君がいる明日 - main
無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛20


 乗り入れられるギリギリで停めて貰ったキャブ。もどかしさに歯噛みしながら助手席を飛び降りて、俺は走り出した。

「はぁ、はぁ……アーサー……っ!?」

 辺りは既に薄暗くて、注意深く目を凝らさなければ見落としてしまいそうだと、何時かの公園を駆け回った時よりも慎重に足を進める。

 今度は、絶対に見付けてみせるから。

 走って、止まって、周囲を見回してはまた走って。
 そうして今日のデート先……1年越しの約束を果たしに訪れたテーマパークの敷地内を、徐々に入り口ゲートへ向かってひた走る。

 雨は未だ止まずに、しとしとと降り注いでいた。

(……いた!)

 誰も居ない暗がり、大きなオブジェに背を預けて一人佇む彼を見付ける。

「ごめんっ! 遅くなっ……アー……」

 雨に濡れた身体に俯く相貌。
 その姿に向かい、1分1秒1oさえもどかしい距離を駆け寄ろうとした足が止まる。
 顔を上げた彼の纏う雰囲気に、違和感を覚えたからだ。

「───……嗚呼……来たのか」

「……え……?」

 ゆっくりと顔を上げて俺の方を向く彼。
 何も映さない虚無な眸が、ただ見るともなしに俺の方へと向けられる。

「イギ……リス……?」

 昨日逢ったばかりの彼との言い知れない違和感を覚え、けれど目の前の彼は確かに俺の知る彼で。
 だから微かに震える唇でその名を呼んだ。
 記憶の有無を確認するように。

