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無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛9


「イギリス!」

 驚いて、信じたくなくて、俺はもう一度彼の名前を呼んだ。
 けれどベッドの上で上半身を起こす彼は、俺を警戒するように眉を潜めるだけで。

「……誰だお前……、あっ! フランスてめーなんでこんな所にいやがる! ……? つか此処、何処だ……?」

 それなのに、俺の後ろで同じように固まっていたフランスを見た彼は、いつもと何ら変わりない様子で其の名を呼んだ。

「坊ちゃん! こいつのこと分からないの!?」

 フランスが焦ったように前へ進み出て俺を指差す。
 病室内を物珍しげに見回していた彼が、其の声にフランスを見て、俺を見て、またフランスへと視線を戻した。

「だから誰だよ」
「アメリカだろ!?」

「……あめ……リカ……? ッ……いっ、お前の弟……、だったか……?」

 俺の名前を繰り返した途端、頭を押さえて少し俯いた彼がフランスに尋ねる。

「違う! 違うよ! 俺は君の弟だろう!?」

 耐え切れなくなった俺は身を乗り出して彼に詰め寄った。
『元』だとかそんな事は今はどうでも良い。

「……お……れの……? え? あ……」

 彼は右手で頭を押さえたまま翠の双眸をゆらゆらと虚ろわせ、唐突に顔を上げた。

「――ああ! あっ当たり前だろ!? アメリカは俺の弟だ! けどな、騙そうったってそうはいかねーぞ」

 また意味不明な事を言い出して、次は何だと身構える俺とフランスを交互に見据えた彼は、ひたりと俺を捉えて。
 冷めた翡翠に、俺の情け無い顔が映っていた。
 彼は得意気に鼻を鳴らし、唄うように宣言する。

「アメリカはな、もっとちっちゃくて、俺がいなくなると泣いちまうような、優しくて天使みたいに可愛い……」

 唄は途中で止まった。
 色を違えた翡翠にまじまじと見据えられる。

「……んん? 云われてみりゃ、確かにアメリカに似てなくも……」

 云うや否や伸ばされた彼の白い指先に、ひょいと眼鏡を攫われて。

「……っ」

 こんな事でも、久々の彼との接触だった。
 咄嗟に二の句が告げない俺の代わりに、フランスが応える。

「こいつはアメリカだ。……お前がアメリカと出逢ってから、もう何百年って経ってんだよ」
「は? いや、んな事……」

 今度は彼もあっさりと切り捨てる事なく、キョロキョロと室内を見渡した。
 フランスに剣呑な視線を送り、ベッド脇の棚に置かれた鏡に手を伸ばして覗き込んでは映し出しされた自分の顔に眉を顰め、窓の外を見て、壁に掛けられたカレンダーに気が付く。

「………」

 大きく見開かれた双眸を俺にぴたりと合わせて。
 暫しの沈黙。
 ぽかんと開けられた口が小さく言葉を紡いだ。

「……アメリカ……なのか?」

 こくり、頷くと彼は一拍置いた後にふわりと相好を崩して。

「そ、そうか……さっきは悪ぃ。――大きくなったな……、もっと良く顔を見せてくれよ」

 それはまるで、人間達が久々に逢った親戚の子供にでも対する言葉のよう。
 大人しく顔を寄せて、シーツに眼鏡を置いた彼の温かな掌を頬に受けながら、俺はただただ必死だった。

「もう子供じゃないんだぞ、君の事も守れるし……独立して一人前になって、君の隣にも立てるんだ」

 分かって欲しかった、見て欲しかった、今の俺を。
 思い出して欲しかった。
 けれどするりと俺の口から出て行った言葉を耳にした彼の手は、俺の両頬を包んだままビクリと不自然に固まって。

