君がいる明日 - main
その手を離せ

その手を離せ5


 日々は慌しく過ぎていった。
 狭い船内で共に過ごす内に、幾つか気が付いた事がある。

 俺の知るイギリスには、口では素直じゃないけど、いつも其処に居てくれるような……そんな安心感があったと、今なら思う。
 けれどアーサーは、ある程度まではイギリスと同じ反応が返って来るのに、距離が縮まるかと思えば離れて行ってしまう感じだ。

 アーサーは乱暴者で、横暴で、偉そうで……まあ実際に偉いんだけど。そして、大概いつも一人だった。
 一人なのは俺の知るイギリスも同じだけど、アーサーにはイギリスにはあった構って欲しそうなオーラだとか、寂しげな雰囲気が一切なかった。
 だから皆、近寄り難いと言って一線を引く。
 俺の目から見ても、アーサーは一人で居る事が好きな孤高の一匹狼に見えた。

 けれど俺は、彼が本当は寂しがり屋な事を知って居る。

「やあアーサー! 君は相変わらず辛気臭い顔をしてるね。」
「バッ……! ゴラァ! 急に押すんじゃねーよ! 危ねぇだろが!」
「そうだね。もし君が海に落ちても、俺は助けてあげられないからね」
「ハッ、てめぇの助けなんざ要るかっての。一緒にすんじゃねぇよ。つか仕事サボんな! 持ち場に戻れ!!」
「HAHAHA! 今は休憩中なんだぞ!」

 俺がアーサーにちょっかいを掛けるのを最初はハラハラと遠巻きに見ていた海賊達だが、暫くすると一目置かれるようになった。

(一目置かれる最大の理由は、別だろうけどね)

 俺は今朝も船員からこっそり手渡されたアーサー作のスコーンを思い出す。
 海賊達は、アーサーのスコーンに恐れ、慄き、しかし本人には言えず何かの罰だなんだとこそこそ騒いで居た。
 彼等がどれ程の期間を共に過ごして居るのか知らないけど、全然分かってない。

 アーサーが自分の為だけに作るスコーンはそんなに不味くはない。勿論パサパサだし味はしないし、8割方焦げてはいるけれど。
 因みにこの「8割」とはスコーンが焦げてる確率ではなく、一つのスコーンに対して炭化している面積の事だ。

 問題があるのは、アーサーが誰かにあげる為に作った本番スコーンや、その為の試作スコーン。
 だから、船員達が持って来るあのスコーンは――。

(全く。いつの時代でも、君の好意が伝わり難いのは同じなんだね)

 大方、今朝のスコーンは「深夜の見張りご苦労様スコーン」といった所だろう。

(だいたい、この程度で音を上げてるようじゃ"イギリス"のスコーンは食べられないんだぞ)

 現代の豊富な食材調味香辛料で織り成される味覚のハーモニーは、不名誉ながらイギリスと並んで二大味音痴を誇る自分以外が食べると、時に卒倒してしまう程だ。

 自分が本来いるべき元の時代では、付き合いの長いフランスとか、長くはなくとも人の気持ちを汲むのが上手い日本に「分かってない」と言われて来た自分だが、今此処では。

(俺が一番アーサーの事を分かってるんだぞ)

 それが、なんだか嬉しかった。

 嬉しく感じる理由までは解らないけど。

 それでも、こんな日常を楽しく思っている自分が居る事だけは事実だった。



  ◇◇◇





 波音が鼓膜を擽り、星明りが優しく照らしてくれる――。
 そんな中、アーサーは甲板の片隅で人知れず溜め息を漏らしていた。

 船の上で突然変な奴を発見してからと云うもの、自分は"らしく"ない。

 ただ純粋に楽しいと感じた事などいつ振りだろうか……そんな考えが浮かぶ頭を緩く振って、ぐるぐると渦巻いて止まない思考を追い出す。

(俺は誰も信用しない、気も許さない。信じる方が……騙される奴が馬鹿なんだ)

 暫く夜の海面を睨んで居たが、風が冷えて来た所で踵を返す。

(……あいつも、もう寝ただろ)

 つい同室を許してしまった相手の顔を思い浮かべてしまい、アーサーは再び首を振る。くすんだ金髪がパサパサと揺れた。
 すると、勢い付けた所為だろうか。不意の目眩に襲われる。

「……っ!?」

 ぐにゃりと歪む視界。倒れそうになるのを何とか踏み留まった。
 アーサーはこめかみを押さえると、平行感覚が戻るのを待ち、先刻よりも盛大な溜め息と共に再び歩き出す。
 この感覚は、長く永く生きてきた中で何度も経験して来たものだ。

