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無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛17


 わあっ……と、声にならない歓声と人々の安堵する笑顔を目にして、俺もほっと息を吐く。


 床にくずおれた襲撃者の前に屈んで意識の有無の確認。
 駆け寄って来た男性店員が手にしていたロープを受け取り、気絶した身体を起こすと後ろ手に縛り上げた。

「ヒーロー……っ」

 小さく呼び掛けられて顔を上げる。
 目をキラキラと輝かせて傍へやって来たのは、さっきまで俺の隣で震えていた女の子だった。
 俺はその頭を優しく撫でてから、自分の唇にそっと人差し指を宛てがう。

 まだ、全てが終わった訳じゃない。


 犯人の指示に従って広いフロアの一箇所に集められた状態のまま、固唾を呑んでいる人々を振り返る。
 皆が安心出来るようにと軽く片腕を上げて笑みを浮かべて見せれば漸く安堵の色が広がり、声無き歓声が聴こえて来るようで。
 俺はその期待に応えるべく、何より自国の国民を守る為に静かに立ち上がった。

(そう、まだ終わっちゃいないんだ。なるべく早く、片付けないと……)

 あらかじめ何処かに進入路が用意されていたのか一般人に紛れていたのか、突然二階フロアで発砲したのは、素顔を隠した四人組だった。
 俺が探していた女性店員の後頭部に銃口を突き付けた一人が、あれこれと指示を飛ばす。
 間を置かずして階下からも聞こえる銃声。
 恐らく一階フロアでも同じ仕業が行われているだろう。二手に別れての一斉制圧は悪くない作戦だったと思う。

 犯人グループの行動は素早かった。先ずは人々を一箇所に集め、次いで見張り役を残して他のメンバーが宝石類の回収。
 ショーケースを叩き割って手当たり次第掻き集められた其れらは乱暴に白い麻袋の中へと落とされて、俺の隣にいた制服姿の男性店員が泣きそうな顔で嘆いていた。

 俺は犯罪に詳しくないから、これがどれほどの犯罪レベルか判らないけれど。
 彼の言葉を借りて云わせて貰うなら、「詰めが甘い」。
 更に強いて云えば、目的に気を取られすぎた事と、何よりヒーローがこの場にいた事が悪かった。

 全ての客が一般市民とは限らない。
 幾度も戦地を駆け抜け、何より人並み外れた国家である自分がいた事は、この身一つで床に沈めてしまった彼等にとっては災難以外のなにもでもなかったかも知れないけど、罪のない沢山の人々を想えば本当に良かった。

 人質として一人立たされた女性店員の後頭部に拳銃を突き付けて、辺りに注意を払う見張り役。その無防備な背中を、気配を殺して立ち上がり背後から手刀で一撃。
 手にしていた拳銃を奪い、即座にフロアを移動して近くにいた奴から順に、夢中で悪事を働く背後を襲って気絶させて。
 仕上げに、気を利かせた店員が持って来てくれた通行禁止用のロープで縛り上げれば、まずは一仕事が完了だ。


 此処までは、我ながらまずまずだったと思う。


 手にした拳銃を構え、音を立てないように落下防止の豪奢な手摺りまで近付いて。
 足音を殺したまま体勢を低く落とし、階下の様子を覗き見た。
 丁度真下に見えるのは、同じように一箇所に集められて床にしゃがむ人々と、その直ぐ傍に立つ拳銃を手にした見張り役。
 出入り口にも一人立っている。あとは此処からでは見えないけれど、この二階フロアの真下辺りでは先程見た光景と似たような宝石の袋詰め……もとい強奪が行われている事だろう。

(……さて、どうしようか……)

 既に倒して気絶させた奴から目空きマスクを剥いで被って、仲間の振りをして階下に降りるか。否、もっと手っ取り早く確実な方法は。
 盗る物を全て奪い終えて逃げられる前、宝石に注意が向いて隙がある今の内に何とかしないと。

 努めて冷静にと自分に言い聞かせながら頭の中で作戦を立てていると、視界の端で一般客と思われる男性が立ち上がった。
 眼前の金髪が忙しない足取りで揺れ、見張り役へと詰め寄っている姿が映る。
 先程からキョロキョロとしていて、上から覗いている俺の目にも留まっていた人だ。

「娘がいないんです! お願いです……! 娘を探させて下さい!」

 云いながらも必死に周囲を見渡す男性を嘲笑う卑下た声と、背後から聴こえる心許ない小さな声が重なった。

「パパの声……っ」

 足音を殺す必要も無いくらい軽い身体が、転がるように俺の隣に並ぶ。
 その泣き出しそうな瞳が階下を覗き込む前に、俺は「危ないよ」と手で制して立ち上がった。

「大丈夫、君のパパは俺が助けるから」

 見上げる涙目に自信満々の笑みを返しながら手摺りに指を掛ける。
 下を見遣れば、縋り付く男性に向けて犯人が拳銃を構えている所で、俺は一も二もなく手摺りを飛び越えた。

 流石に今度は、誰にも気付かれずに全員を倒すなんて事は出来ないだろうけど……。

(まずは一人!)

