君がいる明日 - main
無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛5


 記憶があやふやで覚束ない。
 途中でハンバーガーを食べたような気もするし、食べてないような気もする。
 色々と考え事をしていたような気もするし、改めて何をと訊かれたら何も考えずに歩いていたような気もする。

 呼吸の仕方を忘れたみたいに酸素が足りなくて足が重い。

 俺はこれからどうすれば良いんだろう。
 今はそれすらも判らないけれど。

 ただ、このまま国に帰る気にだけはならなくて、俺はフラフラとロンドンの街を彷徨い歩いていた。


「──あれ? アメリカ?」


 不意に名前を呼ばれて意識が戻る。
 心臓が一つ跳ねて、けれど瞬時に彼では無いと悟った俺は只の条件反射のようにのろのろと振り返った。
 俺に声を掛けたのはカナダ。そしてその隣に居るのが。

「おー、マジでアメリカじゃん。……こんな所で何してんの?」

「フランス……」

 名前を呼ばれて、呼び返して、見知った顔が苦笑で歪む。
 何で俺が君にそんな顔をされなくちゃ……なんて、きっと考える迄も無い。
 俺が此処ロンドンに居る事が余程おかしいんだろう。

 フランスに「こんな所」と云われて辺りを見渡してみれば、今居るのはイギリスの邸宅から程近い場所だった。
 まさか無意識に彼の家の周りでもグルグルと廻っていたんだろうか。

 頭を抱えたいような、泣きたいような、よく判らない気持ちになる。

「……あー……」

 俺が何も答えられずにいると、居心地悪そうに頬を掻いたフランスがパシャ、と足音を立てて近付いて来て。
 後に続くカナダの同じようなパシャパシャと水の跳ねる足音で、初めて雨が降っている事を知った俺は空を見上げた。

 厚い雲に覆われた曇天から、ぱらぱらと冷たい雫が降り注ぐ。

(イギリス……)

 彼が、泣いているんだろうか。
 なんてそんな事、ロンドンに雨が降るなんて今に始まった事じゃないのに。

「……おい、場所移すぞ」

 フランスに腕を掴まれた俺は、空からノロリと視線を移し、他に行く宛ても無いので微かに頷いた。



  * * *



 暖かい部屋に、珈琲の香りと俺の声。

「──だいたい、君の所為で僕までイギリスさんに避けられてるんだからね?」

 正確には、俺とよく似たカナダの声。
 避けられていると云うのは、俺とカナダが顔も声も良く似ているからだろうか。

 フランスの家に連れて来られて先ずは浴室に押し込まれた俺は、今は客間のソファにカナダと向かい合って座ってる。
 カナダとフランスの二人は、今日フランスで行われた二カ国会議の後、イギリスの様子を見に行くと云ったフランスにカナダが同行を申し出てあの場所に居たらしい。

「それは……悪い事をしたね、」

 何も言い返す気になれなくて、一言ぽつりと漏らす。
 カナダは人差し指を立てながらずいと身を乗り出してきた。
 俯き加減の俺の視界に、その姿が微かに映る。

「自分が一番なのも結構だけどさ、失ったら困るものも、あるんじゃないの?」

「うん……その通りだよ、」

「君は昔からそうだった。自分が何をしたって、イギリスさんが許してくれるのは当然だと思ってるんだろ」

「そんな事は……」

「なくないだろ? それでも前は良かったよ。君がイギリスさんの事を好きなのは誰が見てもよく分かったし、僕も応援してた」

「………」

「けど最近の君は……って、アメリカ? えっ、ちょっとっ……どうしたの!?」

 慌てふためくカナダの声が聴こえたけど、俺は顔を上げる事が出来なかった。
 ソファに深く腰掛けた背を丸めて、膝上に肘を立てて指先を組んだ上に額を預け、ともすれば今にも崩れ落ちてしまいそうになる身体を支える。

「ア……アメリカ? いつもみたいに言い返さないのかい?『当たり前じゃないか』『悪いのはイギリスなんだぞ』って……」

「……いわないよ……」

 云える訳がない。
 以前なら自信満々に云ったであろう台詞は、今は何一つ出て来なかった。

 顔を上げてカナダを見る。
 驚いているような、それでいて悲しそうな、そんな顔。
 俺と同じ顔でそんな情け無い表情をしないで欲しい。

 ──今だけは、俺の方が情け無い顔をしているかも知れないけれど。



「──……お〜、アメリカお前、いい顔になったな」

「……それ、嫌味かい?」

 お互い視線を合わせたまま言葉も無くカナダと均衡していると、二人しか居なかった部屋にフランスが入って来た。
 テーブルの上、俺の前に一人分のパンとスープが置かれる。
 きっと急いで作ってくれたんだろうに、相変わらず美味しそうだった。

