君がいる明日
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無償の愛≠無限の愛
無償の愛≠無限の愛6
例えばの話。
『もしもあの時こうしていれば』そんな後悔は誰にでもあると思う。
勿論ヒーローにだってあるさ!
――あるんだ……。
「何しに来たんだ……帰れ……帰れよ! っちくしょう………れ……っ、……ばかあァ……ッ!」
───ねえ、俺はヒーローかな。
彼の家の傍でキャブから降りて、まず耳にしたのは。
「これ以上、俺から何が欲しいんだ!」
「おいイギリス! 落ち着けって!! それカナダだから! アメリカは此処にはいねえよ!」
聞き慣れた声の筈なのに何処か遠い、二人の大人が叫ぶ声。
そして強張る身体を引き摺るように僅かに身を乗り出して、物陰から見たものは。
「っ……要らないッ……て、云った! お前が云った!! 俺に!! 云っただろ!? やめろよ……もう、やめてくれ……ッ」
カナダの襟首を掴んでいた手を離して地面に崩れ落ちる、イギリスの姿だった。
(……俺は……、俺は……)
頭の中で繰り返すのは、自分でも何が云いたいのか良く分からない言い訳。
違う、違うよ。そうじゃない。
何も要らないから……なんて、きっとこの先も云えないけれど。
でも其れは君からの愛とか、優しさとか、笑顔であって。
君から何かを取ろうとしてるんじゃない。
そんな風に泣かせようとしてる訳じゃないんだ。
───それとも君は、其れすらも、もう何も俺にはくれたくない?
肩を震わす彼に手を伸ばすフランスとの間へ割り込んで、抱き締めたくて堪らない気持ちはあるのに。
それ以上に足が竦んで、心臓が止まったようにピクリとも動けなくて。
何度足を進ませようとしても、俺はその場に立ち尽くしたまま彼に近付く事は出来なかった。
──ほら、フランス。
妖精なんかいないじゃないか。
だって、俺が今彼の家に背を向けたのは、そのまま走り出しているのは、紛れもない俺の意思なんだから。
俺はきっと、彼がいなくなる訳なんか無いと思ってて。
彼がいたから何でも出来る気になってたんだ。
もう、戻らないのか……確かにこの手の中にあった筈なのに。
『───にげるの?』
聴こえた気がした誰かの声に答える。
「違うよ、俺は……イギリスの傍にいない方が良いんだ」
俺の存在が、彼を傷付ける事しかできないなら。
そんな事は望んでいない、それだけは確かに云えるから。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
(……静かだ……)
慣れ親しんだ薔薇と紅茶の香りが気持ちを落ち着かせてくれる。
夢と現をたゆたう意識を彼方に預け、俺は静かに夢想した。
もう失ってしまったのだと思った愛し子が、再び俺を「特別」の位置に於いてくれた。
俺に「此処に居て良いんだ」と、そう思える居場所と愛をくれた。
今度こそ失いたくない。
俺に出来る事は何でもした。
どうすればあいつが喜ぶか、何をすればあいつが俺を必要と思ってくれるか、そればかり考えた。
再び失ってしまう恐怖を誤魔化すように、愛して、与えて、注いで。
なあアル、アル、俺達……今度こそ一緒にいられるよな?
