君がいる明日
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無償の愛≠無限の愛
無償の愛≠無限の愛21
「やっと君に逢えた……」
たくさん泣いて、漸く泣き止んだ俺達は、彼が腕の中で身じろいだのを合図に抱き締める力を緩めた。
俯き加減にずず、と鼻を啜る眼下の濡れた頬を掌に包み、親指で目許を拭う。
「……妖精さんに感謝しろよ」
彼曰わく、いつかの夜に俺が公園で呼び掛けた妖精はちゃんと存在していて、俺の伝言を伝える為にずっと彼の事を捜してくれていたらしかった。
「ありがとうって伝えてくれよ」
云えば彼はコクリと首を下げて、地面に向かって何事かを呟き落とす。
其処にはやっぱり何も見えなかったけど、そんな事は気にならなかった。
それよりも俺を満たすのは、きっと俺達の足元の何処かにいるんだろう妖精や、日本にフランス……世界中の全て、そして何より彼に対する感謝と喜びの気持ちで一杯だ。
微かに俯く面持ちはその表情を窺えなくて、俺は確かに此処に彼がいる事をもっと実感したくて腕を廻して抱き締め直す。
鼻腔を掠める、雨で薄れてしまった紅茶と薔薇の匂い。吸い込む空気さえ吐き出すのが勿体無いと思った。
「……あ……、」
腕の中で居心地悪そうにもそもそと身じろいでいた彼が、不意に小さく声を上げて。
何事かと彼に倣って俺もそちらを向いたところで、思い出す。
視線の先では、静まり返っていたテーマパークが息を吹き返すように、あちらこちらで光の洪水が沸き起こっていた。
目を白黒させている濡れた翡翠に視線を戻す。
「貸し切るって云っただろう?」
急だったから、丸1日は無理だったけど。夜のテーマパークは俺達二人の貸し切りだ。
名残惜しく思いながら少し離れ、掌を上に向けてゆっくりと差し出す。
湿った空気の所為で涙はまだ乾かなくて格好が付かないけれど、それは彼も同じ事。
衣服は今日1日ですっかりくたびれて、髪型は鏡で見れば酷い事になってるだろう。
それでも俺は微笑った。彼にも微笑って欲しいから。
「──……遅くなっちゃったけど、君と交わしたデートの約束……まだ有効かな」
ぴく、と肩が震えて僅かに戸惑う様子。俺の指先も震えていた。
ゆらりと交わる視線に、心臓が痛いくらいドキドキと音を立てて胸を叩く。
戦慄く唇がきゅ、と引き結ばれて次の瞬間、ふいと身体ごと背けられた。
「っ……アー……」
思わず呼び掛けた名前。伸ばした腕は宙を掻く。
けれど俺が一歩を踏み出す前に紡がれた言葉は、酷く上擦っていて。
「は、早く行くぞ! っなにやってんだ、置いてくかんな!」
呆けている間にもずんずんと肩を怒らせながら進む背中を追い掛けて、横に並ぶ。
追い越す間際に手を掴んだ。雨に濡れた細い指先は、その体温の低さを俺に伝える。
けれども次第に触れ合う箇所からは熱が生まれて、充分なぬくもりを帯びる。あったかい。
「かっ……勝手に繋ぐな!」
叫ぶ声が背中に当たっても手を引こうとする彼を許さずに、俺はきゅ、と指を絡めて走り出した。
「……おまえ、もしかして泣い……ッわぷ!」
「君の手すごく冷たいじゃないか濡れた上着は脱ぎなよ代わりに俺のを貸してあげるからさ!」
彼に背を向けたまま上着を脱いで、掴んでいた手をパッと離すと同時に足を止めて袖を抜く。
捲くし立てながら振り返り、彼のよりかは濡れていない自分の上着を雨除けに頭から被せてやった。
代わりに彼の身体から雨を吸って重くなった上着を剥ぎ取って、小脇に抱える。
泣いてなんかない。ただちょっと、吃驚したり感動したり、嬉しなったり……感情の揺れ幅が忙しくて、涙が勝手に出て来ただけなんだ。
上着の襟首をぐいと引き下げて、彼から注がれる視界を遮るようにすっぽりと頭部を覆う。
引き離そうと藻掻く手首を捕らえれば、彼は帽子の鍔を扱うように上着の襟首部分を指先で押し上げ、俺を睨め付けた。
「この……っ、お前が濡れるだろうが!」
「俺は良いんだよ」
