚を前へ前へと踏み出して、俺は昔見たピンボールの玩具の玉みたいに走った。

「やっべぇ……」

 その間も足下への注視は怠らず、一縷の願いを込めて赤い色を探す。

「嘘だろ、おい……」

 さっき貰ったばかりの赤い薔薇。
 確かに自分はよく物を無くすけれど、こんな、貰って半日も経っていないのに何処へやってしまったか判らなくなるなんて。
 作り物の髪はツルツルと滑って上手く櫛の部分を落ち着かせる事が出来ず、外して手で持ったり、また髪に差したりと繰り返していた。
 何か食べ物を食べる時は、服の胸部分のダボダボした布地に引っ掛けたり。
 木製の長椅子に腰掛けた時は、たしか膝の上に乗せて指先で愛でていた気がする。

 持って帰ったらドライフラワーにして、ずっとずっと大切に取って置くつもりだったのに。
 失くしてしまった。
 そんな馬鹿な事をアルフレッドに知られたくなくて、一人で探し出して直ぐに戻ろうと思っていたのだけれど。

 さっき二人で“あいす”を食べた店先まで戻って来ても、横路に逸れて人の行き交う往来へ目を凝らしてみても、目立つ筈の真っ赤な薔薇は見つからなかった。




 * * *




「はぁ……」

 石造りの塀の壊れた出っ張りに尻を乗せて肩を落とす。
 正直に云おうと戻って来たら、アルフレッドが居なくなくっていた。
 あのまま自分の後を追って、今もまだ捜させてしまっているのかも知れない。
 しかし会ったら会ったで、きっと酷くガッカリさせてしまうだろう。あるいは、

(……嫌われたり、とか……)

 貰ったばかりのプレゼントは失くし、髪は乱れて衣類もくたくた、おまけに胸も小さいと来たら、良い所を探す方が難しい。
 こんな状態で、逢っても良いものか。仮にも一国の姫だぞ、俺は。……まあ、仮っつーか、偽っつーか……。

「……」

 もし万が一アルフレッドが既に帰ってしまっていたり、最悪このまま夜になったとしても、遠くに聳える城を目指して歩けば帰る事は出来る。
 そう思えば思うほど積極的にアルフレッドを探す事が出来ず、その名を呼べぬまま、こうして喧騒から外れてぼんやりと沈み行く太陽を眺める事しか出来ずにいた。

(……城に帰っては、ないだろうなぁ……)

 蘇るのは先刻聴いたばかりの言葉と、人好きのするキラキラと眩しい笑顔。
『俺は君を置いて行ったりしないし、待てなくなったら迎えに行く』
 そう云ったアルフレッドは、きっとまだ俺を探してこの街の何処かにいるのだろう。

 帰りはきっと独りきり、アルフレッドの好意を踏み躙ったんだから当然だ───
 なんて、どんなにそう一人ごちた所で、現に今、オレンジ色の夕日を背景に、道行く人々にも目を凝らしている自分がいる。

「………」

 やっぱり捜そう。
 呼べる名のある自分が呼び掛けなければ、きっとこの人混みの中でアルフレッドと再会する事なんて出来ない。
 漸く重い腰を上げ、俺は人混みの中へ飛び込んだ。

「ア……」

(……ル、フレッド……)

 ……駄目だ、呼べない。
 こんな女みたいな……もとい女の格好で、あいつの名前を、男の声で呼ぶ訳にはいかないと、開いた口を塞げないまま思い至る。

「…ア……」

(アル、アルフレッド)

 心の中で何度も何度も呼び掛ける。
 そうして呼び掛けるよりも更に多い数、視線を巡らせる最中、覚えのある金髪を視界の先に捉えた。
 キョロキョロと辺りを眺めながら、今にもこの場から居なくなってしまいそうだった背中に狙いを定め、徐々に足早になる脚を急がせて。

「…ア、アル……!」

 呼んでから微かな違和感に気が付いたけれど、気にせず手を伸ばしてぎゅ、と衣服を捕まえる。
 くしゃりと皺の寄った背中が振り返るにつれ、アルフレッドの顔を見ていられなくて俺は目を瞑って俯いた。

