君がいる明日 - main
無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛12


「イギリスー?」

 音が止んだのは、彼の家にある書斎の前だった。
 僅かに開いている扉から、彼が中にいるのだと踏んで名前を呼びながら入る。

「イギ……なんだ居るじゃないか。返事くら……」

 彼はいた。
 壁一面、天井に届きそうなほど大きな本棚で覆われた書斎。その背の高い本棚の前。
 一冊の分厚い本の頁に視線を落とし、彼は顔面蒼白で固まっていた。

「イギリス!? ……ッ!」

 慌てて駆け寄った俺も、その開かれた頁を見て言葉を失う。
 頁を捲る指先を微かに震わせ、彼が顔を上げて俺を見た。

「俺とお前……戦争してんじゃねえか……」

 開かれていた頁。一際目を引く大きな字。

 ───独立戦争。

「んで、俺が……負けたのか。……はは、」

 云いながら、震えが全身に伝わっていくみたいに強くなっていって、目に見えてカタカタと小刻みに揺れる指先が本の頁をぐしゃりと握り締めた。

「騙して楽しかったかよ!」

 空気が震える程に激昂する彼に負けじと俺も叫ぶ。

「イギリス! 待って! 待ってくれよ! 俺の話を……」

「うるせえ! この……ッ裏切り者が……!」

 例えば俺の国では、戦争ではなく独立革命として自由と正義の名の元に行われたと謳う意見があるように。
 彼の国では、今彼が手にしている古びた資料では、一体なんと書かれていたんだろう。

「イギリスッ! お願いだから……!」

 裏切り者……?
 違う。それだけじゃない。俺達はそんな一言で済ませてしまえる関係じゃない。

 もし君にとって、俺が憎い裏切り者でしかなかったなら。
 何百年経っても相変わらず人の誕生日に具合が悪くなったり、そんな具合が悪い中も少しずつ祝ってくれるようになったり、その日が刻まれたタグをあんな大事そうに持っていたりはしない筈だ。

 そうだろう?ねえ、頷いてよ。

「イギリス……っ! 嫌いにならないって云ったのは、嘘だったのかい!?」

 俺は必死だった。
 さっき彼に云われたばかりの言葉を、何処かで聴いた事があるような気がすると思うフレーズで繰り返す。
 今は兎に角彼に落ち着いて欲しくて、俺も落ち着いて頭の中を整理したかった。

「うるせえッ! 何企んでやがる……! さてはフランスと組んでやがったな!? 独立を支援したのも、アイツみたいだしなあ!」

「違うよ! ねえ! 聞いてくれよ!」

「黙れ……ッ!」

 伸ばした腕を、片手で振り払われた。
 乾いた音の後に手の甲に走るジンとした痛み。
 視線の先で眉間を歪ませた表情は、怒っているのか、悔いているのか、泣いているのか、どれとも判断がつかなかった。

 衝撃で彼の手を離れてバサリと落下した本が、そのまま形を崩して床の上に頁を散らす。
 変色して褪せた紙で埋め尽くされた足元には、ボストン茶会事件、米英戦争───

「お前は、俺のアメリカじゃねえ!」

 彼が声を大にしながら胸の前で手を横に払って見せる。
 まるで俺を拒むかのように。

 鼓膜よりも胸に痛い否定の言葉。
 じわじわと痺れが広がる甲の痛みを誤魔化すように強く拳を握って、俺は身を乗り出す勢いで言い募った。

「ッ……君の思い通りにならない俺は、要らないって云うのかい!?」

 アメリカは此処だ。
 俺は、君の目の前にいる。
 今この場に存在しているアメリカ以外、他にアメリカなんていないのに。

「ああ。要らねぇな」

 俺の視線の先で、彼は歪な形に唇を吊り上げて嗤った。

「──……ははァ、読めたぞ。俺がアメリカを可愛がっていた時期にまで記憶を戻して、言う事を聞かせようって魂胆だったんだろう」

「なっ……!」

 この人は、一体何を云っているのか。

「ハハッ、残念だったなァ。下らない兄弟ゴッコに興じてねぇで、さっさと欲しいモン奪っちまえば良かったのによぉ」

 いつもは新緑の森を思わせる翠が、今は澱んだ水底のように仄暗く昏い光を湛えていた。
 濁った其の色から、希望を見出す事が出来ない。

「イギリス……ッ!」

 それ以上聞きたくなくて、大声で制した。
 勢いのままに首を振ったら、はたはたと雫が床に落ちる。
 彼に動じた様子は無い。
 それどころか、鼻で低く嗤われて。

「ハッ……泣けば俺が言う事を聞くと思ったら大間違いだぜ。残念だったなァ」

「違う、違う……! これは、君が……君の事が好きだから……っ」

 辛い、苦しい、胸が痛い。
 けれど決して目を逸らしてなるものかと、涙で歪んだ視界に彼の姿を映し続ける。

 まだ体力が完全に回復した訳ではない彼は、不意にバランスを崩してふらりと本棚に手を着いた。
 肩で呼吸をしながら二本の足で確と立つ憔悴した身体。
 尚も俺を睨み据えて噛み締めた奥歯を鳴らす姿に、胸が張り裂けそうになる。

「好きなんだ!」

 ムードもへったくれもなく叫んだ。

「嘘だ!」

 間髪置かずに否定される。

「嘘じゃない!」
「馬鹿か! 誰が信じ……」

 言葉の終わりを待たずに抱き締めた。
 たたらを踏んでよろめいた彼の身体が、背をしならせながら俺の胸に凭れて腕の中に収まる。
 一瞬固まった彼は、直ぐに全身で暴れ出した。

