君がいる明日 - main
振り向いてマイプリンセス

二度目のデート 前編


「おい、ちゃんとやれよ」
「はいはい。坊ちゃんその台詞何回目?」
「うるせえ!」
「ちょ、いたっ! ったく……折角のお召し物が捲れ上がってますよ? お姫様」
「〜〜〜ッ!?」
「あいたっ! ちょっ、だから痛いって!」

 流れるような長いブロンドは作り物。上品かつ質素であまり目立たないようにと難題を課して注文した衣服は、使用している絹こそ中の上だが、一針一針丁寧に仕上げたなかなかの代物だ。
 そんなスカートの腿まで捲れ上がってしまった裾を、掌で綺麗に伸ばして踝まで隠す。
 顔にぽふぽふと当てられていた柔らかい感触が再開されて、止まった。

「───……はい、出来た。完成〜」
「そっ、そうか……」

 そわそわと心持ち身体を揺らしながら閉じていた目蓋を開け、幾度か瞬きを繰り返すとタイミングを計ったように差し出さる鏡。
 両手で受け取って覗き込めば、何より一番に目を引くのはついさっきもこうして鏡に映した筈の自分の顔だった。

「うお、すげぇ……」

 上気している訳でも無いのにほんのり薄ピンクに色付いた頬、常より長い睫毛、ぷるぷるの唇は、自分のものでなければ視線を奪われていたかも知れない。
 睫毛に掛かる前髪をちょいちょいと指先で弄る。

「……なんか前髪長くねえ?」
「眉毛は隠しときなさい」
「んだと!」

 もう一度蹴ってやろうかと繰り出した脚は難なく避けられて終わって。
 ついでのようにヒョイと回収された鏡を手放し、座っていた椅子を立つ。
 肩から腰に掛けてのラインに布地を余らせて擬似的な膨らみを持たせた胸元は、一見しただけでは其の下がぺったんこだとは気付かれまい。
くるりと回ればふわりと広がるスカート。
 これを見て即座に男だと思う奴はまずいないだろう。
 自分でも見下ろしたり背中を見ようと首を巡らせたりと確かめた後、この狭くもなく広過ぎる事もない部屋の中、ただ一人感想を求められる相手を振り返った。

「……ど…、どうだ?」
「うん、流石俺って感じ?」
「自賛すんなバカんな事は訊いてねーんだよハゲ、……あ…あいつの隣で、その…、あいつに恥かかせねえ程度には……」
「はいはいはいはい……そんな事より時間、いいの?」
「俺は真面目に…ッ……へ?」

 使っていた小道具をカチャカチャと仕舞いながら適当な相槌を打つ相手に喰って掛かろうと開いた口が、途中で止まって別の言葉を紡ぎ出す。

「っ……もうこんな時間じゃねえか!」

 時計を見ながら、思わず唾が飛ぶほど驚いた。
 だと云うのに、ギ、と振り向いて睨んだ相手は素知らぬ振りで片付ける手を止める様子も無い。

「だから急ごうか? って云ったのに、丁寧にやれって云ったのは坊ちゃんでしょうが」

「畜生っ……帰って来たら覚えてやがれ!」
「はいはい、デート楽しんでおいで」

 肩を竦めながらの正論に返す言葉も無く、俺は捨て台詞だけを残して部屋を飛び出した。





「ア……メリカっ! 悪い! 遅くなった!」
「アーサ…」
「!?」

 声を掛ければくるりと向けられる満面の笑顔。
 その唇が全てを紡ぎ終える前に、俺は走って来た勢いのまま、片手を上げて口元を綻ばせるアルフレッドに飛び掛かかり慌てて両手で押さえた。

「っ……周りに人がいるだろがッ」
「ふぉめんよ」

 俺の掌に塞がれた唇がもふもふと動いて謝罪を紡ぐ。
 大切な名前を、こんな所でみだりに呼ばないで欲しい。
 かく言う俺も一瞬呼びそうになったのだが。
 しかし途中で気付いて修正したのだから、敢えて触れずに於く。

 そろりと手を離せば、俺の粗暴など気にした風も無く改めてアルフレッドが笑った。

「待ってる時間もすっごく楽しかったんだぞ」

 その一言で、俺の肩が心臓と連動するようにぴくりと跳ねたのにも気付かず、アルフレッドが「だから遅くなったとか気にしないでくれよ」と続ける。

(……くそっ、)

