君がいる明日
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無償の愛≠無限の愛
無償の愛≠無限の愛8
アメリカの家を出て、何処へ向かうでもなくフラフラと歩いていた。
何時の間にか見覚えのある公園に来ていたと気が付いたのは、辺りも薄暗くなってから。
歩みの遅い俺を追い越して行くカップルに急に居たたまれなくなって、人気の無い方へと道を外れる。
(? ……妖精……?)
擦れ違い様にカップルが笑いながら漏らした単語を聴いて、此処が以前アメリカと来た事がある公園だと思い出した。
こんな場所に来てしまったのは偶然か、はたまた――。
「……ハッ、未練ったらしいったらねーな」
自分が嫌になる。
フランスなんかに乗せられて、自分は一体こんな所まで何をしに来たのか。
「もう関わらねぇって、決めてたじゃねーか……」
せめて気持ちの整理が出来るまでは、関わるまいと。
あいつが独立した、あの頃のように。
会って話をして、鍵を返して、新しい関係を築けるだなんて、何故思ったりしたのか。
「こんなに嫌われてんのによ」
空を仰ぎ見ながらぽつりと呟いた。
癖のようにポケットをまさぐって、初めて何処かに鍵を落として来てしまった事を知る。
(──もう、必要無い物だ)
何故、こんな事になってしまったのか。
あいつが惚れたらしい、出逢った頃のままの自分で居られれば良かったのか。
(……それが嫌だっつったの、あいつじゃねーか)
もうどうすれば良いのか判らない。
舗装された遊歩道を外れて木々の間を歩く。
緑に囲まれていると、少し落ち着いた。
樹の幹へ背を預けて目蓋を伏せる。
───……アーサー!
不意に鼓膜を掠めた聴こえる筈の無い幻聴に、自分自身を鼻で嗤った。
(バカか、俺は……)
――さよならアルフレッド。
喩え一時でも、愛してくれてありがとう。
自分の気持ちに別れを告げて再び歩き出そうとしたその時。
(――……あ、やべ……)
最近全然寝ていなかった上に碌に食べてもいない身体は、少し動き回っただけの運動にも耐えられなかったらしい。
情け無い。ヒーローの加護とやらを失くしてしまったからだろうか。
グラリと傾いて、視界に地面が迫った。
(───……アル……)
新しい関係でもいい。
お前とやり直したいよ。
* * *
そう、あの日はお互いに連絡しなくなって……どれ位だろう、兎に角暫く経った頃だった。
いつものように雨が降りしきる、ロンドンの朝。
あの時から俺はもう、きっと死んでいたんだ。
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『おっ……まえは、アポを取れって何度も……否、まあ……良い、入れよ。……紅茶飲むか? こ、珈琲もあるぞ? ったまたまだけどな!』
パチパチと目を瞬かせて驚いた後に、またこの顔。
最近いつも彼が俺に向ける顔。
怒った顔も泣いてる顔もキライだけど、この……何か遠慮してるような、気を遣われていると分かるぎこちない笑顔が、凄く、何だろう……モヤモヤするんだ。
焦燥感に、苛立ち。
この感覚はストレスに似てる。
きっと俺は彼にムカついて、イライラしてるんだと思う。
そう……思ってた。
其れはあながち勘違いではなかったけど、決して真実でも無かったんだ。
彼に先導されて廊下を進みながら、俺はぼそりと呟くように答える。
『いらないよ』
『そ、そか……今日はどうしたんだ?』
刺繍道具やらティーセットやらを片して席を勧めようとする彼を制して、俺は立ったまま続けた。
『……、君に話して於かなきゃいけない事があって』
『?』
本人を前にすると、用意していた筈の言葉はスラスラ出て来なくて。
緊張していたのか、苛々し過ぎて神経が焼き切れていたのか、それとも……別れ話を切り出す事すら面倒だったのか。
俺はすぅと息を吸った。
何故だか無性に、喉が、渇く。
『───……終わりにしようよ』
『……え?』
俺の目を見て翠の眸を丸々と見開いた彼が、一拍置いた後に小さく驚きの声を漏らした。
『……だから、別れよう……って』
『お、おい……何だよ急に。連絡しなかった事怒ってるのか?』
『……そんな訳無いだろ』
───これは少し嘘。
もしこの連絡を取り合わなかった間に先に彼からの連絡があったら、別れの選択肢を選ばなかったかも知れないし、けれどもっと早まっていたかも知れない。
そう思うと何故だかまた苛立ちが込み上げて来て。
嗚呼、もう、何もかもが思い通りにいかない。
『……最近、君と居るとイライラするんだ』
『っ……そ……そんなんじゃ訳分かんねーよ! 理由くらい云え。……っ、お……俺だって、な……おす、し……』
逸らされて、床に落とされた視線。
(――泣く……?)