「ッ……こんな時に、」

 力無い呟きは、誰の耳にも届く事なく夜の潮風に舞って消えた。





  ◇◇◇



「アーサーが起きて来ない?」

 今夜来る嵐に備えて船の補強作業に精を出して居た俺は、厳つい声に「アルフレッド!」と呼ばれて振り返る。
 強面集団の海賊達の中でも取り分けて顔が怖けど、何も知らない俺に良くしてくれた人だ。
 話の内容は、昼過ぎになっても起きてこないアーサーの様子を見て欲しい、というものだった。
 何で俺が、と思わなくもないけれど、いつも俺が寝てから部屋へ戻って来て俺が起きるより早く出て行くアーサーが、俺が起床して着替えの最中もベッドで丸くなって居たのは気になっていた。
 一応、部屋を出る前に声を掛けたのだが……、思い切り睨まれてしまったのでそのままにしたのだ。

「任せてくれよ」

 俺は工具を置くと、立ち上がって自分の胸を叩く。
 急ピッチで進めている補強作業はアーサーの指示待ちの箇所もあるし、それにさっきから自分が作業した箇所をアーサーに見せたいと思っていた。
 今まで掃除から他の何に至るまで一度もアーサーに褒められた試しが無いけれど、今日の成果は自分で言うのもなんだがなかなかだ。今度こそ実力で鼻を明かしてやりたい。
 俺は服の汚れを払うと作業場を後にした。此処からアーサーの部屋へは、一度甲板に出てぐるりと回って行かなければならない。

 俺がアーサーと同じ部屋で寝起きするようになったあの日……俺が弱音を零したあの日から、既に半月が経過していた。

 人間、弱っている時は気持ちまで弱気になるものらしい。
 俺は彼の前で晒してしまった失態をそう結論付ける。
 今はもう全然平気……否、全く何も不安がないと言えば嘘になるが、現状を受け入れ、こうして上手くやっている。
 あの時は何故だか、まだイギリスから独立する前…更に云えばたった一人で広い場所に残される事が怖くて怖くて、泣いて彼を引き止めた日に抱いた感情によく似ていた。
 日本が教えてくれた言葉に「三つ子の魂百まで」というものがあったけど、自分の心は不安定になると彼の存在を求めてしまうのだろうか……なんか嫌だ。

 冷静になった後はアーサーに追い出される覚悟もしたけれど、予想に反して彼が出て行けと言う事は無かった。

 海の上の生活は、暇だったり忙しかったりと慌しく、何よりスリリングで。真新しい事に満ち溢れていた。
 アーサーも皆も、色々な事を教えてくれる。
 星の読み方や船酔いしない秘訣。船の補強の仕方を初めて教わった時は、思うように力が入れられなくて「釘も打てないのか」と馬鹿にされたものだが、最近はこの身体の扱いにも慣れて来て、以前の力には遠く及ばないものの、だいぶ力のコントロールも利くようになった。
 ――この事に関しては、喜ばしい反面、まさかこの世界に身体が馴染んで同化し始めてるんじゃ……なんて考えると少し怖い。いや少し所ではない。俺は慌てて思考を追い出す。もっと別の楽しい事を考えよう。

 元の時代へ帰ったら、イギリスと海に出てみたいと思った。
 イギリスはブランクがあるし、今ならきっと俺の方が海に詳しい……事は無いだろうけど、絶対に驚くに決まってる。
 考えるとワクワクした。

(きっとイギリスは、マストの天辺の見張り台になんか登らせてくれないだろうな。『危ないだろばかぁ!』なんて言ってさ)

 自分の想像がリアルに浮かんでしまい、思わず笑みが零れた時、丁度アーサーの部屋の前に辿り着いた。
 俺は一応ノックをして、けれど返事を待たずに扉を開けて中へ入る。

「アーサー、まだ寝てるのかい?」

 入り口からベッドの上の塊へ声を掛けるが、返事はない。
 まだ寝てるのだろうか、俺は傍まで寄ってみる。
 もし起きていたら怒鳴られるのを覚悟で顔を覗き込むと、アーサーは苦しげに肩を上下させ、額には汗を浮かべていた。眉間はキツく歪められている。

「アーサー!?」
「っ……るさい……」

 驚きで発した俺の大声に目が覚めたのか、アーサーが薄らと翠眸を覗かせて煩わしげに俺を見た。

「今、誰か人を呼んで……」
「いい……」
「けど君、つらそうじゃないか!」
「いつもの……だから……」
「――本国で何かあったのかい?」

 俺達は――俺は今違うけど、国は本人の体力気力的な問題の他に、本国の影響を強く受ける。アーサーの口振りから、何となく自分にも覚えのある其れを察して指摘すれば、「何処まで知ってんだ」と言うようにじろりと睨まれた。
 俺はそれに構わず、適当に傍にあった椅子を引いて来て枕元に程近い場所で座る。アーサーが訝しげに目を眇めるから、俺は力強く答えた。

