君がいる明日 - main
無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛3


 ロンドンに着いた俺は、直ぐさまイギリスの邸宅へ向かった。
 門を潜り抜けると、微かに香るのは彼が手塩に掛けて育てた薔薇の匂い。
 そのまま石畳を渡って古めかしい玄関の前に立つ。

(……顔を見たら、まずは何て云おう……)

 飛行機の中でもロンドンに降り立ってからもずっと考えていたけど、結局彼と穏便に事を進められるような第一声は浮かばなかった。
 いっそ普段通りに話し掛けたらどうだろうか。
 迷っていても埒が明かないので、先ずはイギリスに逢う事が先決だと扉をノックしてみる。

「………」

 目の前の開かない扉を見詰めて暫しの沈黙。
 居留守……ではない筈。
 古くからある彼の邸宅はカメラ付きインターフォンなど導入していないし、今日の俺は騒いだり乱暴に扉を叩いたりはしていない。

(留守……? 其れとも彼に何か……)

 過去、何度かアポ無しでこの家に突撃した時に、何を作っていたんだか爆発したオープンの爆風に吹っ飛ばされて頭を打って気絶していた彼を発見した事や、過労で力尽きてスーツを着たままソファで寝ていた彼を思い出す。
 時たまそんな事があるものだから、いつしか事前にアポイントメントを取るよりも、突然訪れる事の方が多くなった。
 そんな事を定期的に繰り返して居たのは、もういつの話だろうか。

「……う〜ん……」

 彼は用心深いから、家に居ても必ず鍵を掛ける。
 けれど用心深さよりも忘れっぽさの方が際立つ彼だから、結局鍵が掛かっているか否かで不在を判断する事は出来ない。
 そんな時、以前なら扉を壊して勝手に入ったものだけど――。

「……しょうがない、待ってよう」

 何故だかそうする気にはなれなくて、俺は扉の前に座り込んだ。
 仕事で出ているなら、そのうち帰って来る筈だ。





「……。……ハンバーガーでも持って来れば良かったな……」

 けれど辺りが暗くなり始めても彼が帰って来る事は無くて、家の中から物音がする事も無かった。
 そして俺は何度腹の虫にせっつかれても、何かしら食べ物があるだろうこの扉の向こうに無理矢理入る気になれずにいる。
 以前なら、この扉を壊して開けて勝手に中で寛いで待ってる事なんて造作もなかったのに。
 扉を壊す事で彼とどうこうを心配してるんじゃ無い。
 中で彼が倒れているかも知れない僅かだけれど絶対に無いとも言い切れない可能性よりも、背中をザワザワと這うような、そうしてはいけない気持ちが勝ったんだ。

 触れてはいけない、壊してはいけない、入ってはいけない。

(何だか、この家に拒まれてるみたいだ。……ううん、まるで彼を護ろうとしてるような……、なんてね)

 あまり気の長い方ではない俺が、随分待ったものだと思いながら立ち上がる。
 長いこと同じ体勢でいたから凝り固まってしまった筋肉を、伸びをして解す。

「う〜〜ん………よし!」

 こんな事で諦める俺では無いけど、今日の所は引き上げよう。
 ピリピリと余裕の無かった気持ちが、少しだけど彼に馴染んだ匂いと場所に触れて落ち着いた気がする。

(俺ってもしかして、自分で思ってたよりも彼の事が好きだったのかも……)

 ずっとずっと好きだった筈なのに、今更こんな事を考えるなんて。
 暗がりの中で照れた頬に熱が集まるのを感じながら、俺はその場を後にした。








「………行ったか?」

 近付いてくる小さな気配に気付いたイギリスが、ゆるりと目蓋を持ち上げて自分以外に誰もいない空間へと確かめるように問い掛ける。

「……そうか……」

 一見何もない虚空を見遣った後、自身の友人が頷いたのを見て再び目蓋を閉ざした。
 ずっと気を張り詰めていた所為で気付かなかった息苦しさに、ネクタイへ指を掛けて少し緩める。

「……絶対に、中に入れないでくれ」

 身を横たえているソファは狭いし固いし、決して寝心地が良いものではないけれど。
 ベッドまで移動する気が起きないイギリスは、漸く余計な力を抜く事が出来た身体を少し身動がせて、革張りのソファへ顔をうずめた。