…………そんな馬鹿な事を考えたのも、今はもう昔の話。
愚かだった自分に、吐き気すら催す。
俺にはデカすぎたんだ。
俺には過ぎる幸せだった。
夢も希望も愛も、もう何も要らない。
まるで只の一人の人間になったような夢の時間。
そんな愛しくも儚い時間は終わりを告げた。
俺は国だ、お前も国だ。ただそれけで良い。
そうだろう?アメリカ。
───何も要らないから、望まないから、もう俺から何も、お前を奪わないでくれ。
夢を見ているのに程近い、そんな微睡みから醒めてゆっくり目蓋を持ち上げると、見慣れた天井が視界に映った。
「……落ち着いたか?」
静かに耳に届くのは、腐れ縁の隣国の声。
「…………カナダは……」
「先に帰した」
「――そうか。……なあ、」
ずっと心配を掛けていた事は知っていた。
酷い事をしてしまった。
「断る」
「まだ何も云ってねぇだろ」
「カナダに何か云いたいなら、自分で伝えろよ。その方があいつも喜ぶ」
「……」
そう……だろうか。
人違いでしたごめんなさいと、そんな謝罪が喜ばれるとは思えない。
何時の間にか寝かされていたソファの上、のろのろと頭を起こして辺りに視線を巡らせど、フランスの姿は見当たらなかった。
それはつまり、フランスからも俺のこの惨めったらしい姿は見えない位置にいる訳で。
気遣いに少しだけ感謝してやりつつ、俺は仰向けに四肢を投げ出して、照明が眩しかったから片手の甲で伏せた目蓋を覆った。
「お前、一回ちゃんとアメリカと話し合えよ」
「……断る」
「お前だって、最初はちゃんと話したいっつってたじゃないの」
「そ……だけどよ、」
確かに、別れた当初は話したかった。
訊きたい事があった。
自分に落ち度があるのなら謝って、直せるものなら直したかった。
けれど。
「……話さなくても……あいつの目と、態度で……分かっちまったんだ。俺が傍に寄るだけで不快だって、俺なんかもう要らねぇってな」
思い出すと締め付けられるように痛む胸を、気付かない振りで続ける。
「………もう、良いんだ……次、あいつに何か云われたら立ち直れる気しねーもん」
大丈夫、あいつが独立した時だって……今も平気とは云えないが、大分マシになった。
あいつと……恋人になれたから。
それはもう、終わってしまったけれど。
次の7月はどうやってやり過ごそうか。
「今だって充分立ち直れてねーじゃねぇかよ」
溜め息混じりの声は無視する。
そんな事は云われるまでも無く自分が一番分かってる。
「……アメリカの事、嫌いになったのか?」
「――なわけ、ねぇだろ……」
何でも無い事のように云いたかったのに、声が震えた。
翳した腕を更に強く目蓋へ押し当てる。
「んじゃまだ好きなの?」
「………」
何を云わせたいのか、この髭は。
「……お前は、さ……。アメリカが自分を好きで居てくれないと好きになれないのか? 自分を好きなアメリカじゃねぇならもう良いってか?」
「は? んな事……」
「なあ、知ってたか? あいつ、お前と付き合う前、よく俺んとこに相談に来てたんだぜ? っつても、何でイギリスはOKしてくれないんだだとか、お前が直ぐ子供扱いしてくるだとか、あとお兄さんがお前と好きでもない腐れ縁やってる事に対する因縁だとか、文句ばっかだったけどなー……」
この髭は一体何を云いたいのか。
「……テメェも、だから一回振られたぐらいで諦めんなっつーのかよ」
「は? 付き合う前と付き合った後を比べてどうすんの。んな次元の違う問題を、数だけで比べたってしょうがないでしょーが」
「え、いや……」
その言葉は是非アメリカに云って欲しい。
何か云う前に、フランスが立ち上がる気配がして言葉を呑む。
「あのね、俺が云いたいのは……それまで当たり前だったのが失くなると、辛いよなって話」
「……?」
「俺が知る限り、あいつ独立する前からずっとお前のこと好きだったろ?」
「それは……本人からも聞いた」
子供相手に言い聞かせるような、意図してやってるんだろう優しさの滲んだムカつく声が降る。
「……逆にアメリカも、あいつなんて生まれてからずっとだぜ? お前が傍にいて、家族愛だろうが兄弟愛だろうがずっとお前に愛されて、何だかんだでお前、あいつの事本気で拒んだ事なかったろ。独立した時だって……っと、この話はまあいい。……いっちばーん好きな奴にベッタベタに甘やかされてよ、知らなかったんじゃねぇの? 傷付くって事。今頃後悔してんじゃねえ?」
幾ら後悔された所で、これ以上は続けられない。
俺だって色々考えたんだ。
「……もう決めたんだ。俺はもう、あいつの家族でも恋人でもねぇ。今はまだ……無理だが、その内ちゃんと……」
「なら其れ、どうにかしろよ」
目蓋の上から押し当てる腕とは反対の、何時の間にかポケットに突っ込んでいた右手を指摘されたのだと分かってギクリと肩が強張る。