「君が寂しいだろうからね、此処に居てあげるよ」

 我ながら言い方が悪かったとは思う。
 しかし、イギリスなら「ばかぁ!」とか言いながらも決して追い出そうとはしない事を知っていた。だって彼は、俺が知る中で一番なんじゃないかってぐらい寂しがり屋だ。
 ――けれどアーサーは、イギリスみたいに俺を子供扱いしないから一緒に居て気を遣わない反面、イギリスよりも輪を掛けて素直じゃない。
 ほんの一瞬目を丸めたアーサーが、次の瞬間、具合の悪い身体をベッドの上に起こそうと藻掻きながら、俺を射殺さんばかりの鋭い眼光で睨み付けて来た。

「……誰が、何だって……?」
「君は寂しがり屋じゃないのかい?」

 思わず確認するような口振りになってしまう。

「そう見えるんだったら、テメェの目は節穴だな」
「違う。君は寂しがり屋だろ」
「……馬鹿にしてんのか?」

 ムキになって言えば、事態はより険悪なムードとなってしまう。
 彼も苛立っていたが、俺もムカついていた。
 こんな時ぐらい、頼ってくれても良いじゃないか。

「どうして隠すんだい、本当の君は……」

「本当の俺? はっ、バカバカしい……お前が俺の何を知っている。――それとも何か、寂しいっつえばお前が俺の寂しさを埋めてくれるのか? この先ずっと傍に居るってか」

「そ……っ」

 ――そうだ。なんて、言える筈が無い。
 俺はこの世界の住人ではない。突然元の時代に戻る可能性だってある。
 それに、今の自分は彼に人間だと思われている筈。国から見れば人間の一生なんて一瞬だ。つまり彼の言う『ずっと』は有り得ない。

(最初から、答えさせてくれる気なんか無いんじゃないか……)

「――出て行け」

 俺が押し黙っていると、探るような目をしていたアーサーから冷めた表情で告げられた。
 唇を一文字に引き結んで暫しの睨み合いを続けて居たが、譲らない眼光の鋭さと一層悪くなったように思う具合の様子に、俺は諦めて席を立つ。
 此処に居るべきだと抗う気持ちと、出て行けと言われたのだから出て行けば良いという気持ちが内心でせめぎ合っている。
 そんな俺の背に、ベッドの上から声が掛けられた。

「……俺の何を分かった気でいるのか知らねぇが、テメェの価値観押し付けてんじゃねーよ」
「それは……っ!」

 それは君じゃないか。
 ――違う、俺が思う"それ"とは俺の知る"イギリス"であって、アーサーではない。
 けれど、矢張り彼にだけは言われたくない。
 俺はすっかり血がのぼった頭を、彼は病人だと自分に言い聞かせて何とか押し留め、足音も荒々しく部屋を後にした。

 何故彼は、ああなのだ。まるで誰も信じていないかのように意地を張る。
 そう考えて、はたと別の可能性に気付いた。
 今の彼が俺の知る彼と懸け離れているのではなく、俺の知る彼が……イギリスが、俺――アメリカに心を許してくれていたのではないだろうか。
 独立してからと云うもの、顔を合わせれば嫌みの応酬は絶えないけれど。それでも俺は、もしかして今でも未だ、彼の"特別"の位置に居たのだろうか――。

 彼の扱いが上手い日本やフランスなら、さっきの場面も上手くやれていたのかも知れない。

 もしこの世界が、俺が元居た世界と同じ道を辿るのなら、彼と幼い自分が出逢うのもそろそろの筈。
 幼い日にイギリスが向けてくれて居たあの笑顔は、今のアーサーも持っている筈なのだ。

 此処に来て何度も向けられた、冷めた表情を思い出す。
 棘が出てるみたいに他者を拒む彼、そんな彼は幼かった自分に癒やしを求めたんだろうか。
 今の彼を変えたのは、誰だ。
『お前といると、なんだかすげー和むよ』当時の自分に、彼を微笑わせる事はとても容易い事だった。同時に思い出すのは、忘れたくても決して忘れられない――独立時に見た泣き崩れる姿。

 知っていた筈の事実が、何故だか胸に重くのしかかって来る。

 例えば彼よりも先に"アメリカ"を見付けて「独立するな」と言えば未来は何か変わるだろうか。
 否――それは違う。

 俺は……彼の保護下に居て護られたかった訳じゃない。

 出来る事なら俺だって、彼を守りたかったんだ。


 



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