「……このッ……離せッ!」
「君が好きなんだ!」

 鼻を啜りながら耳元で叫ぶと、バシバシと背を叩いていた手が止まる。
 けれど僅かに頭をもたげた希望は、次の言葉でいとも容易くへし折られた。

「……くっ、ははっ。んな事云って、どういうつもりだ。何が欲しい? こんな下らねぇ茶番を組んだのは何処のどいつだ。フランスか? それともお前か」

「君が好きだ! 信じてくれよ……っ」

 全然会話になっちゃいない。
 もっと色んな事を話さなきゃいけないのに、全然言葉が出て来てくれなくて。
 出逢ってから歩んだ300年は、寄り添い合えた時ばかりじゃないけれど。
 辛い事や苦しい事だけでは決してなかった。

 その想いを、大切な気持ちを、こんな大事な時に伝えられないのは、俺が今まで言葉にして来なかったからか。
 当たり前になり過ぎて……気が付かなかったからなのか。

「君だって、俺を好きだろう!?」

 ずっとそうだった。
 君はずっと俺を愛してくれていたじゃないか。
 これからも、そうでなければ嫌だ。

「っ……誰がッ……てめぇはもう黙れ! 俺は、お前なんか……」

 蹴られて、殴られて、それでも俺は一層強く抱き締める。

「アーサー!」

 我ながら情け無いくらい悲壮さを帯びた声で無意識に名前を呼んだ途端、不自然にビクリと震えた身体がその動きを止めた。

「……ッ……あ……違っ……俺は……」

「……アーサー……?」

 慌てて覗き込んだ瞳の奥に、僅かな希望の色が見える。

「っ……アーサー!」

「……おれ、は………お前と、やり直したか……っ……」

 ゆらゆらと虚ろな眼差しの彼が、何処か遠くを見詰めて消え入りそうな声で紡ぐ。

「幸せだったあの頃……もう一度、お前と……、お前に……おれ…ッ……は…」

 彼の双眸は俺を映してはいなかった。
 腕の中でぐったりと弛緩した四肢を掻き抱く。
 彼の頬には、ぱたぱたと絶え間なく俺の涙が降り注いでいた。

「やり直せる! やり直せるよっ! 何度だって! ……っ君が好きなんだ!」

「嘘だ……いやだ、うそだ……おまえを失いたくない……」

 俺を見ない瞳が、俺の言葉を聴いてくしゃりと表情を歪める。

「嘘じゃない! 君は俺を失ったりしない! 誓う! 誓うよ! ねえ、信じてくれよ……!」

 緩く首を振りながら、口の中で小さく嫌だと繰り返す彼の薄く開かれた目蓋は、今にも閉じてしまいそうで。
 そうしたらまた彼は、いなくなってしまうのだろうか。

「アーサー! ねえ! 待って! 嫌だ! 君に云わなきゃならない事がたくさんあるんだ!」

「……やだ……いやだ……、……ある……」

 何が嫌なのか。
 俺がいなくなるのが嫌なのか、それとも俺自身が嫌なのか。

「……ぅんッ! んん……っ!」

 気が付いた時、俺は彼の唇に自らの唇を押し当てて塞いでいた。
 苦しげに呻く彼の身体は、けれど俺の腕の中でもたつくばかりで振り解くだけの力は無い。
 背中を叩かれている感触がしていたけれど、次第にそれも止まって、彼は意識を手放した。

「……ぁ……る、」

 力無く垂れる腕に気付いて漸く唇を解放する。

「……っ……ぅ、……」

 伏せられてしまった目蓋の端から、涙の雫が一粒目尻を伝う様を、込み上げる嗚咽を堪えながら見下ろした。

「っ……ア、サー……っく……ふッ……」

 思い切り抱き締めると鼻腔を掠める彼の匂いだけが、自分の泣き声が響く部屋の中で優しく俺を包み込んだ。

「……ッ……ああっ!……──ッ!」

 今日だけで何度も求めた彼を、最後に抱き締めたのはいつだっただろう。
 別れた日より、ずっと前だ。

 独立してからまともに口を利いてくれるようになるまで100年。
 想いを受け入れて貰えるまで更に100年。

 そうして漸く手に入れた筈だったのに……なんで俺は、手放してしまったんだろう。

「ふっ……ううぅ、アーサー……っ!」


『立場が逆でも、あなたは同じことが云えますか』

 うん、日本、今なら君が云っていた言葉の意味が解るよ。
 好きだと云われたその口で、存在を否定されるのはとても辛いね。


『俺が何度君に振られたと思ってるんだい?一度くらいで、諦めないでくれよ』
『一度くらい……だと?』

 アーサー、アーサー。
 ねぇ、聴いてくれよ。

 君には確かに何度も振られたし、口癖みたいなお小言には辟易もした。
 君の余りの鈍さに、気持ちが全然伝わらなくて悲しくなったりもした。
 独立したての時は口を利いて貰えなくて辛かった。
 けれど、思えば君が意図して俺を傷付けようとした事なんて一度も無かったね。
 それが今、漸く分かったよ。

(アーサー、アーサー……)

 君に『一度くらい』と云ったのは俺なのに。
 たった一度君の言葉に傷付いたくらいで、ねぇ、こんなにも胸が痛い。
 涙が止まらないんだ。

 君も、こんな気持ちだったのかい?


「……アーサー……っ!」

 様子を見に来たフランスが医者を呼んで彼と引き離されるまで、俺はずっとその場から動けずに、気を失ったままの彼を抱いて泣き縋っていた。


 ねえ、イギリス、アーサー……。

 本当に好きだったんだよ。君のこと。
 今も大好きなんだ。
 それだけは……信じてよ。


 



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