「よくねーよ!」
暫くあーでもないこーでもないと上着論争を繰り広げた俺達は、最終的には二人で俺の上着を被る事にして。
大きく広げて二人で持って、互いの頭に被せる。
端と端を摘んで持って、ぴたりと肩が触れ合うまで身を寄せた。
「……俺はまだ、お前を許した訳じゃねぇんだからな。……つ、付き合ってる訳じゃねえんだからなっ。そこんとこ、忘れんなよ」
「うん、それでもいい。こうして君が隣にいてくれるだけで充分だよ……今はね」
「ッ……ばっ………くそっ」
「早く行こうよ! 時間が勿体無いんだぞ!」
俺達以外に客のいない雨のテーマパークを、どろどろになって駆け回る。
手を引いて、引かれて、走って、子供みたいに。
笑いかければそっぽを向かれて「お前の為じゃないんだからな」なんていつもの台詞。
「なら君の為?」って訊けば赤い顔してぽこぽこ怒り出した彼を宥めて、次のアトラクションに向かう途中、差し掛かった噴水が突然噴き出した事に驚いて顔を見合わせ、二人して同じタイミングで笑った。
どこかに置き忘れてしまったのか、いつの間にか二人分の上着は無くなっていて。
気が付いた頃には、雨は止んでいた。
この一時もそろそろ終わりの時間。
最後に何に乗るか……正解には、何をするか、はもう最初から決めていた。
「……ねえ、次はあれに乗ってよ」
指差す先には、白馬や馬車がくるくると台座の上を回るメリーゴーランド。
煌びやかな電飾が光る屋根の下、主に子供や女性向けに作られた乗り物が上下運動を繰り返しながら太い柱の周りを回っている。
「乗って……って、俺一人でかよ。何で……」
「いいからっ。君こういうの好きだろ?」
「あ、おい!」
「君にプレゼントがあるんだ」
背中を押しながら台座の前まで進み出て、不満気な彼に種明かし。
最終目的は果たせないけど、とは心の中だけで付け加えた台詞。
云えば渋々ながら彼は台座の上に乗って、メルヘンなデザインの白い馬に跨った。
幾度も背後を振り返る彼を見送り、彼の姿が見えなくなると同時にぐるりと一周する為に動き始める其れから離れて距離を於く。
猶予期間が一晩だったにしては、結構考えたと思うんだ。
真正面にメリーゴーランドを見据えて深呼吸。
横に視線を流せば、暗がりに控えている男性スタッフと目が合って、軽く手を挙げGOサイン。
キラキラと輝く屋根の下、見送ったのとは反対側から、作り物の馬に跨った彼が一周して来た。
遠目でも分かるくらい寂しそうと云うか不安げな顔をしていて、もしかしたら一周して戻ると俺がいなくなってるとでも思ったのかも知れない。
そんな彼に向けて、大きく横に広げた両手を掲げながら叫んだ。
「君に、両手で抱えきれない程の花束のプレゼントだよ!」
一瞬の間を於いて、背後で上がる炸裂音が夜空を明るく彩る。
彼が愛する真っ赤な薔薇には劣るかも知れないけれど、喜んでくれるだろうか。
それを表情から窺い知る前に、彼はヒラリと馬から舞い降りて、俯き加減に俺の方へとやって来た。
ツカツカと淀みない足取りが、時折足元に出来た水溜まりを踏み鳴らしながら俺の前で止まる。
「くそっ……何考えてんだバカ。……ズルいんだよ、お前は……なんかもう、色々吹っ飛んじまったじゃねーか」
俯いたまま繰り出された拳が肩に当たり、そのまま徐々に体重を預けられる。
そっと抱いたら震えていた肩は、悲しいからではない筈だ。
「本当は、ここで指輪を渡してプロポーズするつもりだったんだけど……」
事件の事は伏せ、指輪を買いに行っていて遅れた事と、買った指輪を失くしてしまった事を伝える。
彼は疑う事も馬鹿にする事も無く、のろのろと身体を起こして暫し押し黙った。
焦れた俺は顔を覗き込みながら呼び掛ける。
「イギリス?」
「……指輪……なくても、……出来るだろ」
「え?」
ボソリと小さく紡ぎ落とされると共に、緩慢に差し出される左手。
「……ん、」
俯いていた相貌は明後日の方角へと改められ、視線だけが俺をちらと映す。