俺の所為で?
そんな、やめてくれよ───。
『そんな顔をすれば俺が何でも聞くと思ってるのかい?』
『!? なっ……ちげぇよッ! ばか……っ』
結論から云うと、彼は泣かなかった。
震える唇が次の言葉を紡ぐ事は無く、眉間を寄せた強い双眸に見据えられる。
『……ッ』
途端、心が騒いだ。
ざわざわと、時間を巻き戻されているような感覚。
何で俺は、彼にこんな顔をさせているんだろう。
俺は一体何を……。
一瞬、自分が此処へ何をしに来たのか忘れてしまった俺を、彼の家の時計が奏でる12時を知らせるメロディが引き戻した。
『っ……じゃあ、俺はもう行くから』
『はぁ!? 待てよ! まだ話は……』
『これから仕事なんだ』
仕事があるのは本当だ。此処イギリスで。
だからそのついでに此処へ立ち寄った。
バタバタと、二人分の足音が玄関を目指す。
『っ……なら終わってから来い』
直ぐ後ろから声が掛けられ、手が伸ばされる気配。
駄目だ、今終わらせないと……俺はきっとまた苛々してしまう。
『っ……鬱陶しいんだ……いい加減気付いてくれよ!』
云えば気配はピタリと止まり、足音も一人分になる。
早く立ち去ってしまいたくて、俺は足を早めた。
ドクドクと心臓が煩い。
玄関に手を掛け、扉を押す。
『……これからはずっと一緒だっていったのは……、嘘だったのか……?』
不意に、独り言のように小さく小さく落とされた、意地っ張りな彼がたった一つ漏らした弱々しい言葉。悲しげな声。
もしかしたら彼は俺の返事なんか期待していなかったかも知れない。
否、「嘘じゃない」そう云って振り返る事以外、彼にとっては不要だっただろう。
いっそ黙って立ち去れば良かったのに。
『……五月蠅いよ。……もう、疲れたんだ』
短く、低く、疲れ切ったように云い捨てて、俺は彼との関係を終わらせた。一方的に。
彼の家を後にしてからも、暫くはドクドクと胸を打つ動悸が治まらなかった。
俺は……俺はもしかしたら、取り返しのつかない事をしてしまったんじゃないだろうか。
否……違う、違う。
俺は何も間違った事なんかしちゃいない。
これからはずっと一緒だって云ったのは、嘘だったのか…?
俺は本気だった。
本気だったさ。
君が、嘘にさせたんじゃないか。
そう、だから……これで良かったんだ。
これでもう、彼の怒った顔も泣いた顔も困った顔も、みんなみんな見なくて済むんだと思ったら、漸く少し心が晴れた気がした。
(……この気持ちを、「清々した」って云うのかな……)
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例えば、喜んでくれるだろうと思った事を喜んで貰え無かったり。
自分の思い通りにならなかったり。
彼の口から1日の内に聞いた言葉が、恋人同士の甘い会話よりも小言の方が各段に多かったり。
最初は些細な事だった。
そんな些細な事の繰り返しだった。
彼に逢う度イライラして、そんな自分にもっと苛々して、苛々してる俺を見て次第に引け腰になって行く彼を見て更に苛々して。
ついには煩わしくなって。
きっと俺は、何か大切な事を忘れてしまっていたんだ。
とても大切な事に気付けずにいたんだ。
彼の笑顔を最後に見たのは、いつだろう……。
何度何回、自問自答を繰り返しても。
どこで何を間違えてこうなってしまったのか……今でも答えは見いだせないまま。
別れたあの日の事を思い出しながらフラフラになるまで街を彷徨って、俺は朝方になって漸く帰宅した。
鍵を閉め忘れたどころか乱暴に開け放たれた侭の玄関をくぐる。
少し寝て、そしたら直接イギリスに行こう。
逢って貰えるか判らないけど、何もしないよりはずっといい。
寝室へ向かおうとして通り掛かった、昨夜のまま電気も点けっ放しで扉も開け放たれたリビングにふと目を向ける。
机の上に放置されていた携帯電話が光っていた。
「……ッ!」
慌てて手に取り、着信履歴を見て真っ先に例の部下の番号に掛ける。
繋がらない。
次にフランスに掛けた。
悔しいけど、今彼に一番近い順だ。
フランスからの着信は、10件も入っていた。
留守番電話は無視して兎に角掛け直す。
3コール目の途中で繋がった。
「ねえイギ……」
『お前! なんで出やがらねーんだよ!』
何か云う前に、開口一番怒鳴られた。
「だってイギリスがいな……」
『そのイギリスが! ブッ倒れて病院に担ぎ込まれたんだよ! お前等一体何して……ああ〜っクソッ! おい! 聞いてるか!? 今から云うお前んとこの病院に直ぐ来い!』
───目の前が、真っ暗になった。
(……アーサー……!)