「少なくとも、この前の世界会議の時よりかはマシな顔してると思うけど?」

「……それは……そうかもね、」

 前回の世界会議と云えば、俺がイギリスを追い掛けようとして日本に止められて、そのまま見失ってしまったあの日。

 もしあの時ちゃんと追い掛けて話し合えていたら……其処まで考えて止めた。
 今朝の出来事が、少し早まるだけだ。
 どうせ巻き戻すなら、もっと……もっと前じゃないと。

「あーあ。お兄さんが云いたかった事、みーんなカナダに云われちゃった」

「えっ、す……すみません僕……」

「いや謝る所じゃないからね?」

 目の前に置かれた食事へ、ノロノロと手を伸ばす。

「――入れなかったろ、イギリスの家」

 不意に降ってきたフランスの静かな声に、視線だけで応えた。
 何が云いたいのか判らない。

「違うよ、入らなかったんだ」

「いーや、違うね。何度行っても入れねぇよ。……俺もお前の独立を手伝ってから暫くは入れなかった」

「……彼の不思議な力を信じるのかい?」

 妖精とか魔法とか、イギリスはそんな非科学的な力を信じてる。

「ま、これに関しちゃな」

 肩を竦めるフランスから視線を外して、温かいスープをスプーンで掬う。
 此処にはマナーに五月蝿い彼はいない。
 音を立てて啜ったらフランスが少し眉を潜めたけど、それだけだ。


「──人殺し」


 突然のフランスの声に、肩がビクリと震えて器とスプーンが大きな音を奏でた。

(……な、に……?)

 不穏な単語。何の脈絡も無い筈の其れに、心臓が嫌な音を立てて騒ぐ。
 言葉が出て来なくて呆然と見上げたら、立ったまま腕を組んで俺を見るフランスの真剣な眼差しと目が合った。

「……あいつ、イギリス……お前と顔合わせた後は数日まともに飯も喰えないんだぜ? まるで死人みたいだ」

「……っ……」

「──……けど、作ってやって目の前に置けば一応食べるんだよね。……今のお前みたいにさ」

「……え……?」

「お前、今あいつと同じ顔してるぞ」

「………」

 同じ顔、と云われても。
 そんなことを云われても。

 手放してしまったスプーンを再び掴む気になれなくて、俺はただ動きを止めて一点を見据えた。

「……で、お前はどうしたいんだ?」

「え?」

 さっきからフランスの言葉に全然思考が追い付かない。
 それでも、向けられる真剣な眼差しに俺も知らず背筋が伸びる。

「どうすんだよ」

「……どう、って……」

 視線を感じて其方を向けば、カナダも俺を見ていた。
 正に固唾を呑むといった大袈裟な様子に、けれど俺は笑う余裕も無くて。

「──どうって、そんなの……」

 何を話せば良いか判らないけど。
 彼の拒絶を思い出したら足が竦むけれど。

「そんなの、イギリスと話したいに決まってるじゃないか」

 俺の顔が二人の目にどう映ったかは判らない。
 でも俺は、覚悟を決めて顔を上げた。

「……ま、今のお前なら大丈夫だろ」

 フランスが、話は終わりとでも云うように瞬きと共に俺を視線から外して踵を返す。

「え?」

「しょーがないから、お兄さんが取り持ってやるって云ってんの。不出来な弟達の仲をなぁ」

 によりと唇で半円を描いたフランスは、何処か楽しそうで、何だか嬉しそうだった。
 ずっと、心配を掛けていたんだろうか。

「あ。アメリカ、お前はそれ喰ったら帰れ。自宅待機な。あいつ今お前の顔見るとマジでヤバいから」

「……分かったよ」

 念を押すように指差すフランスに、片手を挙げて応える。


「……アメリカ、」

 部屋を出て行くフランスの後ろに続いていたカナダが、不意に振り返って俺の名を呼んだ。

「なに?」

 ちぐはぐに眉を寄せて難しい顔をしているかと思ったら、小走りに駆けて来て。

「……さっきの言葉……、訂正するよ」

 顔を上げて視線を合わせれば、視界に移り込むのは瞳の色が違う自分と良く似た相貌。
 少し困ったように、けれど澱んだ心を軽くする優しい微笑みは、きっと俺には出来ない。
 イギリスも……どうせならカナダみたいな奴と付き合った方が幸せだったのかも知れない、なんて考えが思わず脳裏を過ぎった時。

「――僕は……今も、君とイギリスさんを応援してる」

 ソファに深く沈んだ俺の上に、カナダの言葉が降り注いだ。

「だって……君はイギリスさんといる時が、イギリスさんも君といる時が。僕が見て来た中で二人が一番幸せそうな顔をしてるから」

 咄嗟に反応を返せなくて、ただ目を見開いてカナダを見上げる。

 嗚呼、そうだ。
 幸せだった、幸せだったよ。
 忘れてたんだ、そんな大切な事を。
 カナダの穏やかな微笑みを見ていられなくて視線を落とした。

「……僕、間違ったこと云ってる?」

「ううん、その通りだよ。イギリスといた時が、一番幸せだった……でも、」

 "幸せだった" 過去形だ。
 けれど、けれども。
 もしも願いが叶うなら、まだ間に合うなら、俺は――。

「でも、じゃない! 頑張りなよ? 君は肝心な時に素直じゃないんだから」

 拳を振り上げる仕草をするカナダは全然怖くなくて。
 俺は少し笑った。

「……オーケィ.兄弟」


 フランスが先に出て行ってから大分経過している事に気が付いたカナダが慌てて出て行って、誰もいなくなった部屋でゆっくりと肩の力を抜く。

 イギリス、

 ……イギリス……。

 …………アーサー。


 彼に総てを委ねていた幼い頃の俺と今の俺は違う。

 自由を求めて高みを目指して、彼と争ったあの頃の俺とも違う。

 どんなに避けられても彼とのハッピーエンドを信じていたあの頃とも。

 ひたすらに彼を追い求め続けた100年前とも。

 彼と思い通じ合えた数年前とも。

 彼を疎ましく思い始めた1年前の俺とも、簡単に仲直りするつもりでいた昨日の俺とも。

 そして今朝、彼に会う前の俺とも今の俺は違う。


 ……やり直せるだろうか。

 まだ、間に合うだろうか。

 身勝手なハッピーエンドを信じても良いだろうか。


「──……よしっ、」


 居ても立ってもいられなくなった俺は、立ち上がって歩き出した。

 ねえイギリス、泣いてるの?

 それとも怒ってるのかい?

 今すぐ君に逢いたいよ。

 今なら、君のどんな話だって聴くのに――。



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『…お、見ろよアル! お前の国にも妖精がいるぞ!』

 俺の隣を歩いていた彼がパッと駆け出して声を弾ませる。
 見た限り、どうやら彼の足元に何かいるらしい。
 生憎、俺の目には彼一人しか映ってはいないけれど。

『……君の幻覚や病気はもう仕方無いって諦めてるけどさ、俺の国にまで持ち込まないでくれよ……』

『なっ! 幻覚じゃねえ! ったく……自分の国にいる妖精も見えねーのかよ。……ハハッ、かっわいなーおまえ……』

 後ろ姿だけでも分かる。
 きっと彼はだらしなく目尻を下げた阿呆面をしてるに違いない。
 俺には滅多に見せないその顔を、ただの地面に向けて一体何をしてるのか。

『白くてもっちもちだ、なんかお前に似てるぞ』

 ずんずんと歩幅も広く彼に歩み寄った。
 正面に回ってしゃがみ込んで、両手で頬を捉える。

『アーサー! 今君の目の前で、君と一緒にいるのは誰?』

 殆ど無理矢理引っ張るみたいに自分の方へ向けたら、少し痛そうに歪んだ彼の顔がけれど俺の視線が合うと微かに頬を染める。

『ア……アルフレッド……』

『じゃあ、俺と君は今何してるの?』

『……デ、デート……アメリカの、公園で……』

 ぽそぽそと、ささやかに紡がれる声に満足して手を離した。

『そうだよ。分かったら幻覚なんか見てないで俺を……』

『あああああ!!』

 突然、叫び声と共に肩を押されて後ろにひっくり返る。
 尻餅を着いて、少し距離が空いてしまった先にいる彼を見た。

『……っ……!?』

『バカッ……お前! 踏んでンじゃねーか! だっ、大丈夫か……?』

 よく分からないけど空中を撫で回して地面と戯れる彼を、なるべく視界に入れないように立ち上がる。

『あ……おっお前が悪いんだからなっ! あいつの事踏むから……っ! け、けどお前も何処か怪我は……アル? どっ、何処行くんだ……?』

『……帰るんだよ』


軋み始めたのは、何時の頃からだろう。


>>>>>>>>>>>>>>>




 遠くから、一目だけでも。
 俺に向けられるものじゃなくても良いから、彼の不器用な笑顔が恋しくて堪らなかった。

(遠くから……見るだけなら良いよね)

 フランスの家を後にした俺は、再びイギリスの地を目指して歩き出した。

 フランスからの忠告も忘れて。


 



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