「――アメリカんちの合い鍵だろ? 家族でも恋人でもねぇなら持ってんの可笑しいだろが、んなもん」
具合が悪いのも忘れて跳ね起きる。
これくらい、持っていたっていいじゃないか。
「これは……こ、これくらい良いじゃねぇか!」
確かに愛されていた、その証すらも手放せと云うのか。
フランスは憤る俺に軽く肩を竦めて見せた。
「まあ俺は良いけどよ。アメリカは『そのうち』なんて待っちゃくれないんじゃねぇの? 一度ちゃんと話せよ、んで別れるならそいつ突っ返して三行半を突き付けてやればいい」
「…………」
「んで、また100年でも200年でもあいつに想われて、落とされればいいだろ?」
ソファの上に身体を起こして睨み付ける先で、フランスが嫌な笑みを浮かべる。
あまりに確信犯的なその笑みに、今まで考えた事も無いような指摘にも関わらず、何故だか図星を指された気にさせられた。
「……やなこと云うなよ、」
つまりこの髭は、どうせ最後はよりを戻すんだから、さっさと話し合ってやり直せと云いたいんだろう。
あいつと向き合って話し合う自分を想像し掛けて……やっぱり無理だと緩く首を振る。
「――けど俺、次アメリカに何か云われたら、あんな目で見られたら……本当に今度こそ立ち直れねぇ気がするんだ」
ポツリと、下を見ながら呟き落としたら、大袈裟に肩を竦める気配と半ば呆れ混じりの冗談めかした声が降って来た。
「大丈夫だろ、あいつだっていつまでも餓鬼じゃねぇんだ。ベッタベタに甘やかし続けて来たママの教育不足だろ?」
「うるせぇ、んな事してねぇよ」
「はっ、どうだかー……。まあ、上手く行かないのもしょうがないさ。初恋なんだから」
「……あ?」
訝しんで見上げれば、思った以上に真剣な海色の双眸と視線が合う。
「ん? なによ。お前、アメリカ以外に恋したり愛した事あんの?」
「……、……ハ、ハハ」
少し考えて、笑った。
「………ねーな」
1000年も生きて来て初恋だなんて、しかも其れが元弟相手だなんて、とんだ笑い話じゃないか。
「だろ? 初恋がどうして上手くいかないって云われてる知ってるか? 一人目、二人目……失敗して色々学んで行くんだ」
「……じゃあ、俺とアメリカも……」
終わり、なんだろう。
そうしてまた何時の日か、お互い別の相手を好きになるのか。
「最後まで聞けって。──……人間なら何千、何億もの人の中から自分に合った相手を探せる。……けどな、俺達は違う。永い刻を過ごすたった一人を選ぶなら、相手は限られて来る」
「……」
「なら、同じ相手と何度やり直したって良いんじゃねぇ?」
「フランス……」
ああ、もう。テメェは結局そこなのかと、首を締め上げて問い質したい。
そんなに、そんなに真剣な目で云う程、俺とアメリカは……やり直せるように見えるのだろうか。
「…………俺は……、……」
付き合っていた時からの癖。
絶対に失くしてしまわないように、常に右側のポケットに入れて暇さえあれば弄くっていた其れを取り出す。
チャラチャラと奏でる音は、最早俺の生活の一部だった。
「――……アメリカに行ってくる。あいつに逢って……これ、返してくる」
「……本気か?」
俺の言葉が意外だったのか、フランスが本気で驚いたような阿呆面で口を開けて見下ろして来る。
「ああ。……きっと、今のままじゃまた同じ事を繰り返しちまうから……。俺達は、一度離れた方がいいんだ」
「けどよ、」
「……まだ、自分の気持ちが迷子になっちまったみてぇに分からねぇんだ。……あいつのことは大事だ。多分、この先何があっても……」
けれど、こんな気持ちのままでは再びスタート地点に立つ事すら出来ない。
いい加減見下ろされているのも癪だったから、俺はゆっくりとソファから立ち上がって正面からフランスを見据えた。
「なあ、愛の国の野郎さんよ。――優しさや愛ってのはさ、なくなっちまうもんなのか?」
答えは聴かずに横を擦り抜けて歩き出す。
上着を取って、簡単に荷物を纏めて。
いつの間にかポケットの中に舞い戻っていた鍵を弄くりながら。
「……俺はずっとあいつを愛してると……本気で思ってたんだ」
俺は今、あいつを愛していないのかも知れない。
だってあいつに酷い台詞をぶつけてしまった。
でももしかしたら、今も愛してるのかも知れない。
寝ても覚めても、頭の中はあいつの事で一杯だから。
ただ一つ云える事は、今の気持ちは『家族』だった時とも『恋人』だった時とも違うって事だ。
――あいつに小言を云った数と好きだと云った数、どちらが多かっただろうか……そんな事を考えながら、俺はアメリカ行きの飛行機を手配した。
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