君がいる明日 - main
その手を離せ

その手を離せ8


 翌日。俺は洞窟の外へ果物を採りに出て居た。
 色々あって忘れていたが、一度思い出してしまうと空腹は抗い難く、アーサーにも何か栄養がある物を食べさせたかった。
 アーサーはあれから何度か寝起きを繰り返していたが徐々に顔色も良くなり、無理をしなければそろそろ動ける頃合いだろう。

 美味しそうな果物を入手出来た俺が鼻歌混じりに洞窟の入り口付近まで辿り着くと、外に倒れている人影を発見した。
 俺は目を見開いて両手に抱えた果物をボトボトと取り落とし、一瞬心臓さえ止まってしまったような感覚に襲われつつも何とか金縛り染みたそれを解いて駆け出す。

「アーサー! 一体なんでこんな……!」

 ぐったりと横たわる彼を抱き上げると、辛うじて意識はあったようで伏せられていた瞼が震えながら持ち上げられた。
 一体何があったっていうんだ。心臓が煩いくらいに内側から俺の胸を叩く。
 アーサーが地に投げ出していた腕を緩慢と持ち上げる。そのまま腕を伸ばして来たかと思うと、何故か思い切り襟首を掴まれた。

「俺の銃をどうした……!」

 ……。
 ああもう、君は、どうしてそう。

 一瞬呆けた俺だが、直ぐに安堵が勝り強張っていた肩を溜め息と共に盛大に落とす。アーサーに睨まれた。

「ナイフはあったから服と一緒に置いたけど、銃は見てないな――此処へ運ぶまでに森に落としてしまったか、恐らく海に……大切な物だったのかい?」

 いくら記憶を探れど、銃を目にした覚えはない。
 アーサーはそれを聴き微かに瞳を揺らめかせて逡巡を見せたが、変わらずに俺を睨み続けている。
 目の色が意思を持った刹那、アーサーは先程俺が話に挙げた短刀を手早く取り出した。鞘を捨てると、具合が悪化してきたのか呼気を荒げながら俺の喉元にひたりと刃を当ててくる。

「っ……アーサ……」

 刃を向けられた、その事に関しての動揺はしない。アーサーは刺したりしない。
 けど、その顔が……俺が彼から独立した日である誕生日前にイギリスに向けられる目に何処か似ている気がして。
 裏切り者の烙印、信用されてない、鋭利に冷えた眼差しが言葉にしなくてもそう俺に伝えてくる。
 悲しみの色が混ざって居ない今の顔は、誕生日前に向けられる其れよりはマシだと思えたけど、その分、つまり俺は最初から全く信頼されて居なかったって事だ。
 昨夜の穏やかな空気は何処にも無い。

 総てを悪い方へと考えるネガティブなイギリスより、アーサーは更に輪を掛けて質が悪い!

「信じてくれとは言わない! けど、君だってずっと此処に居る気は無いだろう!?」

 俺も、突然アーサーに俺が二番目に苦手としている彼の表情を向けられて、気が動転していたのかも知れない。
 別に彼に向けられる短刀なんて怖くは無いけれど、兎に角その顔を――俺に「お前なんか信じられない」と無言で告げる顔をやめて欲しくて、気が付いたら自分の喉元に宛がわれる刃をぎゅ、と握り締めていた。
 掌に鈍い痛みが走ると共に赤い血が筋となって手首を滴り落ちる。

「なっ……」

 アーサーが驚愕の表情で柄から手を離すと、俺の手も離れて短刀が地面に落ちた。カラン、と乾いた音を奏でる。
 言葉が出て来ないのか、唇を小さく開閉させながらアーサーが俺の手を見るのが、何故だかとても気に入らなかった。
 そんなに直ぐに絆されて、ならば何故あんなに他者を拒むような素振りをするのだ。

(なんだい、さっきと打って変わって隙だらけじゃないか…。あの表情をやめたのなら君は、まずは俺を見るべきだ!)

 俺はアーサーの服が血で汚れてしまうのも構わずに細い躯を掻き抱いた。
 そうしようと思った訳ではない、気が付いたらそうしていて。
 俺は自覚が無いままアーサーの肩口に額を押し当てる。

(信じてなんて、そんな事……俺はこの人に言えない――)

 脳裏にあの雨の日の光景が蘇る。

(裏切るつもりなんか無かった)

 しかし、結果として自分の独立は彼にとっては裏切り以外の何物でもなくて。

(夢の中の君には幾らでも言えるのに、現実の君を前にすると、俺が君を壊してしまった過去がよぎって足が竦むんだ)

 この人を守る為に、俺はどうすれば良いんだろう。

 抱き締める腕に力が籠もった時、アーサーの戸惑う声が俺の耳に届いた。

「お、おい……?」

 その声は、俺がアーサーの肩口から顔を上げると、更に戸惑いの色を濃くする。

「――なっ、お前! 何泣いて……」

 俺はそれには応えず、ぐっと肩を掴んで身体を離し、両手を上に挙げた。

「好きなだけ調べなよ」

「……え……」

 上半身裸で、下はアーサーの方が良く見慣れているシンプルなデザインの、海賊から借りたブカブカズボンを布でキツく締めた格好で。
 最初から調べようも無いのだが、彼の気が済むならもう何でも良かった。
 寝てる間に森に隠したとか言われるだろうか。色々とアーサーから返って来そうな言葉を思案してみるが、当のアーサーはしどろもどろと狼狽えていて、一向に調べようとする気配が無い。と、不意にアーサーの身体が傾く。

「アーサー!?」

 手を伸ばすと、軽い身体はあっさりと俺の腕の中に収まった。
 本格的に具合が悪化したらしい。
 既に意識が朦朧としているアーサーの呼吸は苦しげで、額に掌を当てると高い熱を伝えてきた。
 寧ろなんでさっきまであんなに元気だったかが不思議でならない。

「立てるかい?」

 俺はそんなアーサーを支えて洞窟の奥へ入ると、草を敷いた寝床へ彼を横たえた。
 鞘に戻した短刀は彼の直ぐ傍に置く。
 掌の傷は刃が喰い込んだだけで浅く、鈍い痛みは残るが大きな傷にも出血にもならなそうだ。

「ちょっと待っててくれよ」

 アーサーの事は心配だったが、入り口に落として来てしまっていた果物を取りに戻るべく踵を返した。
 早く早くと気が急く。

「うっ……」

 小さく呻く声に視線を移すと、苦しげに頭を振るアーサーの目尻から涙が一筋零れた。
 彼の小さな声を逃さなかった俺の足が止まる。

 それは生理的なものだったかも知れないけど、俺には辛くて苦しくて、寂しいように見えて。
 聞けば絶対違うと言うだろうけど。
 俺はアーサーの元まで戻って膝を着き、零れた涙を指で拭う。
 ふと思い返してみれば、柄の悪さに反して意外と涙脆い彼の泣き顔を、アーサーからはまだ一度も見ていない。

「意地っ張り……」

 臆病で、諦める事に慣れたいのに其れでも諦め切れなくて苦しいから他者を遠ざける――そんな君と。
 全部が欲しい、知りたいんだ……って、お互いに全力でぶつかり合う事を望む俺――。

 理解し合うのは難しいかも知れないけれど。

"信じる"それが出来たら、何かが変わると思うんだ。


 そろりと髪を撫でてみたら、少しだけ、アーサーの表情が和らいだ気がした。


(イギリス、俺はもう子供じゃない……子供じゃいられなかったんだ。俺からの反撃、受け止めてくれよ――?)


 



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