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無償の愛≠無限の愛

無償の愛≠無限の愛7


 カチ、カチ、と一定のリズムを刻んで動く時計の音が、やたら大きく聞こえる。

 終焉の音、終わりを告げる音。

 早く彼を諦めろと、俺を急かす音。


 ───カチ、カチ、カチ、カチ




『……諦めるのか?』

 電話の向こうで、フランスが呆気に取られたように呟いた。

「うん、まあね。……彼を苦しめるだけだって、分かったからさ」

 冗談だろう、と確認するような声に俺はゆっくりと瞼を伏せて黙秘する。

 彼の家の前から逃げ出して、色々考えた。
 飛行機の中でも、アメリカに降り立ってからも。
 静かに響いた俺の声は、もしかしたら絶望が滲んでいたかも知れない。
 フランスの焦ったような舌打ちが聞こえた。

『おい待てよ! それは――』

「じゃあ切るよ! 君は隣国なんだから、ちゃんと面倒見てあげなよね!」

『おいアメ……』

 言葉の途中で携帯電話を耳から離し、通話も終了する。

 今は何も聞きたくなかった。
 優しい言葉も俺にだけ都合が良い解釈も、慰めも励ましも、全部。

 俺の覚悟を、揺らがせないで欲しい。


 カチ、カチ、カチ、カチ、


 時計の音に身を委ね、俺はずるずるとソファに身を沈めた。
 座っていた体勢が半分ずり落ちて、背凭れに頭を乗せる。

「……イギリスなんか、居なければ良かったんだ」

 出逢わないだけでは駄目だ。
 俺と同じ世界の何処かに彼がいて、それなのに俺とは別の奴と笑ったり泣いたり、ましてや愛し合うだなんて。
 そんなのは嫌だ。考えられない。

 ならば彼が最初から居なかったら……なんて、考えるまでも無く馬鹿らしくなった俺は自分の考えを鼻で嗤った。
 彼が居ない世界だなんて、それこそ有り得ない。

 有り得ないのに……。

 それでも今の俺は、彼に近付く事さえ許されない。

 フランスは云った、「人殺し」と。
 俺と顔を合わせた後のイギリスは、まるで死人みたいらしい。

 そしてフランスはこうも云った。
 俺も同じ顔をしていると。

 なら今の俺は、きっと死んでるんだろう。

 けど俺は、飛行機で出された機内食を完食したし、イギリスみたいに引き籠もったりしない。

 彼の事は諦める。諦めようと努力はするけれど。

 喩え一目のチャンスだって、彼と逢えるかも知れない機会を棒に振る気は無い。
 多分この先彼に避けられ続けても、ずっと……。

 こんなの、死に切れていない只の死に損ないだ。
 無様に動いて、みっともなく生きている。

「──くたばれ、」

 奥歯を噛み締めながら、呻く。

 どうか、早く、くたばれ、くたばってくれ。彼への恋心。


 カチ、カチ、カシャン、カチ、カチ……


 規則的な時計の音に何か別の音が混ざったような気がしたけれど、俺は静かに溢れ続ける涙を堪える事で精一杯だった。






「ちっ、切りやがったあの馬鹿……ま、今頃坊ちゃんが到着してるだろうし。あとはお互い素直になってくれりゃなぁ……」

 愛の国の力も、あの二人には敵わない。

 喧嘩ばかりでも相性が悪くても似た者同士でも。
 それでもお互いが良いのなら。

「あとは本人達に頑張って貰うしか無いだろ」




  * * *




 カチ、カチ、カチ、カチ、


 暫くすると涙も落ち着いて、けれど現状は全く良くなってなんかいないから、俺は今後の事を考え始めた。
 けれど――。

「………」

 さっき感じた小さな物音に、何故だろう。
 時が経つにつれて覚える胸騒ぎがいよいよ収まらなくなった俺は、席を立った。
 閉め損ねて微かに開いていた扉に手を掛けて、ゆっくりと押す。


 ───カシャン


「……ん?」

 何かが扉に弾かれたらしい。
 貴金属が床板と擦れる音に視線を下げると、隅の方に何かが転がっていた。

「……カギ……?」

 近付いて拾い上げて、其れが鍵だと気付く。

「――俺の家の……?」

 その鍵は、セキュリティーを重視して特別に作らせたこの家の鍵に似ていた。
 キーホルダーらしき味気ないタグには何やら文字が彫ってあって、俺は薄暗い廊下から明かりを求めて室内に舞い戻る。
 ドッグタグだった。
 見覚えのある古めかしい其れに刻まれた文字を見た瞬間、俺は弾かれるように駆け出していた。

「ッ……アーサー!」


 彼が、いた。
 ついさっきまで此処に。


 何で?

