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その手を離せ

その手を離せ4


「う……ん……」

 ぼんやりと、虚ろに眠りの淵を彷徨っていた意識が浮上する。
 ――全ては夢だった……なんて事にはなってくれず、目覚めた俺を待って居たのは見慣れない天井と、波音に紛れて船が軋む音だった。
 丸い小窓から差し込む光が眩しくて、手を翳して遮ろうと持ち上げたら自分が服を着てない事に気が付いた。
 何故服を着ていないのかと考えた所で、海に落ちた事を思い出す。

(そうだ……アーサーと勝負して、風に飛ばされた帽子を掴んで、それで……)

 徐々に記憶がはっきりして来るにつれ、同時に下唇を噛む。
 まさか自分が溺れるなんて。否、それよりも自分が今ただの人間になっているだなんて。
 信じ難い事だが初めて感じた水の恐怖は今もまざまざと残っていて、思わず震える指先を掌で握り込んだ。

 横たわったまま部屋の中をぐるりと見渡せば、此処が誰の部屋かは直ぐに見当がつく。
 自分が寝かされて居るベッドは柔らかくシーツの手触りも上物で。そんなに広い訳では無い、いっそ質素とも言える室内には、持ち主の趣味が窺える一見古めかしいが品の良い調度品や収納棚が小綺麗に並んでいた。
 何より、二人掛け程度のたいした大きさも無いソファの上で、片方の肘掛けに頭を乗せて枕代わりに、反対側の肘掛けへ組んだ両脚を投げ出して、見事にこじんまりと収まって居る金髪の彼は、自分が思う人物で間違い無いだろう。
 顔の上に乗せられている見覚えのある海賊帽がその表情を隠してしまっているが、どうやら無事に回収出来ていたらしい其れに安堵する。

 室内には二人以外は誰も居なかった。
 そんな空間に先ずは人心地つく事は出来たが、事態は何も解決していない。

(……これからどうしよう、どうすれば……)

 いつになったら元の時代へ戻れるのか。
 否、それよりも……自分はちゃんと戻る事が出来るのだろうか。
 尽きない悩み、そして考えた所で解決の糸口すら掴めない思考の渦に瞼を伏せて嘆息する。
 その溜め息でかどうかは分からないが、彼が目を覚ましたらしい。身動ぎで生じる衣擦れの音に横目で見遣れば、ソファから身体を起こして座り直している姿が目に入った。
 体勢が悪かったのか、大きく伸びをすると肩を回している。
 手にしていた帽子を被ると、彼は口許を歪めて俺を見た。全く、人の悪い笑みを浮かべる人だ。

「よお、起きたかよ。溺れるなんてダセェな、お前」
「イギリ――」
「アーサー」

 ニヨニヨと愉しげな声から一変して鋭い指摘を受ける。
 俺は憎まれ口を叩く気になれず、分かったと言うように肩を竦めて見せた。
 ベッドの上に身体を起こして視線を合わせる。二人の間に空いた距離がどうにももどかしいが、下着も身に着けていないのでブランケットから出る訳にいかない。

「……アーサー……、俺は……これからどうすれば良い? ……分からないんだ……」

 零れた問いは、思いの外情けなく響いた。
 アーサーに訊いたって仕方無い事だ。それは分かっては居たけど、他に助けを求める当ても無くて。
 案の定、アーサーは俺の言葉の意味が分からないと言うように特徴的な眉を寄せている。
 突き放されるだろうか、俺はどうする事も出来ず両手で顔を覆った。

「あ? え、あぁ、あー……──お、お前、俺との勝負に一応勝っておいて、なに情け無ぇツラしてやがンだ。……言って於くが、お前に貸してやれる予備のボートなんかウチにはねぇぞ。けどま、俺も海に放り出すほど鬼じゃ……いや、まあ其れは置といてだ」

 アーサーが早口で捲くし立てた言葉を一旦区切る。
 俺は目を覆っていた掌を外して、ソファの上のアーサーを見遣った。
 今の俺は、アーサーの言う通りとても情けない顔をしてると思う。

「……ウチは働かざる者喰うべからずだ」

 視線を逸らして独り言のように告げるアーサーに首を傾げるが、アーサーはそんな俺に構わず続ける。

「っ……、つまりだ、昨日みたいにのんびりして居られると思うなよ。今日はまあ、いい。明日っからはキリキリ働け、部屋は――」

 のんびり?昨日は酷い目に遭ったんだぞ。
 そんな事を心の片隅で思いながら、今それよりも俺の胸を占めるのは……。

「っアーサー! 床でも構わないから此処が、部屋は此処が良い」
「……は?」
「こんな知らない所で、一人にしないでくれよ……」

 口にしてから、以前……もう何百年も遠い昔、同じ様な台詞を云った事があると思い出す。『こんな広い所で、一人は怖いよ、心細いよ…』帰ろうとするイギリスを泣いて引き留めた。それでも彼はいつも帰ってしまうけど、あの時はまだ大きく感じていた手で、優しく撫でてくれて。
 それは子供の頃の話である筈なのに、今の自分の心境と良く似ている気がした。
 意識すればする程離れ難くて、俺は必死だった。

「や、一人部屋じゃねぇぞ。他の奴等と一緒だ」
「君の傍に居たいんだよ」

 俺は彼の言葉には耳を貸さず、ベッドを降りて傍に寄ろうとするが、慌てたアーサーに制される。

「っ、分かった! 分かったから、先ずは服を着ろ!」

 顔面に投げ付けられてシーツの上に落ちた布地を手に取ると、いかにも海賊といった衣装だった。

「……これは……」
「サイズが合いそうな奴から借りた、後で礼を云って於けよ。お前が着てた服は外に干してあるから乾いたら適当に回収しろ」

 先程の『分かった』が了承の意であると確認したいのに、アーサーが早くと急かすから、ウエストが余りまくって全然合ってないサイズにも文句を言わず、皮のベルトで締めて手早く着替えを済ませた。
 彼の部下と同じ格好になった俺を得意気に眇めた双眸で見遣っていたアーサーが、俺の視線に気付いたのか「男に二言はねぇよ」とそっぽを向く。
 俺が安堵の笑みを向けると、アーサーはちらりと見遣った後、不意に感情を捨てて淡々と紡いだ。

「ただし、武器の所持は一切認めねぇ。それと、この船に居るからには俺の命令には絶対服従だ。いいな」

 ――鋭利な視線が、胸に痛かった。




 そうしてこの日から俺は、アーサーが船長を努める海賊船「カークランド号」の下っ端として彼等と生活を共にする事になる。



 ねえイギリス、これは……君の過去に本当に起きた事なのかい?

 それとも、今この時間は他の未来へ繋がって居るんだろうか。

 イギリス……君に言いたい事、訊きたい事……沢山あるんだ。


 



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