「てっきり来ないと思ったぜ、前みてぇによ」

 俺の意図を察したのかそうじゃないのか、くつ、と喉を震わせて紡がれた言葉は、記憶が戻った事を俺に知らしめるには充分だった。
 そして彼が、俺を拒絶している事も。

「イギリ……っ……」

 呼び掛けた声、思わず伸ばした手までもが、クルリと向けられた背中に因って阻まれて届かないように感じて。

「全部思い出したんだ。悪いな、付き合わせちまって。鬱陶しかったろ、それだけ云いたかったんだ。じゃ……」

 そのまま歩き去ろうとする背を、どうして黙って見送れるだろうか。

「待って! ねえ……! 好きなんだ! 君が! もう一度だけでいい! やり直したい……また、ここから! 二人で! 俺はその為に此処へ来た!」

 ピタリと彼の足が止まる。
 けれど振り向いてはくれない。
 声が聴こえ易いようにとの配慮か、少しだけ斜めに向けられた相貌が俺の視界に彼の頬を映した。

「……で? またお前が飽きるまでお付き合いしましょってか」

 童顔で丸みを帯びた彼の頬、少しやつれた其処が小さく上下して俺の耳に感情の籠もらない声を届ける。

「違う! もう一度だけでいいんだ! 君が好きなんだ……っ! 今度こそ、大切にする!」

 地面に縫い止められたように動けなくて、俺はその場に留まったまま叫んだ。
 聴こえている筈の彼は、それでも振り向いてくれなくて。

「……聞き飽きた」

 視線の先、少しでも感情を読み取ろうと注視して止まない彼の頬が、ぐ、と奥歯を噛み締めたように口角が引かれて歪に引き吊る。

「今度は違う! ねえ……! 俺やっと解ったんだ! 君がいない毎日なんて考えられない! とても詰まらなくて色褪せていた、君がいてくれないと、ダメなんだ……!」

 俺は尚も言い募った。
 今の俺にはそれしか出来ないのに、出て来る言葉は歯痒いくらい拙くて、全然想いを伝え切れない。

 立ち止まったままの彼。駆け寄る事は出来なかった。

 追い掛けて捕まえなきゃ、違う、それじゃ今までと変わらない。

 無理に近付いたら、そのまま逃げるように消えてしまわれそうで。

「……ハッ、嫌いになったり好きになったり、忙しい奴だな」

 呆れた声音で嘯く彼は、直立していた姿勢を崩し、俺を小馬鹿にするように鼻で嗤った。
 相変わらず、こちらを見てはくれない。

「好きなんだ、愛してる……愛してるんだ、君を。本当だ。優しくしたい、大事にしたい、ずっと一緒に、一番近くにいたいんだ!」

 それでも俺は必死に続けた。
 諦めない、絶対に。
 泣きたい程に拙くたって、たくさん紡げば想いの大きさに届くだろうか。彼に届くだろうか。

「───…………なら、なんでこんな時間に来た」

 緩慢とこちらに爪先を向ける彼。
 漸く振り返った翡翠の双眸と、正面から視線がかち合う。
 一瞬震えたように見えた唇は瞬き一つの間に引き結ばれ、ぎゅっと眉間に寄せられた眉とキツい眦が虚無を捨てて違う色を灯す。

「それは……!」

 俺はポケットに手を突っ込んだ。
 もうムードとか一世一代の告白だとか、彼という存在の大切さに比べたら取るに足らない事を考えてる場合なんかじゃない。
 ───なのに。
 この目に映る彼の姿すら霞む程に、一瞬意識が遠退く。

 指輪が無い。

 店で受け取った時、指輪は無事だったけれどカウンターの中が荒らされていて、箱なんかの付属品がぐちゃぐちゃで、俺は剥き出しの指輪だけを受け取り駆け出した。
 だって急いでたんだ、彼の事を待たせていたんだ。
 鍵とドッグタグを入れたポケットに仕舞ったら、指輪が傷が付いてしまうと思ったから。
 だから……そう、反対側の……。
 ――銃痕が空いたポケットに。

(……落と……した……)

 馬鹿だ、バカだ、ばかだ……。
 君を待たせて焦ってたんだ、君に贈る指輪を手に入れて高揚して、急く気持ちのまま人波を掻き分けた。
 そんな言い訳すら出て来ない。

「──……なあ、何でも言う事聞くって云ったよな」

 殊更ゆっくりと呟き落とされた不穏な言葉に、冷水を浴びせられたかの如く正気付く。
 この話の流れで、どう考えたって碌な言葉が出て来るとは思えない。

「アーサー……っ!」

 焦燥感に駆られるまま、思わず名前を呼ぶと彼の瞳に確かな怒りの炎が灯った。

「呼ぶなッ!」

 俺よりずっと大きな声が空気を震わせる。
 濡れてしっとりと毛先を地に向けるアッシュブロンド。互いの距離感も相俟ってか常より小さく見える身体は酷く心許なく見えるのに、眉間に皺を寄せた相貌が、眦をキツく歪めて全身で俺を拒んでいた。

「アー……っ」

 負けじと呼び掛けようとして、寸での所で思い留まる。
 今は争う時じゃない。権利を手放したのは他でもない、俺だ。
 そうだろう?アルフレッド―――。

「……イギ、リス……」

 促す視線に、強制される事を拒んで震える唇を何とか動かす。
 俺が呼べば彼は薄く口角を引いて満足げな笑みを浮かべた。

「――アメリカ。俺は別に、お前を嫌いになった訳じゃないんだ」

「イギリス……」

「けどな、」

 決意を宿した翡翠に射抜かれる。

「───……もう二度と、俺に近付くんじゃねえ」

 はっきり放たれた言葉に、心臓が止まるかと思った。
 止まらずに済んだのは、彼が直ぐに訂正したからだ。

「いや……、流石に其れはマズいか」

 わざとらしく「仕事上、」と付け加えて強調される。
 顎の下を撫でるように手を添える彼の瞳は、もう俺を見てはいなくて。

「……やだよ、ねえ……待ってよ……」

 力無く首を横に振った。
 一歩足を踏み出すと睨まれて、この会話すら終わってしまいそうな気がして俺は直ぐに足を止める。

「そうだな…………もう二度と、好きだとか愛してるなんて言葉を俺に──」

「イギリスッ!」

 言葉の先を聞きたくなくて、思わず声を荒げた。

 君が俺を好きじゃなくても構わない、悲しいけど今は拒まれたっていい。
 でも、俺が好きでいる事は許してよ。
 何百年掛けても、何千年掛けたって、君から貰った総てを、今度は俺が君に贈るから―――。

