君がいる明日 - main
無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛11


 目が覚めたら、見慣れた客間の天井が目に入った。
 ベッドの上に横たわっていた身体をゆっくりと起こす。
 カーテンの隙間から差し込む薄明かりに照らされた室内に、求める姿はない。
 おぼろげな昨夜の記憶が残る一人きりの部屋から、人の気配がするリビングへと向かった。


「……お、おはよう……」

 何となく、息を潜めて扉をそっと開けて。
 直ぐに見つけた背中に声を掛けると、テーブルに食器を並べていた彼が振り返った。

「おう。ちょうど今、お前を起こしに行こうかと思ってたんだ」

 窓から差し込む光陽に明るく照らされた笑みが、当たり前のように俺に向けられる。
 俺に───。

「おはようアメリカ。寝坊助は治ったんだな、偉いぞ」

 蕩けるような笑みに息を呑む。
 俺が失ったもの、俺だけが見ることの出来るもの。
 馬鹿みたいにツンと痛くなる鼻の奥を堪えて、なんとか言葉を返す。

「っ……お、お腹が空いたんだぞ」

「ああ、もう出来てる。早く顔洗って来いよ。……き、昨日やり方聞いただけじゃ、ちょっとまだ使いこなせなかったみたいでだな……少し焦げちまったけど、あ、味は……!」

 言葉の途中からもごもごと口籠もり視線を泳がせた彼が、最後は俺としっかり目を合わせて力説しようとして。
 肩の高さまで掲げられた握り拳に目がいく。

 彼が「少し焦がした」と云うなら、きっと原型なんて留めていない、炭みたいなものが出されるに違いない。

「……アメリカ?」

 そう思って、けれどそんなの何の問題でもなくて。
 だから「問題無いよ」って云おうとしたのに、声にならなかった。
 心配そうに眉を寄せたイギリスが、手にしていた皿をテーブルの上に置いて近付いてくる。

(俺の心配よりも、君は自分の心配をするべきだ)

 伸ばされる指先には、幾つもの絆創膏が貼られていた。

「アメリカ? 泣いてんのか……?」

 その手が労るようにそっと俺の頬に触れて柔らかく撫でた瞬間、

「……ッ……!」

 色々なものが一気に押し寄せて来て、崩壊した。
 張り詰めていた何かが瓦解し涙腺が決壊する。
 驚いた様子の彼の姿は、両の瞳からぼたぼたと零れる涙の所為で良くは視えなかった。

「……っ……、喧嘩……してて……」
「け……喧嘩? 誰とだ?」

 大慌てで俺の髪を撫でたり、頬を撫でたりと忙しない中での質問に、今まさに指先で俺の涙を拭う彼自身を差す。
 次の言葉を許さずに、俺は尚も続けた。

「……っ、俺が悪いんだ……! 俺が、君を傷付けた……っ!」

 正確には、喧嘩ではないけど……他になんと云って良いかも判らなくて。
 ただ久々に感じる彼の温もりに、我慢出来なくなったんだと思う。

「イギリス……っ、俺……俺は……!」

 勢いのまま云ってしまい、変に嗚咽を堪えた所為で呼吸が乱れて肩で息をする俺の頭に、ぽふと温かい掌が乗せられた。

「ばかだな……」

 クシャクシャと髪を掻き撫ぜられて、頭を引き寄せられたかと思ったら次の瞬間には鼻先が彼の肩に埋まっていて。
 途端、肺一杯に広がる慣れ親しんだ彼の匂い。
 懐かしさに目の奥が痛くなる。

「大丈夫、大丈夫だアメリカ。何があったか知らねぇが……俺がお前を嫌う筈ないだろ?」

 優しい手が、髪を、背を、何度も何度も撫でるから。
 気付けば俺は自分からも腕を廻していて。
 俺より細いその身体を、力加減の効かない腕で思い切り抱き締めていた。

 温かい身体、温かい彼、胸に満ちるこの温かい気持ち。

 イギリス、イギリス、俺は今度こそ君を大切にしてみせるよ、本当だ。

 君を失いたくないんだ。

 君がいない世界じゃ、俺はきっと生きていけやしないよ。



 * * *



「……落ち着いたか?」

 もそもそと頭を動かして頷く。
 少し落ち着いてしまえば、今のこの状況は正直非常に恥ずかしくて仕方なかった。
 それでも腕の中で彼が身動くと身体が勝手に抱き締める腕を強めてしまい、小さく笑われる。

「よしよし、泣き虫な所は変わってねぇんだな」

 ぷすっと頬を緩ませて俺の頭を撫で回すイギリスを横抱きに膝へと乗せ、俺は今ソファの上に座っていた。
 至近距離からニヨニヨと見つめられてそっぽを向く。

「うるさいよ」

 離すまいと腰に廻していた腕に手を添えられて渋々緩めれば、彼はひらりと俺の膝から降りて。
 恨めしげな眼差しを投じていると、不意に此方を向いた彼と目が合った。

「……はは、悪い悪い」

 全く悪びれない様子で伸ばされる指先にくしゃりと前髪を掻き撫でられ、前歯を覗かせた悪戯な笑みは普段より少し大人びて見える。
 年上の彼に思う言葉じゃないけど、これは……そう。弟を見る目だ。
 身体だけ大きくなったまだまだ子供な弟の視線をあっさりと袖にして、彼は俺に背を向けて食器の後片付けを始めた。
 カチャカチャと、さっきまで殆ど炭化したよく判らない何かが盛られていた皿が重ねられて行く。