「っ……ごめん! 折角お前から貰ったのに……あの髪飾り、失くしちまった……」

 縮こまる身体、衣服から離した手で自分の長いスカートを握り締めてアルフレッドからの言葉を待つ。

「……え、…あ……」

 いつもより小さな声を耳にし、竦んだ肩が小刻みに震えた。一秒が長い。
 そのまま二秒、三秒。

(……なんで何も云ってくれねえんだよ……ッ)

 耐えきれず顔を上げると、何故か其処には息を切らせたアルフレッドがいた。

「捜したんだぞ……!」

 汗を滲ませた相貌は滅多に見ない余裕無い色を浮かべていて、俺は内心首を傾げる。
 さっきまでとガラリと様相を変えたアルフレッド。
 時間差で怒りが沸き起こって来たのだろうか。それにしては責める気配が無い。

「……怒ってないのか?」
「怒ってるさ!」

 おずおずと呈した言葉に間髪於かず返され、謝罪を述べる間も無くいきなり伸びてきた腕に手首を捕らわれた。

「ア、アル……っ」

「もし君に何かあったら、俺は自分を許せなかった所だよ」

 真剣な眼差し。其処に嘘の色はない。

「っ……俺の事、嫌いに……」

「なる訳ないじゃないか!」

 ぎゅ、と握られた手が熱い。
 肩で息をしていたアルフレッドに反対の手で腰を抱き寄せられ、密着する身体に顔まで熱くなる。
 ほっと大きく吐き出される吐息。首筋に掛かる呼吸が少しずつ落ち着いて行くのが分かった。
 最初に熱いと感じたのはアルフレッドの手だったのに、もうどちらの手が熱いのか分からない。
 ふう、と大きく一呼吸於いてアルフレッドが顔を上げた。

「……ん? あれ…薔薇は……」

 目を瞬かせたアルフレッドが俺の髪を撫でたかと思うと、背中に腕を回そうにも回せずぎこちない体勢で宙を彷徨う空っぽの左右の手を見てから、地面に視線を落として。

「あ、その……たぶん、落として……俺、探したんだけど……」

 もう一度、先程よりも克明に告げながらアルフレッドの視線を一緒に辿るように地面を見据えた眼差しを持ち上げ、目線より僅かに高い位置にある蒼を見た。

「っごめん……折角、お前がくれたのに……」

「名前」

「え? あ……アルが、くれたのに……」

 真剣味を帯びてキリリと吊り上った眉を下げたアルフレッドが、ふわりと笑う。

「一生懸命探してくれたのかい?」

 こくこくと何度も首を縦に振って頷いた。

「また買って行こうよ」

 今度は首を横に振る。

「……いい……」

「俺があげたいんだ」

 俺のか細い声に返される、柔らかい声音。

「違うんだ。……あれは…アルが俺にくれたあの髪飾りは、世界で一つしかないんだ。同じものじゃ、意味が……」

 今、俺は我が儘な事を云っているだろうか、けれど、だって。
 じわりと浮かぶ涙を、アルフレッドの指が拭い去る。

「なら……もっと特別な物なら貰ってくれるかい?」

「へ?」

「あの髪飾りと同じ……ううん、もっと凄いのを、俺が作るから。そうしたら……貰ってくれるかい?」

 パシパシと何度か目を瞬かせ、云われた言葉を噛み砕いて飲み込んだ。
 つまり……

「真っ赤な薔薇を育てて、俺が最高の髪飾りを作るよ。世界でたった一輪、君の為に咲く薔薇だ」

 良い事を思い付いたと云わんばかりに、両手を広げて全身で体現して見せるアルフレッド。
 俺がアルフレッドのバルコニーに拵えたミニガーデンで、薔薇を育てるのだと語る。
 涙はとうに引っ込んだ。