 拳銃を突き付けている犯人の背後に降り立って一撃で沈める予定だった俺は、次の瞬間息を呑む事になる。

「……ッ!?」

 今まさに手摺りから指を離して空中を落下しようとしている俺という存在から、突然音がしたのだ。
 正確には、上着のポケットに入れていた携帯電話から着信メロディーが鳴り響いた。
 ガラスの割れる音と宝石類を掻き集められる音が反響するフロアに、アメリカ国歌が流れる。
 その場にいた全員の視線が俺に集まり、丁度拳銃を構えていた眼下の強盗がその銃口の先を俺へと定めた。

(まずい……ッ!)

 咄嗟に顔の前で腕を交差させて頭を庇う。

 こんなピンチの時に浮かぶのは、馬鹿みたいに彼の顔で───


(───……アーサー……!)


 パン、パンッ───


 二発の銃声が響き渡った。











「……アルフレッド……?」



 コール音が途絶えた携帯電話を耳に押し当てたまま、相手の名前を呼ぶ。
 しかし耳を澄ました受話口から返って来たのは、望んだ声ではなく、ツー、ツーという無機質で無情な機械音だった。

「……き、切られた……」

 出ないどころか、コールひとつでぷつりと途切れてしまった通信機器を耳から離してマジマジと見遣る。

 もしかして急な仕事が入ったのだろうか。
 今は会議の最中だった……とか。しかし今電話を掛けた相手が、会議中だからと慌てて電源を落とす男とは思えない。
 まだ寝ていて、アラームと間違えて切った……?有り得なくはない。
 いやしかしそれよりも。

「……すっぽかされたんかな……俺、」

 ぽつりと呟けば、いよいよ真実味が増して来る。
 急に気が変わって、会いたくなくなったのかも知れない。
 あるいは、昨日の出来事自体が自分の見た都合の良い夢だったのかも。
 様々な考えが交錯する頭を振って、ぐるぐると渦巻く嫌な考えを払う。

 鬱陶しがられてるのは、薄々解っていた。
 だからこのデートで心機一転しようと決めていたのだ。

 素直になれなくて煩い口を、少し静かにして。
 好きなんだと、もっと優しくてあたたかい気持ちを沢山伝えようと。

 飛行機の中で改めて誓った想いを、もう一度思い起こして手の中の小さな通信機器を握り締める。


 隣国の腐れ縁がこうのたまった。
『お前ら、似たもん同士もいーけどよ。いーかげん素直にならねえと……相手の気持ち決め付けてばっかいると、大事なモン見落としちまうぞ』

極東の友人はこう云った。
『与える事ばかりを考えてはいませんか? 恋愛は、二人でするものですよ』


 いつ聞いたのかは定かじゃない。耳を塞ぐように聞かなかった事にしていたその言葉を、昨日唐突に思い出した。
 きっと昨日、久しぶりに逢ったあいつが驚く程に優しかったからだ。

 だから、大丈夫、きっと上手くいく。


 ああ、でも、もしこのまま来なかったら。

 その時は、ホテルに預けてあるスーツケースは受け取らずに破棄して貰おうか。
 少しでも早く忘れられるように。
 そうして、きっと其のうち忘れて何でもない顔をして連絡してくるに違いないあいつに、自分も何でもない顔をしよう。
 そうすれば、少なくとも今より関係が悪化する事はない筈だ。
 何故だか以前にもそうした事があるデジャヴを感じながら、溜め息混じりに肩を落として。

(………あー……駄目だな、俺は……)

 結局最後は来ない展開ばかり考えている自分に苦笑する。
 飛行機の中ではまだ、一つ言う事を聞かせられる権利を何に使おうかと考えていたのに。

(あいつが連絡寄越さねーからだ……ばか)

 鳴らない携帯電話。二度目を掛ける勇気は無い。

 ふと視界の端で、隣にいる女性が腕時計で時刻を確認する所作が目に入り無意識に視線を送る。

(そういや、この子も長いな……)

 つられて自分も時刻を確認しようと思って、やめた。
 どうせネガティブに拍車が掛かるだけで終わるに違いない。

(……これ以上待たせると、帰っちまうぞ。ばーか……)

 出来もしない事を、胸の内だけで呟いて。

 そうして空を仰ぐ。
 厚い雲が今にも泣き出してしまいそうだった。

「――おまえも楽しみにしてたんじゃねえのかよ……なあ、」

 呟いた言葉は、誰の耳にも届く事なく空へと消えた。


 



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