 僅かな沈黙。お互いに相手の出方を窺っていたその時、頑なに俺を映そうとしない逸らされたままの翡翠が、不意に見開かれた。
 驚いたような双眸が彼自身の足元へと視線を落とす。

(アーサー……?)

 彼の唇が微かに動いて何事かを口にしたようだけど、此処からでは周囲の暗さと距離で読み取れない。
 もどかしさに一歩踏み出した次の瞬間、彼の相貌がくしゃりと歪んだ。

(……なにが……)

 何か云おうと口を開いて、けれど何も紡がれずに震える彼の唇が引き結ばれる。
 それを何度か繰り返した後ゆっくりと俺に戻される翡翠の眼差しは、その眦に今にも溢れんばかりの涙が湛えられていた。

 何故だか解らないけど泣き出しそうな彼を見て、放って於く事なんか出来なくて。
 気が付く頃には俺の足は既に走り出していた。
 のろのろと俺に向かって手を伸ばそうとしている彼を無視して、その両腕ごと細い身体を抱き締める。
 伸ばされていたように見えた手は錯覚で、きっと俺を拒もうとしていただけなんだろうれど。
 それでも彼が腕の中にいるこの一瞬を夢にしたくなくて、俺は目一杯の力を込めて抱き締めた。

「っ……なんだよ、なんなんだよ……! 今更ッ……ちくしょう……っ!」

「イギリス……何で泣いてるの……? どうしたんだい?」

 大切な人が泣いているのに、慰める言葉も思い付かないまま、俺はただただ彼を抱き締めて何度も尋ねる。
 彼は拒まなかった。
 上を向いて唇を戦慄かせ、空から降る雨よりも熱い雫を零している。

「……おれはっ……ぜってー信じねぇぞ……っ」

 まるで駄々を捏ねるように厭々と首を振りながら同じ言葉を繰り返す彼が、漸く俺に気付いたのか弱々しく身じろいだ。微かな抵抗。
 駄目だよ、今更離せるもんか。

 突然の事態にまだ頭が付いて行かない。けれど恐らく、彼が信じたくないと云っているのは俺の事だろう。

「今は信じてくれなくてもいい。だって俺は……君が信じてくれなくたって、君の事が好きだから。この先ずっとね」

「ッ……おまえ、妖精は信じてないっつってたクセに……なんなんだよ!」

 突然飛び出した単語に、彼が何を云いたいのか理解が追い付かなくて。
 それでも唯一つ、彼の涙が変わった事だけは分かった。
 幾度となく彼の泣き顔を見てきたから解る。これは悲しみの涙じゃない。
 理由は分からないけど、もしこれが妖精がくれたチャンスだと云うのなら、俺は自分の主張を曲げる事になったって妖精を信じてもいい。

「俺には君の云う妖精の姿を見る事は出来ないけど、そんな不思議な所も含めて君の全部が好きだよ」

「……っ、こ……な時だけ、調子いい事いってんじゃ……ねえっ……!」

 耳元で涙混じりに叫んで暴れる身体を、強く強く抱き締める。
 彼の言葉は全部聴く。でも、俺の言葉も全部聴いて貰う。

 聴いて、聴いてよ。聴いて欲しい。
 君に伝えたい事がたくさんあるんだ。

「いつも文句を云っていたのは……、だって、狡いじゃないか。俺には見せてくれない顔で、俺以外の誰かに微笑いかけるだなんて。そんなのを目の前で見せ付けられて、何も文句を云うなって方が無理なんだぞ」