「ば……薔薇の世話は大変なんだからなっ」

「君が教えてくれるだろ? あ、でも育てるのは俺なんだぞ!」

「……け、けど……」

 思わぬ申し出に、返す言葉が口から出て来ない。
 なんだ、これ。
 どうしてこいつは、俺を喜ばせるような事しか云わないんだ。

「今日からもっと沢山来なきゃいけないよ。君がいない間に薔薇が枯れてしまったら大変だからね」

 夢なんじゃないだろうか、そう思った気持ちは霧散して、夢でも良いと込み上げる気持ちが新しい涙になって俺の目頭をじわりと熱くする。

「お、おま……アルだって、今までより沢山部屋に戻って来なきゃいけないんだからなっ。仕事が長引いてそのまま帰って来ないなんて、ダメなんだからなっ!」

「オーケー」

 気を抜くと震えそうになる唇は誤魔化せても、上擦る声が誤魔化せない。
 アルフレッドの声は嬉しそうに微笑っていた。

「俺はアドバイスするだけで、ちゃんと自分で育てなきゃ、愛情たっぷり注がなきゃ良い花は咲かねえんだからなっ」

「なら、君の名前を付けて育てるよ」

「なっ……!」

 閉口した唇は二の句を告げず、ごしごしと目尻を拭われる。
 恥ずかしい事は止めろと云いたいのに、それよりも俺の中に燻ぶるのは違う気持ちで。

(……俺の名前…今日、まだ一回も呼ばれてない……)

 これは薔薇に対する嫉妬、な訳は無い。
 そう、これは俺の所為じゃなくて、アルフレッドが狡いんだ。
 俺は何度も呼んだのに、まだ俺は今日、一度もアルフレッドに名前を呼ばれていない。

「アル……っ!」

 思わず胸倉を掴むと、自然と脚が立ち位置を変えて互いに正面から向き合うように身体を寄せた。

「おまえも、呼べよ……っ」

 ゆるりと弧を描いた俺のより厚い唇、少し上にある蒼い双眸が降りて来て。
 両の肩に手を置かれ、耳元でそっと囁かれた。
“アーサー”俺の名前。
 直接鼓膜に吹き込まれた音がゾクゾクと全身を巡る。

「……城に着くまで離さないんだぞ」

 倒していた体勢を起こし、指先を絡ませるように繋いでアルフレッドが云った。
 俺は笑う。

「城に着いたら離すのかよ?」

 アルフレッドも笑った。

「城に着いても離さないんだぞっ!」

 二人同時に噴き出して、俺達も道行く人々に紛れて帰途に就いた。


「……あ、ハンバーガーを売ってる店があるぞ! アル!」

「シェフの作ったハンバーガーも美味しいけど、本場の味は別物なんだ」





 そんな二人の背中を見送る影が二つ。

「大丈夫ですか?」

 やれやれと苦笑で笑みを濁したフランシスは、今し方見送ったばかりの内の一人と、とてもよく似た青年へと手を差し伸べた。

「もう……、アルったら。僕は間違えられただけなのに、突き飛ばす事ないじゃないか」

 尻餅を着いていた青年は、その手に掴まり身体を起こす。
 フランシスは肩を竦めて笑い、帯紐に差していた薔薇の髪飾りを手に取った。

「…あー…今更これ渡したら、俺ってすごーく空気読めない奴だよなぁ」

「それってさっき二人が話してたやつですか?」

 誰に宛てるでも無く呟いた言葉に律儀にも反応を示してくれる相手へ頷き、フランシスはがっくりと項垂れる。
 何故拾ってしまったのか。否、拾った事は後悔していない。ただ問題が……。

「…あー…っと。一つお願いがあ……」

 ちらり、見遣った視線にこの国のもう一人の王子様の肩が盛大に跳ねた。

「い、嫌ですよ! アルはああ見えて嫉妬深いんですから!」

「俺だって坊ちゃんに後を付けてた事を知られるとマズいんですって!」

 先日の騒動はまだ記憶に新しい。
 しかし簡単に護衛を付けさせてはくれそうにない相手に、フランシスたち臣下の面々が考えた作戦はこうだ。
 まずは油断させる為に用意した囮護衛を上手く撒かせる。
 そうして囮に気を取られている隙に、少数精鋭でマークし予め先回りしていた面子と連携を取りながら密やかに護衛をする。

 うっかりにも程があるくらい綺麗にポロリと落としてくれたコレを拾ったは良いのだが、一応隠密行動中であるが故に渡せなかった。
 あのまま気付かず城に帰ってくれれば、適当に誤魔化して渡せたものを。

「あーあ、どうすっかなー……」

 主君達の大切な物を捨てる訳にもいかず、かと云って今更見なかった事にする訳にもいかず、フランシスは小さくなっていく二つの背中を見ながら頬を緩める。
 しっかりと繋がれた指先。反対の手にお互いハンバーガーを携えながら時折頬を寄せ合う横顔は、此処までその幸せそうな声が聴こえて来そうだった。



 



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