君がいる明日 - main
その手を離せ

その手を離せ9


「ん……ぁ……」

 不意に漏れた自分の寝起きの掠れ声に呼ばれるように、恐らく寝過ぎたのであろう重くなっている瞼を抉じ開ける。
 視界にはそろそろ見飽きてきた岩肌の壁。
 熱は大分下がったな、と身体の気だるさが抜けたのを感じてアーサーはほっと人心地つく。
 どんなに名前を偽った所で自分は所詮イギリス……人間とは違う国家で。
 薬が要らないのは助かるが、今は国元離れてる所為もあってか、この予測不能な体調不良は何とかして欲しいものだ。

「ハァ……、……あ?」

 大きく溜め息を吐き、身体を起こそうとした所でふとアーサーは違和感に気が付いた。身体の自由が利かない。

「な……んだ? 足が動かせな……は? 腕? ――!? ……〜〜ッッ!!」

 ひく、と頬が引き攣る。腰に回された腕が温かいのが余計に腹が立つ。一瞬にして覚醒した思考がアーサーに握り拳を作らせた。
 次の瞬間、震えるそれを自分の頭の後ろですやすやと寝息を立てている男の顔面へと繰り出す。

「何してやがるゴルァーーー!!!」




  ◇◇◇




「いたた……酷いじゃないかアーサー……」

「う、うるせえ!!」

 俺は痛む全身を堪えてよたよたとアーサーの後を歩く。
 普通に歩こうと思えば歩けるが、今はもう少しこのままの方が楽だ。
 一つ一つの痛みは然程大したものでも無いけど、それが全身に及ぶとなるれば歩き方もぎこちなくなる。

 しかし喩えどんなにアーサーに恨みがましく睨まれようとも、俺は殴れるような事なんてしてないつもりだ。

 昨夜、いつもより冷え込んだ気温に、無理をした所為で熱が上がっていたアーサーは四肢を丸く縮こめてブルブルと震えていて。
 けれど彼に掛けてあげられる物はといえば、アーサーの服が乾くまでは貸していたけど今は返して貰ったこのシャツぐらいしかない。そして自分は今そのシャツとズボンしか身に着けていない。あ、勿論パンツもだぞ!

 兎に角。そんな状態でシャツを貸したら俺だって寒い。
 そう思い暫く焚き火に薪を足しながら様子を見ていたけど、アーサーの事が気になって仕方無いから、仕方が無く傍に寄って。
 いつかの無人島を思い出して仕方無く隣に寝転んで。

 最初は背中合わせだった。
 けれど傍の温もりに気付いたアーサーが、暖を得ようとでも言うのか寝返りを打って俺の背中に擦り寄って。シャツを掴む指先が震えているのが、どうしても気になって眠れそうになかったから。

 だから仕方無く、そう仕方無く。
 彼がワザとかってほど目算を誤ってくれたブカブカのズボンの腰紐を解いて彼の細くて肉が全然付いてない身体を引き寄せ。ウエストの布地を掴んで思い切り引っ張って更に伸ばした胴回りの中に彼の足を無理矢理突っ込んで、ぴったりと密着する身体を後ろから抱き締めて。
 そうする事で漸く止まった震えに、俺もやっと安心して眠れたのだ。

 ――俺がそう事の顛末を説明させて貰えたのは、「ばか!ばか!ばか!」と一頻り殴られてボコボコにされた後だった。

 全く……。君って人は、本当に俺の話を聴いてくれないんだから。

 けど俺は優しいからね。
 寝覚めの第一声が、熱に浮かされた君の耳障りな呻き声よりはマシだったって思ってあげるよ。




 ――そして今。まだ痛む全身故に素直に元気になって良かったとは思えないアーサーと俺の二人は、数日過ごした洞窟から少し遠く離れた森の中を、探索と食糧探しを兼ねてのんびりと歩いていた。

「ばーか、それは喰えねーよ。お前、森での暮らし方を全然知らねぇのな。――はは、残念だったなァ、それさえ出来りゃ俺の事なんて見捨てられたのによ」

「はぁ……どうして君は、そう捻くれてるんだい……」

 まるで鬼の首でも取ったような顔で高笑いを奏でるアーサーに、俺はがっくりと肩を落とす。
 何をどう考えれば、毒キノコと食べられるキノコを選別して貰うが為だけにあんな苦労をしたと思うのか。
 否、それだけでは無く、確かにアーサーは流石というか昔は森で野生児をしていたらしいだけあって、全てに於いて手慣れては居たけれど。
 勿論そんな理由で助けた訳でも断じてない。

「――喩え君が動けなくなったとしても、俺は背負ってでも君を連れて帰るよ」
「あー? 何か言ったかー?」
「っ……何でも無いよ!」

 聴こえないようにぼそりと呟いたつもりが、微かでも彼の耳に届いていたようで俺の頬が熱くなる。けど二度なんて言える筈がない。
 思わず大声で返すと、アーサーは怪訝な表情で振り返りつつも特に追求する事は無く、代わりに一株の野草を突き付けられた。
 ――これは食べろって事なのかい?