 一体全体何が楽しかったのか、全く以て理解出来ない。
 けれどあんまり眩しく笑うものだから、俺は直視していられなくて視線を逸らした。
 普段の正装を解いて身軽な出で立ちのアルフレッドは、普段よりも親しみが持てて身近に感じて、煌びやかな衣装なんかなくても充分に格好良かった。
 因みに格好良いというのはあくまで一般的見解であって、決して俺がドキとかしたとか、そんな訳では無い。いや…全く全然これっぽっちも無い訳でも無いんだが……。

「……姫?」
「わあああ!」
「大丈夫かい? ポーッとしてたよ」
「し、してない!」
「そう? なら良いんだけど……。兎に角、」

 俺の顔を覗き込んだアルフレッドが、傾けていた相貌を正して真正面から見詰めてくる。
 ヤバい、全然聞いて無かったぞ。

「俺は君を置いて行ったりしないし、待てなくなったら迎えに行く」

 不意に伸びて来た手が俺の髪……正確にはヅラに触れた。

「な…なに……」

 かと思いきや、一枚の葉っぱを眼前に突き付けられて。

「……だから、あまり危ない事はしないでくれよ?」

「へっ!?……え、…あ……!」

 脳内で葉っぱと自分の行動とを照らし合わせて考えて…理解する。
 どうやら部屋から最短ルートを突っ切る為に、窓枠を飛び越えて中庭を迂回し藪の中を爆走して来た事がバレたらしい。
 服の中に潜り込んだネズミを逃がしてやる事にばかり気を取られて、頭の葉っぱに気が付かなかった。

「返事は?」

 アルフレッドが親指と人差し指で摘んだ葉っぱに口吻けてから指を離す。
 ヒラリと地に舞い落ちる葉っぱを目で追うようにコクリと、俺には頷くより他なかった。




 * * *




 護衛に控えていた兵士は、アルフレッドに先導されながら少し走っただけで、いとも簡単に撒けてしまった。
 流石慣れているだけあると云った所か。
 前回の事があるから危ないとも思ったのだが、アルフレッドは二人きりがいいと云って聞かなかったし、俺だって本心は見張られながらでは落ち着かない。
 そんな訳で彼らには悪いけれど、今はアルフレッドと二人、賑やかな街並みをのんびりと見て回っていた。

 来たのはまだ二度目だと言うのに胸に覚える懐かしい気持ちと、相反する見る物全てが真新しい気持ちに心が躍る。
 呆けたように僅かに開いたままの唇、ゆるゆると綻んで緩む頬を隣のアルフレッドへ向けた。
 そうすると窺える楽しそうなアルフレッドの横顔が、俺と目が合う事で更に楽しげにくしゃりと相好を崩すのを見るのが堪らなく好きだと思った。
 そんな時だ。ぎょっと心臓が跳ねるような言葉が耳に飛び込んで来たのは。

「やあアル、可愛い彼女を連れてるね」

 第三者の声を受けて俺とアルフレッドは同時に振り返るも、驚いているのは俺だけで。
「そうだろう?」なんて、えらく親しげにアルフレッドと挨拶を交わし合う中年の男性が去ってから、俺は小声で窘めた。

「おまっ…名前……!」

 服の裾を引いてアルフレッドの注意を引く。俺の眉間にはきっと皺が寄っているだろうに、俺へ視線を下げたアルフレッドは笑みを浮かべたまま小首を傾げて見せた。

「? 呼び名がないと不便じゃないか」

 不便さを感じるほど城下の人々と接しているのかと思うと燻ぶるこのムズ痒い不快感は何だろう。
 きっと特別な物である名前をアルフレッドが軽く扱っているからだ。
 だから嫉妬ではない、そんなの認めない。

 下降する機嫌を体現するかのようにきゅっと引き結んだ唇を、自分の意思で解く事は出来なかった。

「だからって……」
「俺の名前は“アルフレッド”、だろ?」

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、耳朶に唇を寄せたアルフレッドがこそっと耳打ちしてくる。