「……え……独立? アメリカが……? 俺から?」

 正に茫然自失。
 見る見る蒼白になる顔色に、俺の頭の中も真っ白になる。

 ───忘れてた……遠い昔、彼が幼い俺をどんなに愛してくれていたかを。

 二人、互いに互いを見詰めながら固まっていると、肩に誰かの手が置かれて。

「アメリカだけじゃねーぞ。お前の植民地、殆ど無くなってっから」

 フランスだった。
 茶化すような言葉を聞き、彼の瞳に色が戻る。

「なにぃ!? どういう事だ!」

 まだ頬に触れる指先は、微かに震えていた。

 二度の大戦を経て、あの頃よりも世界は格段に平和になったのだとフランスが説く。

「へい……わ……?」

 信じられないと云うように、知らない言葉であるかのように反芻した彼が、ゆっくりと俺に視線を合わせた。

「――じゃあ、お前も大丈夫なのか…? 誰かに襲われたりとか……んな事したら、俺が……っ!」

「大丈夫。俺はあの頃よりずっと強くなった、君のお陰だ」

 追い詰められたように徐々に早口で捲くし立てる彼へと、一言一句、想いを込めて紡ぐ。
 俺の言葉を聞いた彼は、すっと肩の力を抜いて、寂しげに微笑った。

「そ……か。なら、独立しても仕方ねぇのかもな……」

 先程と比べて驚くほど冷えてしまった指先が、別れを惜しむようにノロノロと俺の頬から離される。
 気が付いた時には、その手を掴んでいた。

「っ……独立したら、一緒にいちゃいけないのかい!?」

「アメリカ……?」

 首を傾斜させながら俺を見上げる彼の瞳には、悲しげな疑問符ばかりが浮かんでいて。

「あの頃だって……ずっと、ずっと、こんなに君が好きなのに! 理由がなくたって、一緒にいられる! 君がピンチの時は、俺が助ける!」

「はは……サンキュ」

 とても力無い笑み。
 細められた眼差しは、まるで少しでも俺の姿を視界に映したくないように感じてしまって。

 ───嗚呼、もう。

 どうして君は、人には鬱陶しいくらいの愛を注いでくれるクセに、俺からの想いは欠片も信じちゃくれないんだ。

 どうして俺は、彼を喜ばせる事が出来ないんだろう。

 気まずい雰囲気のまま、それでも彼の手を離せずにいると、背後からフランスに蹴られた。
 ご丁寧にもイギリスからは見えない位置だ。

「こいつ、今や俺らを押し退けて世界一になったんだぜ?」

「へ……へぇ、そうか……ならもう弟なんて、云ってられねぇのか……」

 場の空気を読まないフランスの巫山戯た調子の声に、彼も合わせようと明るく振る舞って、失敗している。
 俺は息を呑んだ。

「っ……!」

 世界は終わりだとでも云い出しかねない、あたかも俺との関係が一切合切総て無くなってしまったかのように俯く彼に、フランスが変わらぬ調子で続ける。

「ばーか、こいつが変な事云い出した時に止められるのは、お前だけなんだぜ」

 そうなのか?と問いたげな翡翠の眼差しが俺に向けられた。
 けれど俺は、直ぐには答えられずにいて。

 だって……俺の言葉は彼にとって、刃にしかならないんじゃないだろうか。

「……あ、」

 何も云えずにいたら、小さな声を上げた彼に、俺の掌に握り締められて少しずつ温度を取り戻し始めて来ていた手がするりと解かれた。

「イギ……ッ」
「タイが曲がってんぞ、ほら……ったく、しょうがねぇなぁ」

 何の躊躇いも無く俺の為に伸ばされた指先が、首の前で乾いた衣擦れの音を立ててネクタイを結び直し始める。

「……ん? なんだこれ、どうやって……あ、指が覚えて……こうか?」

 さほど曲がってもいなかった筈の其れを綺麗に整えた彼は、最後にポンと結び目を叩いて。

「……ん、よし」

 屈託無く向けられる、満足そうな笑顔。
 俺はこの顔を知っている。
 今の俺が失ってしまったもの。

 急に大きくなっていたって、突然独立したと云われたって、彼にとって俺は、つい手が伸びてしまうような、甘ったれた弟なのかも知れない。

「……俺……、」
「うん? あ、い、嫌だったか?」

 イギリスが慌てふためく。
 こんな所は、今の彼に似ている。
 もしかしたら、彼の本質は昔から全然変わっちゃいないのかも知れない。
 俺だって、本当はそうであるように。

「──俺、君にネクタイを直されるの……本当は全然、嫌いじゃないんだ」
「そっ、そうか……」

 彼は少し不思議そうだったけど、それでも今日初めて……俺の前では本当に久々に、嬉しそうに笑った。


「――……にしてもお前、随分格好良くなったなー……」
「へっ!?」

 突然、彼が感慨深げに呟いて。
 そう云えばフランスに連れ出されて上から下まで彼好みらしいコーディネートをされた俺は、ちょっとしたデート仕様だったと思い出す。
 フランスが彼の好みを把握してるのが気に入らなくて、そもそも彼と一番近い位置にいるのは俺なんだから俺の方が把握してる筈だと、ネクタイの色だけは自分で選んだけど。

「――けど、このタイはもっと落ち着いた色合いの方が良いぞ」

 フランスが小さく噴き出した気配がしたから、後ろ脚に思い切り蹴ってやった。


 ―――……医者、呼んでくる。


 巫山戯て笑いながらも小さく俺に耳打ちして来るフランスの言葉に、微かに頷いて。
 顔を上げた先、目の前にあるのは、慈愛に満ちた愛しい彼の笑顔。





 彼は、呆れるくらい俺の事が好きだった。

 笑っちゃうくらい、馬鹿んなるくらい。


 俺も彼が好きだった、今も好きだ。

 ずっとずっと呆れるくらい長く、笑っちゃうくらい彼だけを、馬鹿んなるくらい追い掛けて。


 そうして何時の間にか追い越していて、何処かで置き去りにして来てしまった彼を探して振り返る。

 俺が歩んだ道を、振り返る。

 彼から貰ってきた沢山のものを、俺は少しでも彼に返せていたかな。



 ねえ、イギリス。これからどうしようか。

 ……どうすればいい?


 さっきから、涙が零れてしまいそうで仕方無いんだ。


 



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