* * *
「――で、なんか白くて丸っこい生き物を追っ掛けてたらしい女の子が倒れてるこいつを発見して、その母親が救急を呼んだんだと」
「その公園に俺もいた……! いたよ……!」
「んなこと今更云ってもしょうがねーだろーが!」
「っ……そう、だね……それよりイギリスは……」
「大丈夫に決まってんだろ。俺達は国だぜ? 過労で死んで堪るかっての」
「そう……」
詰めていた息をゆるゆると吐き出す。
病室の中、ベッドに横たわる彼を見た。
まだ少し顔色が悪いけど、良く眠っている。
「……良かった……」
「イギ……っと、アーサー……」
付近を通りかかった看護師に配慮して、フランスが彼の人名を口にする。
ナース服の女性と軽い挨拶を交わすフランスに、……只それだけだって、頭では分かっているのに。
「君がその名前で呼ばないでくれよ!」
叫んだ自分の声の大きさに、直ぐさま我に返った。
思わず口を押さえたら、目を丸くしたフランスと視線が合う。
幸いにも看護師の女性はもう行ってしまった後だった。
「っ……ごめん……」
咄嗟に謝ると、苦笑混じりの笑みに「まあ気にするな」の声。
俺は壁に背を預けてずるずると屈み込んだ。
「……少しは落ち着いたか?」
「うん……少しね……」
真っ白な頭で何とか病院に到着して。
先に到着していた二人、生真面目に病院だからと電源を落としていた部下へぶつけそうになった理不尽な憤りをフランスに窘められて。
何とか仕事の調整をすると胸を張って戻って行った部下を、少し泣きそうになりながら見送って。
今は俺の部下から連絡を受けて駆け付けて来ていたフランスと二人、彼の目が覚めるのを待っている。
「カナダに、もう大丈夫だっつったばっかなのによ……。つかなにそのかっこ!」
「え? 嗚呼……、急いでたんだよ」
フランスに云われて顔を上げ、改めて自分の格好を見下ろす。
服は昨日のまま、汗もかいたし座り込んだりもしたから所々薄汚れている。靴も昨日はちゃんと履いていた筈だと思うけど、今日は左右が違っていた。
「イギリスでなくてもその格好はどうかと思うぞ? やだよお兄さん、お前等に目の前で喧嘩おっぱじめられるなんて」
「……でも、イギリスが……」
病室の中を盗み見る。
目が覚めるまで傍にいたい。
目が覚めた時に一番傍にいたい。
「お前が泣き腫らした目で泥だらけになりながら一晩中探し回ったって事は、お兄さんがちゃーんと伝えといてやるからさ」
「ええ、そんなのやめてくれよ……格好悪いじゃないか」
視線をフランスに戻して、思わず不平不満な声が出た。
けれど屈んだまま俺を見下ろすフランスの眼差しは、思いのほか強い。
「格好良くてイギリスに避けられるアメリカと、格好悪くても情け無くてもイギリスの誤解が解けるアメリカ……どっちがいい?」
「………格好悪くても情け無くてもイギリスの誤解が解けるアメリカ……」
渋々呟く。
フランスは満足気に笑って頷いた。
昨日の出来事は全て話した。
直接の原因は過労だとしても、倒れるほど傷付けてしまった彼の心が、少しでも晴れるなら……。
「よろしい、んじゃ行くぞ。お前を着替えさせた方が良いって、こいつと100年ボコり合った俺の勘が云ってるから」
俺は腕を引かれるまま渋々と立ち上がり、何度も病室を振り返りながらその場を後にした。
「……お前、誰だ?」
嗚呼、もう。
昨日から頭が真っ白になったり目の前が真っ暗になったり、俺も倒れてしまいそうだよ。
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