 どうしても離れ難くて、膝に乗せてぎゅうぎゅうに抱き締めながら食事を食べさせて貰うだなんて、付き合っていた頃にだってやった事は無い。
 さっきまで彼を乗せていた自分の膝にそっと視線を落とす。

「……イギリス、」
「なんだ?」

 昔なら、彼の膝の上で食べさせて貰った事や、自分が彼に食べさせたくて器とフォークを手に膝によじ登った事があるけれど、それだってうんと幼い頃の話だ。
 子供のような真似をして子供扱いされて、それだけで終わりたくなくて俺は席を立つ。

「片付けは俺がやるよ」
「ん? 俺がやるからお前は遊んでて……」

「俺がしたいんだ。……作ってくれたのは君なんだから、後片付けは俺だろ? 休んでてくれよ」

 意思表示に腕を捲って見せ、彼の手から重ねられた食器を奪う。
 作ったのは……云々は、彼に云われた口煩い台詞の一つだ。

 俺が何度不満を漏らしても懲りずに云って来たのだから、きっと今だって本心ではやって欲しいと思ってるに違いない。

「そ……そうか? なら俺は、家の中でも見て回って来るかな……」

 彼は思っていた程あまり嬉しそうじゃなくて、どちらかと云うと戸惑っていた。
 けれど直ぐに嬉しそうな笑みを浮かべて頷いたから、俺も得意気な気持ちで笑みを返す。

「――もう、子供じゃないんだなぁ……」

「当たり前だろう? いつまでも君に任せてばかりじゃないんだぞ!」

 君に育てられた俺は、こんなに大きくなったんだ。
 思わず恋人にしたいくらい格好良いって、少しでも思ってくれていたら嬉しい。

「……もう……、俺の知ってるアメリカは居ないんだな……」

「何云ってるんだい、アメリカなら此処にいるだろう?」

 最後に見た彼の顔が、やっぱり寂しそうかも知れないと思った俺の勘は、もしかしたら暫く彼と居ない間にだいぶ鈍ってしまったのかも知れない。
 そう思いながら、俺は彼と別れてキッチンへと向かった。

(大丈夫さ。もう離れたりしないし……酷い事も云ったりしない。これからはずっと一緒なんだから)



 * * *



 皿を割らないように気を付けながらの洗い物。
 慣れない作業に奮闘しつつ、俺はこれからの事を考えていた。

(家の中の物は一通り教えたからなぁ……)

 元は知っている物である所為か、一度教えてしまえば彼はあっさりと使いこなして見せた。
 だから、さっきの料理だって器具の使い方云々はあまり関係無い。
 必死に言い訳をしながら食べさせてくれた彼を思い出して、少し笑う。
 あの炭加減は流石の自分も危なかったけど、彼は「これくらいが丁度良いんだ」なんて云いながら僅かに顔を歪めるだけで平気そうに食べていたから、きっと身体に悪影響は無い筈だ。

(そうだ、街に行こう。そうしたらデートじゃないか)

 300年も経っていれば様変わりしてる事だろう。
 空港から家に到着するまでも、興味津々と辺りを見回していた姿を思い出す。
 彼も好んで食べていた、自国の国民食であるハンバーガーも食べさせたい。
 けど。

(……この先、どうなるんだろう……)

 不意に過ぎる少しの不安。
 彼の上司には、携帯電話に驚きながらも病院にいた時に彼本人が連絡していた。

 出た結論は、無期限休暇。

 けれど其れは、最近ずっと調子が悪かった彼を慮っての事であり、彼がこの時代をある程度把握するまでの間の事だ。
 きっと彼の事だから、直ぐにでも仕事へ復帰しようとするだろう。
 俺も長くは休んでいられないし、せめて今日くらいは彼とゆっくり過ごしたい。
 そう思いながら、全ての工程を終えたキッチンを見渡す。

「………」

 うん、汚い。
 あちらこちらに泡や水が飛び散ってしまったキッチンは、普段なら全く気にしないどころか気付きもしなかっただろうけど。
 ついさっきまでピカピカだった彼の家のキッチンなだけに、多少気にならなくはない。
 少なくとも彼の目には確実に汚く映るだろう。

(……よし! さっきよりももっとピカピカにして、ついでに食後の紅茶も用意しよう)

 ずり落ちて来た袖を捲り直して気合い充分に辺りを見回した其の時、ふと背後から音がした気がして振り返った。

「……?」

 彼が様子を見に来たのかと思ったものの、誰も居ない空間に俺は再び前を向く。
 しかし、そうするとまた背後から音がして。

 怪奇現象?けれど不思議と恐怖はなかった。
 恐怖心でも、探求心でもない、使命感。
 音を立てている誰かが焦っているような、俺を呼んでいるような。
 何となく導かれる侭に、俺は音が聴こえる方へと向かって歩き出した。
 一歩踏み出す度に、次第に音に急かされるように俺は早足になっていった。


 



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