「そ…だけど……」
「呼んでくれよ」

 口籠もるようにボソリと呟き返せば、向けられるのは変わらぬ笑み。
 俺はキョロキョロと人目を気にしつつ、更に声を潜めてポソリと呟いた。

「……アルフレッド……」

 にっこり笑ったアルフレッドに、納得した訳では無いのに言葉に詰まって何も云えなくなる。
 ならどんな名で呼ばれるなら良いんだろうかと考えた時、俺が全く知らない名前でアルフレッドが呼ばれているのも、それは其れで嫌だと思ったからだ。

「……あ、ちょっと待ってて」
「あ…おいっ」

 ぐるぐると思考に囚われていると、不意にアルフレッドが駆け出した。
 伸ばした指先は空を切り、けれど背中を見送ったアルフレッドは本当に「ちょっと」の間を於いて直ぐに戻って来る。

「アル……?」

 少し息を切らした嬉しげな笑みに、普段より短い呼び名を舌で転がして。

「はい」

 片手で差し出されたのは、黄色い薔薇の花束だった。
 さっきまでアルフレッドがいた場所に視線を遣ると、花屋の露天商の姿が見える。

「ほら、見てくれよ。君が育てている花の色違いがあったんだぞ」
「…そ、れは……」
「俺たちの髪と同じ色だね」

(う…受け取らなきゃ、だよな……)

 どうしよう、受け取りたくない。綺麗に咲いた薔薇を前に、そんな事を思う。
 アルフレッドの手から、そんな……。
 黄色い薔薇の花言葉は、『友情、嫉妬、恋に飽きた、別れよう』他には何かと記憶の引き出しを漁ろうとする思考を中断する。
 アルフレッドは花たちが持つ意味を意識している訳ではない。

 花言葉を教えてやるべきだろうか。否、教えても良いだろうか。
 しかしただ単に純粋な好意でくれている花を、花言葉が気に入らないなんて理由で突っ返すだなんて。
 絶えずぐるぐるしている間も、アルフレッドは俺が喜ぶと信じて疑わない無垢な笑みを向けていた。
 微かに震える指先を伸ばす。
 どうって事ない、自分に言い聞かせて。

「──……、ありが……」

「おや、ダメじゃないかいアル」

 俺の指が花束に触れようとした時、後ろからやって来た恰幅の良いおばちゃんが、アルフレッドの手元へ視線を送ってカラカラと軽快に笑った。
 アルフレッドはきょとんと目を瞬かせている。

「うん? 何がだい?」

「花にはね、花言葉ってもんがあるのさ。可愛い彼女にあげるなら赤にしときな。……ああ、別れを切り出す所だったって云うなら、邪魔して悪かったね」

 全然悪びれる様子も無く口許に手を当てるおばちゃんと俺の顔を、目を真ん丸に見開いて見交わした後、アルフレッドは今戻って来たばかりの道を駆けて行った。

「…あっ……」

「あんなに鼻の下を伸ばしてるあの子は初めて見たよ。仲良くしてやっておくれ」

 呼び止める間もなく行ってしまった背中を俺と一緒に見送ったおばちゃんが「それじゃあね」と手を振って人混みに消えて行く。
 男の声で喋る事に抵抗のある俺は幾度か頷き、ただ手を振り返して見送った。
 入れ違いにアルフレッドが帰って来る。

 その手に持っているのは、さっきのような花束ではなく真っ赤な薔薇の花が付いた髪飾りだった。

「事情を話たら、花束よりこっちが良いんじゃないかって。今日のデートはまだまだこれからだからね」

「あ……」

 アルフレッドの指がぎこちない手付きで俺の髪に櫛形の其れを差す。
 あまり満足に見れなかった事を残念に思いながら、横目で窺える真っ赤な花弁の一枚に恐る恐る指で触れた。
 瑞々しい葉の感触に実感が沸くと共に、おしろいで覆われた自らの頬が急激に熱を持ったような気がして。

「…ア……アル、」

 城に帰ったら直ぐにドライフラワーにしよう、そう思いながら。
 小さな声が雑踏の音に掻き消されてしまうのが嫌で、俺はアルフレッドの袖を引いて僅かに腰を折らせ、耳元に直接「ありがとう」と吹き込んだ。



 



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