「……ん、これ。ほらよ」
「? なんだいこれ?」
「いいからつべこべ言わねぇで潰して掌にでも塗っとけ!!」

 嗚呼、薬草の類かと納得する。
 そう深くは無かった傷は既に塞がっていたけれど、彼なりの気遣いに俺は頬が緩むのを隠せなかった。
 他の相手では、喩え現代のイギリス相手でもこんな事ぐらいじゃ絆されたりしないけど、このアーサーからの気遣いは特別なのだ。彼の相手をするのは気位が高い猫よりも難しい。

「アーサー、ありが……って一人でそんな先に行かないでくれよ!」
「うるせえ!」

 無言で進む彼の真意は、赤く染まった耳が代弁してくれて。
 俺は思わず笑みを深めるけれど、そんな温かな心とは別に、小猿か何かのように足場の悪い道なき道もひょいひょい進む彼とは違って、草木を掻き分け足を踏み締めながら進まなければいけない俺とアーサーの距離は徐々に開いて行った。
 それでも、彼が本気を出せばこんなものじゃないだろうから、一応の手加減はしてくれているんだとは思うけど。

「そんなに照れなくても良いじゃないか」
「ばっ、ばか! 俺は陽が暮れる前にだな……っ!?」

「――アーサー?」

 俺の位置からするとまだ先の、少し木々が開けた場所に足を踏み入れたアーサーが不意に屈み込んだ。
 俺は蛇でも居たのかと彼の名を呼びながら歩調を早める。何やら悪い予感に焦燥を募らせる俺の心を読んだなんて事ないだろうけど、アーサーが「来るな!」と叫ぶから、俺は余計に足を急がせた。

「アーサー!一体どうし――」

「チッ、くそぉ……っ!」

 見れば忌々しげに舌打つアーサーの腕からは、シャツを赤に染める血が手の甲まで一筋滴っていて。怪我の無い方の手では先端に彼のものであろう血液が付着した木の矢をへし折っている所だった。
 そのバキリと辺りに響く音に混じって、周囲の茂みがガサガサ動く。

 ――誰か、いる。

 少なくとも突然攻撃を仕掛けて来るくらい俺達を良く思っていない、恐らく複数人が。
 迂闊だった、こういう場合、先に発見された方が既に不利なのだ。

「……大丈夫かい?」

 怪我の程度を確かめたくて伸ばした俺の手を、アーサーが制して立ち上がる。
 前歯で器用に血の滲むシャツを銜えて反対の手で裂き、手際良く止血を施す様子は俺の助けなど全く必要としていない。
 どうやら大丈夫そうだ。安堵に胸を撫で下ろす。
 アーサーは体勢を崩したまま低く構え直し、小声で耳打った。

「――おい、今は状況が分からねぇ、一旦別々に引くぞ。後の事は適当にやれ!」

 勝手な号令と共に、アーサーが開けた場所から飛び退いて今来た道から見て左の方へと駆け出す。
 頷く暇さえ無かった俺も彼とは反対方向の右へと走った。
 走った所で状況は相変わらずサッパリだし、相手は飛び道具を所持しているし、まだ本調子じゃないアーサーに後ろ髪引かれる思いもあるけれど。
 武器も、作戦を考える時間も、相手の情報も何も無い今は、地の利を全く生かせない森の中は不利だ。俺が向かう此方側は、もう少し走れば海岸に出られる。

(アーサーは大丈夫さ……彼には武器があるし、幾ら本調子じゃないからって、普段威張り散らしてる大英帝国様がこんな所で遭難してやられたら、とんだお笑い種だ)

 自分に言い聞かせるように紡ぐ俺の心の声を嘲笑うかのように、再び茂みが音を立てて動く。
 今度は音だけに終わらず茂みの中から人が飛び出して来た。

(……三人。アーサーの方には何人行ったのかな……)

 見たところによると彼等は只の人間のようだった。原住民族か、俺達のような票流者か。
 強面で、質素な服の姿はアーサーの船に居た人達を彷彿とさせたけど、全然違う。
 その目はギラギラと怪しく光っていて、獲物を追い詰めて追い詰めて楽しむ目だと嫌でも直ぐに分かった。
 どんなに刃を遊ばせても武器を取り出さない俺が丸腰と分かると、彼等は目配せをし合って卑下た笑みに口元を歪める。

「さっきのお前の仲間、終わったな」
「……何だって?」

 挑発のつもりか。俺は三人を視界から外さないようにしながらじりじりと後退する。
 あのアーサーが負ける訳――。
 そんな俺の考えなどお見通しとでも言うように、男の一人が鼻を鳴らした。

「あの矢にはなぁ、即効性の毒が塗ってあるんだよ」
「な…っ!?」

 毒だって?
 だからあの時……俺の脳裏に矢を受けた時のアーサーの過剰な反応が蘇る。
 俺は苦々しく舌を打つと、直ぐさま今来た道を駆け戻った。
 男達はそんな俺の足を止めるでも無く、一定の距離を開けて後ろを付いて来る。

 毒を受けたらしいアーサーと、丸腰で逃げてばかりの俺。
 完全に遊ぶ気でいるようだが、そんな事……今は手を出して来ないのなら好都合だ。

(っ……アーサー……!)

 別々に引こう――などと、彼は一体何のつもりだったのか。
 考えるだけで苛々してくる。

 早く早くと焦れば焦る程に思うようには前へ進めなくて。
 草木を掻き分ける不快な雑音だけが、バキバキ、ガサガサとやけに耳につく大きな音を立てて焦燥感を煽った。

 逃げた時よりも短時間で先程のアーサーと別れた開けた場所を通り過ぎ、更に少し進むと人の声が俺の耳に届く。

「もっと楽しもうぜぇ〜」

 愉悦に満ちた低い嗄れ声。
 あの男が相手をしてるのは、きっと……俺の──。

「アーサー!」


 



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