 ────俺と話す為?


 どうして逃げた?

 ──さっきの言葉を、聞かれたから?


『イギリスなんか、居なければ……』
『くたばれ、』


 違う、違う。
 誤解だ、誤解なんだ。

 待って、行かないで、何処にいるの。
 俺はこんなに君が好きなのに。

 あんな台詞、俺が君に云う筈ないじゃないか……なんて、言える訳ない自分が悔しかった。


「アーサー!」




<<<<<<<<<<<<<<<



『あ! おいアル……アメリカ! お前ちゃんとタイを締めろ! 世界会議の場だぞ!? だらしない格好してんじゃねーよ! 俺の監督不行き届きだと思われるだろうが!』

 ……また彼の小言が始まった。
 まだ今日は顔を合わせてすらいないのに。
 俺がウンザリ振り返ったのと、靴底をカツカツ鳴らして足早にやって来た彼が俺の襟首を掴むのはほぼ同時だった。
 思い切り掴まれ、途端に覚える首の後ろとお腹の辺りの違和感に、俺は慌てて彼の腕から逃れる。

『! ちょ、待って……』

『あ? なんだよ、何……ばばばばかぁ! なに急に脱ぎ出してんだ! こっ此処を何処だと…!』

『五月蠅いよ君。……あーあ、やっぱり……』

 フライトジャケットの下に着ているスーツの前を寛げて、ワイシャツの釦の真ん中らへんから三つほど外す。
 中に手を入れて服の中を探れば、チャリ、と奏でられる金属音と共にチェーンが切れてしまったドッグタグが出て来た。

『君が乱暴にするから切れちゃったんだぞ』

『う……あー……、悪ぃ……』

 ずいと見せてやれば、彼は途端にしおらしく視線を逸らした。
 少し溜飲が下がる。

『まあ、そろそろ新しいのを作ろうと思ってたから良いけどさ』

『また同じの作るのか?』

『うん、そうしようかな』

『へえ……気に入ってんのな』

『まあね。……所でこれって燃えないゴミで良いのかい?』

 訊いたら、突然彼が挙動不審に慌てふためき始めた。

『すっ、捨てるのか?』

『え? だってもう使わないし』

『な……なら、俺が貰う』

『? 良いけど……君が嫌いな俺の誕生日が入ってるんだぞ?』

『いーから寄越せ! オラ! 要らねぇんだろっ!?』

 眉を吊り上げて、少し赤い顔で手を差し出して来る彼。
 まあ捨てる手間も省けるし、そんな気持ちで俺はドッグタグを彼の掌の上に乗せた。

『はい、』

 古いもの好きな彼の性分は知っていたつもりだったけど、まさか人が捨てようとした物まで欲しがるとは思わなかった。
 けれども俺が渡した其れを、大切そうに掌に乗せて眺める彼を見るのは悪くない。

 最近は、顔を合わせる度に彼の小言を聞かされた俺が苛立って、そんな俺に彼が傷付いたような悲しそうな顔を向けて。
 そんな事の繰り返しだったから。

『……気に入ってたんだから、大事にしてくれよ?』

『たりめぇだろ。誰にもの云ってんだ』

 茶化して云えば、返って来るのは子供みたいな、けれどちょっぴり悪どい得意気な笑み。

『あ、きっと其れにはヒーローの加護が宿ってるんだぞっ! まあ悪の君に効くか分からないけどね! 君、そう云うの好きだろ?』

『んな胡散臭い加護と一緒にすんな! あと悪とかゆーな! けど、ん……サンキュ。……大事にする』


>>>>>>>>>>>>>>>



 あの後は、やれ早く服を着ろだの、ネクタイが曲がってるだの、また喧嘩になったけど。

 まさかあの時渡したドッグタグが、こんな風に使われていただなんて知らなかった。
 あれがどれくらい前の出来事か忘れたけど、まだ持ってくれているだなんて思わなかった。
 だってこれは、ゴミ……だった筈だから。

 彼がこの鍵を使って俺の家に入ったのだって、もう随分昔の……まだ彼との仲が良好だった頃の話だから、合い鍵を渡した事さえ忘れていた。


(……アーサー……)


 君に、

(逢いたい)



 走って走って、気が付いたら辺りはすっかり暗くなっていたけど、俺はそれでも走った。

 さっき丁度空港に電話を掛けている人がいて、空港への根回しは済んだ。



「えー……今日のフライトをキャンセルしたいんですけどー」

 若い男の声に、走っていた俺は進行方向を切り替えて。

「ねぇ君! その電話、空港と繋がっているのかい!?」
「ハァ? 何云っ……」
「ちょっと貸して! 直ぐ返す!」
「あっ! おい!」

 オープンカーを車道の脇に停めて肩を組む男女のカップルのうち、俺は男の手から携帯電話を奪い取った。
 直ぐさま自分の耳へ押し当てる。

「アルフレッド・F・ジョーンズだ! 今すぐ上に俺の名前を出して全体に指示して欲しい事がある!」

 どうか、どうか。

「『アーサー・カークランド』と名乗る人が来たら、絶対に引き留めてくれ! 絶対だ!」

 俺の事は許してくれなくても。
 泣いて謝って撤回すれば、本心じゃなかった事だけでもせめて分かってくれるだろうか。

 最後にもう一度名乗り、ホワイトハウスにいる筈の部下の名前も伝える。
 先日もイギリスで行われた二カ国会議の時に世話になった彼なら、俺とアーサーの名前を聞いて上手く立ち回ってくれる筈だ。

「――ありがとう、じゃあ!」

 呆然としている男に携帯電話を返して、俺は再び走り出した。


 携帯電話も、財布も上着も、自分の持ち物は何一つ無い。
 あるのは手の中に強く握り込んだ彼の合い鍵だけ。

 走って探すなんて埒が明かない、一旦家に取りに帰った方が。
 財布が有れば行動範囲も広がるし、空港や部下から連絡が来ても携帯電話が無ければ意味がない。
 そう思う、事実だ。
 けれど、でも。
 何度も何度も脳裏を過ぎって、俺はその度に否定する。

 あの角を曲がれば、次の交差点まで走れば、彼がいるかも知れない。
 そう思うと、立ち止まる事も引き返す事も、1分1秒さえ惜しかった。
 もう1mmだって彼との距離を離したくない。

 彼に呼ぶなと云われた名前を、以前はあんなに何度も呼んだ名前を、叫ぶ。

「アーサー! アーサー! 頼む! 返事をしてくれ!」


 走って走って汗だくになって息も上がって呼吸が苦しくてもまだ走って、そうしてふと視界に広がる緑にデジャヴを感じて足を止めた。

(ここは……)

 ぐるりと視線を巡らせる。
 いつか彼とデートをして、妖精の話で喧嘩になってそれっきり訪れる事のなかった公園だった。

(――ここのボートにも、君と二人で乗りたかったんだ)

 何で、出来なかったんだろう。
 俺は拳を握り締めて大きく息を吸った。


「──……妖精さん! ねえ! いるんだろう!? 俺の話を聞いて欲しい!」


 向こう側から歩いてきたカップルに笑われた気配がしたけれど、そんなのどうだっていい。

「アーサーに伝えて欲しいんだ!」

 妖精が俺に好意的なんて可能性、殆ど無いんじゃないかと思う。
 いつも否定して、妖精とは友人らしい彼を傷付けた張本人だ。
 けれど、彼の為なら。
 今も何処かで一人傷付いているかも知れない彼の為なら。

「アルフレッド・F・ジョーンズは、今でもアーサー・カークランドを誰より愛してる!本当だ!好きだ!君が好きなんだ!昔と変わらず……ううんっ300年前より!10年前より、1年前よりもっともっと君が好きだ!大切に想う!優しくしたい!させて欲しい……!」

 一息に言い切り、肩で呼吸を繰り返す。
 辺りはしんと静まり返っていて、元より妖精なんか見えない俺の目には何も映らない。

 実に滑稽だと思う。
 やっている事もそうだし、台詞もだ。
 本当に心からの台詞なのに、300年前とも、100年前とも、10年前とも云ってる事が変わらない。
 1年前は論外だ。あの頃はもう彼に酷い言葉ばかりを浴びせていた。
 じわり、込み上げてきた涙の気配をぐっと堪える。

「……君が聴いた言葉は……君に云ったんじゃないよ、……っ全然、本心なんかじゃない……っ! 寧ろ正反対だ……」

 ずっと走っていて急に立ち止まった所為か、膝がガクガク笑い始めて来て俺はその場にへたり込んだ。
 広い公園の中、冷たい遊歩道の上で背中を丸める。

「情け無い話だけど、君を失ってから漸く気が付いたんだ。俺は……俺には君がいなきゃ駄目なんだ……アーサー………… I love you.」

 背後でポヨンと、何かが跳ねた気がした。
 振り返っても、何も見えやしなかったけれど。


 



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