「んだよっ、それぇ……!」

 腕の中の動きが止まり、代わりにキンキンと耳の奥に声が響く。

「仕方無いだろ? 好きなんだから。俺は君の一番になりたいんだ。俺は欲張りだから、自分が君を好きでいる事だけじゃ全然満足出来ないんだ。……君の事、絶対に諦めないよ。それだけは覚えておいて」

 怒鳴り声も止んで、聴こえるのは鼻を啜る音だけになった。
 しゃくり上げる声を呑み込みながら、彼が話し始める。

「っ……例えば、だぞ…! 例えばだからな! 俺がお前とまた付き合ったってなあ! 1年前の俺はもういないんだよ! お前が要らないっつったから、もういない……消えちまった、死んだんだ! 俺はもう、あの頃の気持ちを思い出せない!」

 彼の肩に顎を乗せて全身で抱き締める俺とは対照的に、腕の中で身を縮こまらせて空を仰ぐ彼の言葉。
 涙声で聞き取り難いその一つ一つに、俺は頷き返す。

「おまえ、は……前の俺が好きだったんだろ? 今の俺は、変わっちまった……おまえの事なんか何とも思ってねえし、こうやって殴れるっ……優しくなんかしてやらねえっ! 傷付けるような言葉だって云えるんだよ……ッ! ばかぁ!」

 お決まりの三文字と共に再び彼が身じろいで。
 俺と彼の間から窮屈そうに抜け出した腕に、ぼすっ、ぼすっと肩を叩かれた。

「見くびらないでくれ、俺が好きなのは……君だ。構わないよ、全部。――俺が君を愛するから……君には俺に、恋をして欲しい」

「はっ、させてみやがれってんだ……」

 小馬鹿にしようと嗤おうとして失敗したみたいな、涙混じりの鼻声をスンと鳴らした彼を抱き締める。

「うん、そうさせて貰うよ。……俺が君に恋をさせる事に成功したら、二人で恋愛をしよう」

 だって俺は、もう君に恋をしてるから。
 だから今度は、君に愛を。
 君に負けない俺だけの愛の形を、今度こそ君に届けたい。
 真っ直ぐ、強く、この先ずっと。
 誰よりも愛しい君に、俺の永遠の愛と恋を。
 そして君からも……――欲しい。

 云えば、一拍於いた後に彼が闇雲に腕を振り回し始めた。

「………っ、それ……! 後は俺がお前に恋すりゃ良いみたいな言い方しやがって……っ! 俺がお前を愛してるの前提じゃねーか!」

『愛してる』台詞の中でそう口にした途端、今までだってボロボロと泣いていた彼が一層泣き出す。
 声を詰まらせ、腕の中に収まって小刻みに震える身体。
 今度こそ、君を護るよ。

「違うのかい?」

 泣きすぎて火照った身体を抱き締める。
 彼の流した涙は、俺の頬を濡らして心まで温めるほど溢れていた。
 嫌いな奴に、こんな風にはならないだろ?

「ッ……俺は……!」

「うん、」

「……俺は……もう、嫌だ……お前を失うのは、いやだ」

「うん」

「苦しい、のもッ……お前を苦しめるのも、いやなんだよ……ッ!」

「うん……俺もだ。俺も君を失いたくない……君がいないと苦しい、君を一人にしたくない。泣いてる君を慰めるのは、俺の役目だ」

 肩に預けていた頭を起こして、頬をすり寄せる。

「ッ……俺はな、お前と初めて逢った時から、大好きだ……っばか! 優しくして、大事にして……ずっと一緒に居たいって、思ってたんだからなあ! ばかぁ!」

 殴る手はとっくに止んでいて、代わりに俺の服をぎゅうと掴む彼の手。
 あんまり彼が泣くものだから、俺まで泣けて来て。
 二人して、潰れる程に抱き締め合って、肩を濡らして、目が溶けるくらいにわんわん泣いた。


 



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