周囲を照らす電飾の明かりでは顔色までは判らなかったけど、翡翠の双眸に薄らと水の膜が張っている事だけは分かった。
光の下で見たら、きっとすごく赤いに違いない。
「……んだよ、恥かかせんな」
ついとまた少し差し出される左手を取り、そっと持ち上げながら上肢を折って薬指にキスをする。
震えているのが分かったけど、俺と彼のどちらが震えているのかまでは分からない。
吸い痕を残したいのに上手く食めなくて、代わりに歯を立てて咬み痕を刻んだけれど、文句を云われる事はなかった。
「……イギリス……」
「違うだろ」
間髪於かずに訂正を入れる声に視線で良いのかと問えば、漸く彼が俺を見てくれて。
「……おまえ、いま自分が何したと思ってんだ。……いいから、早く……、呼べよ」
「……アーサー……」
「ッ……」
くしゃ、と歪む相貌。
「……ね、君も呼んでよ……アーサー……」
引き結ばれた唇に語り掛ける。
「……ア、ル……」
酷く久々に聴いた気がするその音に、不覚にも涙腺が緩んだ。
「アーサー、アーサー……君がいないと、イヤだよ」
「っ……だったらッ、も……俺から離れんなばかあ!」
これ、罰ゲームだかんな。そう鼻を啜りながら呟いた彼を、幸せに満たされた心地で思い切り抱き締める。
どちらからともなく顔を上げ、互いの双眸を覗きながら少しずつ距離を寄せて。
「……あ」
その時、突然短い声を上げた彼が地面に視線を移した。また見えない何かを相手にしているのだろうか。
「こんな時ぐらい俺の事だけ見てくれよ」
「いや、こいつがお前のこと呼んでるから……お前のズボンの裾喰ってるぞ」
「ええ!? 勘弁してくれよ……」
不満の滲む声が出てしまうのは仕方無いと思って欲しい。
促されながらその場に屈み、彼の視線が向かう辺りに手をやる。
「この辺かい?」
掌に微かに覚える違和感に、見えない何かを撫でようとしていた手を閉じて掌を上にしてから指を開いた。
その真ん中に乗っている、キラリと輝くリングは。
「「あ」」
横から俺の掌を覗き込む彼と奏でる間の抜けたユニゾン。
反対の指先でそっと持ち上げた其れは、確かに俺が失くしたと思っていた指輪だった。
「……拾ったって云ってるぞ」
暫し目を凝らして見るも俺の眸には何も映らない。
けれど、きっとその妖精は誇らしげな顔をしているんじゃないかと思う。
その気持ちに応えるべく、俺は立ち上がった。
「アーサー。……改めて、君に」
緊張で嚥下した唾液で喉が鳴る。再び差し出された左手を取って、薬指へリングを通した。
まるでクサいドラマのワンシーンみたいに、するりと指に嵌る指輪。
以前ならピッタリだった筈のサイズは、彼が痩せてしまった所為で少し緩いようだった。
「早く指輪がピッタリになるくらい太ってくれよ」
「ばか……」
指輪を見詰める彼の表情が蕩けるような笑みに変わり、感極まって抱き締める。
「アーサー!」
「お……まえ、踏んでんだよっ! ばかぁ」
「ん、こうかい?」
濡れた声に、俺まで鼻の奥がツンとした。
踏み出した足が踏んでしまったのか、素直に少し横にずれたら何も云われないところを見ると、どうやら上手く退けられたようだ。
「アーサー……アーサー、……アーサー」
「……アル……アルフレッド……ちくしょう、ばか……アル……」
何度も名前を呼ぶ。同じ数だけ呼ばれて、でも足りなくて、もっと呼んで欲しくて俺も呼びたくて、飽きる事なく何度も繰り返す。
「──……愛してる……」
「……俺もだ」
地面を窺おうとした彼の顎を攫って、俺達は今度こそ口吻けた。
――何が間違っていたのか、如何すれば良かったのか、全てが過去となってしまった今、既に其れを知る由はない。
知る必要も無いのかも知れない。
過去を変える事は出来ないのだから。
けれど、変えられる未来があるのなら。
其処からまた、新しく生まれる道がある――。
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