「───…………」

 こんな時に呼べる名前は、もう無いのだと思いながら。



<<<<<<<<<<<<<<<



 手を掛けるとあっさり開いた扉に、奥へ呼ばれるように足を踏み入れて驚いた。

『……イギリス……!?』

 ソファの上に身体を横たえてぐったりと四肢を投げ出す彼の名を呼ぶと、重たげな目蓋がのろのろと持ち上がって。

『……あ? ……あめりか……?』

『「あめりか…?」じゃないよ全くもう! なんでソファになんか寝てるんだい!』

 呼ばれた名前の力の無さに、思わず悲鳴みたいな声を上げる。

『それは………あー……昨日帰って来てからの記憶がねぇ……、って、ちょっ……なっ何すんだよ!』

『何って、ベッドに運ぶんじゃないか』

 抱き上げると、余りの軽さについつい眉間に皺が寄って不機嫌な声が出た。

『いいから降ろせばか! っつかどうやって入って来やがった! また扉壊したのか!?』

『やーなこった。玄関なら鍵が掛かって無かったんだぞ。相変わらず物騒だな君は』

『は? 俺ちゃんと鍵掛けたぞ』

『君の忘れっぽい記憶なんか当てになる訳ないじゃないか。……はい、到着』

 勝手知ったる彼の寝室へ足を踏み入れて、ベッドの上にポイと投げる。

『てめぇ……! ……ん? え、あー………鍵の件は、まあいい』

 不意に斜め後ろを見上げた彼が、虚空に向かって微妙な相槌を打ったかと思ったらまた俺を見て急にそんな事を云う。

『……何だい? 何も無いとこなんか見てさ……またお得意の幻覚?』

『幻覚じゃねぇ!』

『はいはい。じゃあ俺は適当に何か摘ませて貰うよ』

 仕事を片付けて直ぐに来たから、お腹がペコペコだった。
 くるりと踵を返すと、背中に声が掛けられる。

『あ、待て。今日はまだスコーン焼いてねぇんだ、ちょっと待ってろ今……』

『……いらないよそんな食物兵器』

『んだと!』

『………君には、俺が目の下に隈を作ってるような人に食事を用意させる男に見えるのかい……?』

『ん? 何か云ったか?』

 彼の世話焼き……特に俺の世話を焼くのが好きな事は知ってるけど、こんな時までそれを発揮されると何だかモヤモヤする。

『何でもないよ! そんな事より!! 動けなくなる前にさ……もっと俺の事……た、たた…頼……っ……』

 頼ってくれれば、いいのに。
 遠慮も子供扱いもしないでさ。

『た? ……ああ、確か棚の中にヒゲ野郎が持ってきた菓子があったな。まだ喰えるだろ』

『………うん……、貰うよ』

 いらないよ。

『あと冷蔵庫の中も勝手に開けて喰えそうなもん喰え、あっけど散らかすんじゃねーぞ。それと長旅で疲れたろ、シャワー浴びんなら着替え用意するぞ? つか今日は泊まってくのか? 客室……は、後で掃除するか……、……アメリカ?』

『……君は………』

 このモヤモヤが、溢れて溢れて溢れ出してしまったら、俺はどうなるんだろう。
 彼はきょとんと首を傾げていた。

『アメリカ? ……──ん? どうした? ……え? あ、あー……そうだな。…………おい』

 俺を呼んだ後、また意識を虚空に飛ばしていた彼が、何故だかほんのり頬を染めて俺をジト目で見上げる。

『……なに』

『……今日は……その、助かった。お前も、いつの間にかデカくなってたんだな……』

『え?』

『あっ! けど鍵は俺が掛け忘れたんじゃねーぞ! 妖精さんがっお前が来たのに気付いて開けたんだかんな! あと今の礼もお前の為じゃなくて、妖精さんがお前に云えっつーから紳士としてだな……だから、その……サンキュ。助かった』

『………全く、幻覚の所為にしないとお礼の一つも云えないなんてね! けど今の俺は気分が良いから、君が起きたら特別に珈琲を淹れてあげるんだぞ!』

 俺が彼にお礼を云う事も少ないけど、彼が俺に素直にお礼を云う事も少ない。
 対等な立場を手に入れる代わりに、遠い遠い昔に置いてきてしまった、沢山のものの内の一つ。

『なんで自分んちでわざわざ珈琲飲まなきゃなんねーんだよばか! 紅茶にしろ! おいアメリカ! 聞いてんのか!?』

 けど俺は、全部がいい。
 我が儘だって云われても、俺は彼の全てが欲しいんだ。
 小言だって、他の……例えばシーランドなんかに云っているのを見ると……まあ、うん、俺は弟に戻る気なんかさらさら無いんだけどさ。

『そんなこと聞く訳ないじゃないか! 良いから君は早く寝て、その不細工な目の下の隈を取るといいんだぞ! あと、次からは俺を呼びなよね!』

 俺も君も、きっと凄く不器用だ。
 それでも俺は、君がイイ。


>>>>>>>>>>>>>>>




 彼との思い出は、決して嫌な事ばかりではない。
 当たり前だ。
 もしお互いに嫌な部分しか無かったら、好き合って付き合う迄に至る筈がない。

 俺はずっと彼が好きだった。
 そして彼も。
 彼からの愛情は家族としての方が長いけど、それでも。


 イギリスの邸宅はもう見えない。
 俺は鞄の中に放置されていた仕事用の携帯電話を取り出した。
 電話帳から自分の部下の番号を選択する。
 時差?そんなの気にしてたらヒーローにはなれないんだぞ!

「……Hello,俺だよ俺。今? HAHAHA,ロンドンさ! ところで……」

 家に行って逢えないなら、もっと確実に彼と逢える場所に行けば良い。

「英国で行われる次の会議はいつだい? ワオ! 明日!? ……それ、俺が出たいんだけど、いいかい?」

 勿論有無を云わせるつもりはなかった。
 俺やイギリスみたいな国家は国の顔だから、各国で行われる会議にはよく顔を出す。
 けど幾ら国家だからって身体は一つしかないから、当然代理を立てる事もある訳で。

 米国で行われる会議に、別れたあの日からイギリスは全て代理を立てていた。
 代わりに英国で行われる米英間の会議にはイギリスが出席する代わり、米国は俺の代理を立てるのが暗黙の了解となっていた。
 俺はそんな事、了解した覚えはないけど。

 イギリスが裏で手を回したのか、お互いの上司が何か感づいて勝手に気を回したのかは判らないけど、会議の話が俺の方まで回って来ないのだから仕方無い。
 つまり出欠の是非を問われる事も無く、いつの間にか始まっていつの間にか終わってたって事。
 彼に避けられている事実をまざまざと見せ付けられて、少なからずショックを受けた俺は今まで黙って来たけど……。

「あ、俺が出席する事は内緒にしておいてくれよ? ……うん、うん、大丈夫! カークランド卿とは明日仲直りするからさ!」

 これで明日、彼に逢える。


 



戻る
 

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -