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その手を離せ

その手を離せ10


 卑下た声で低く嗤う男と対峙するのは、予想通りアーサーだった。
 樹の幹を背に膝を地に着きながら短刀を片手に男を睨み付けている。
 先程矢傷を受けた腕は力が入らないのか重力に従い力無く下がり、地面にその甲を着けていた。
 俺はアーサーを背に庇うように男との間へ踊り出る。

「お前……何で……ッて、なに引き連れて来てンだよバカ!」

「全員倒せば問題無いだろう!?」

 俺を見て一瞬驚いたように目を丸くしたアーサーだが、俺の直ぐ後ろから迫る追っ手に気付くと、キッと眦を吊り上げた。
 俺はアーサーの手から武器を引っ手繰って、合計4人となった敵対者へ対峙する。
 アーサーを背に立つ俺の前に、愉しげに口角を歪める男達が半円を描くように弧状に並んだ。

 元の時代と比べたらパワーダウンは否めないけど、俺だって伊達に何百年も生きて来た訳ではない。
 剣など使わない時代になって久しいものの、技術にだって自信はある。
 俺はアーサーの体温が残る柄を握り直した。

 ――戦いの合図は、目が合った時と目を逸らした時と、相手の視界から外れた時だ。




 名前も知らない背の高い木々が生い茂る、足場の悪い未開の森の中に刃と刃が交わる金属音が響く。

「っ……く……!」

 力でも技術でも埋められない差、互いが持つ武器のリーチの差により、俺は相手に掠り傷程度しか負わせられずにいた。
 俺も相手の攻撃を躱すから掠り傷だけど、今は多勢に無勢の絶対的優勢なこの状況を楽しんでいる相手が、いつ遊びに飽きて四方から襲い掛かって来るか分からない。

(せめてアーサーみたいに小回りが利けば、相手の懐に飛び込めるんだけど……)

 そのアーサーが、今は俺の代わりに丸腰になってしまっている事も気懸かりだ。
 毒も早く処置しなければ、手遅れになるものかも知れない。
 次第に俺の心を焦りが占める。

(……っ、アーサー……!)

 あまり相手に気取られないよう、微かに横へ流した視線でアーサーを捉えると、先程から感情の読めない静かな表情で一点を見詰めていた細い肩がぴくりと震えた。
 そして不意に立ち上がると、くるりと背を向けて一気に森の奥へと駆けて行く。
 アーサーの事は手負いの兎程度とでも度外視していたのか最後のお楽しみだったのか、ずっと無視していた男達は走り去るアーサーの背を見送った後、ゲラゲラ笑い声を上げた。

「へへ、折角助けに来たのに一人で逃げちまったなぁ」

 その行動を揶揄すると言うより、俺の反応を楽しむつもりであろう耳障りな声が目の前の男から発せられる。
 馬鹿だね。ヒーローに向かってそんな台詞が効くと思われているだなんて、心外だ。

「彼が生きているのならそれで良いさ」

 勿論これは本心であり、何よりあのアーサーがただ逃げるだなんて思えない気持ちから来る自信。
 何か策があるのなら、俺が今すべき事は――。

「さあ、かかってきなよ!」

 たった一人にだって、彼を追わせない事だ。

「ちっ……気に要らねぇぜ!」

 どうやらこれで遊びは終わりのようで、目の前にいる男の眼光が鋭くなる。
 振り翳された刃と対峙する為に、俺も短刀を固く握り直して構えた。

 ───ヒュン

 突如として何かが空を切る音を察した聴覚が、俺の脳に危険信号を送る。

(っ毒矢……!?)

 当たれば終わる。なるほど今迄は本当にただ既に追い詰めた獲物で遊んでいたのか。
 案の定、俺の予想は当たっていた。

「っ……ぐ……!」
「えっ……?」

 けれど飛んで来た矢が掠ったのは、俺と対峙していた男の腕だった。
「おい!」味方の不手際を責めるような、そんな形に開かれた口唇が言葉を発する前に、無遠慮に揺れる茂みの中から姿を現したのは――。

「だぁれが、逃げたって……?」
「アーサー!?」
「っなに……!?」
「ははっ、残念だったなァ……これの元・持ち主はあっちでお寝んねしてるぜ」

 とんとん、と誇示するように自身の肩を叩いて見せるのは、木で作られた小振りの弓で。
 アーサーは軽い身のこなしで茂みを飛び出し敵対する男達との距離を於くと、肩にたすき掛けした矢筒の中から一本の木の矢を取り出した。
 先程毒を受けた腕は動かせないようで、新しい血の滲み始めた片腕をだらりと弛緩させたまま地面に低く構え、全身で弓を支えながら自由の利く手で矢つがえて引き絞る。
 再び空を切る小気味良い音が響いた。
 今度は外れたようでアーサーが舌を打つ。

 そんな彼を呆けた様子で見遣る俺は、すっかり感心して武器を構える事も忘れていて。


「っ……おい! ……っ、アルフレッド!」


 嗚呼、だから彼にいつも言われてしまうのだ。

「っお……まえ、なに油断してんだ、バカ……。詰めが甘いんだよ……」

 ぱたた、手入れのなっていない緑の絨毯に鮮血が落ちる。

「…っア……アーサー!!」

 馬鹿みたいに突っ立った俺の死角から、俺が駆け付けた時にアーサーと対峙していた男が刃を振るった、らしい。
 俺がこの目で見たのは、こちらを見て目をぎょっと見開いたアーサーが憤った様子で俺の名を呼ぶ姿と、軽く突き飛ばされたかと思ったら、アーサーが自分の動かない腕の手首を掴んで盾にするよう前へ突き出した姿を横から見た光景だ。
 その腕の丁度真ん中辺りに、真っ白いシャツをじわじわと赤く染める刃が食い込んでいる。
 足元には、腕より先に盾役として犠牲になったらしい二つに割れた弓が落ちていた。

「へへっ……肉を切らせて骨を断つ……ってか」

 俺は全身の血の気が下がる思いだった。
 けれど固まって動けないのは俺だけじゃなくて。

「っ!?」

 アーサーの腕に食い込む刃が、重い音を立てて地面の草を潰す。
 柄を取り落とした男の指先は微かに震えていて、次いでガクリとその場に膝を着いた。

「お、やっと効いてきたみたいだな」

 愉しそうなアーサーの声に、ハッとして視線を上げる男の顔を視界が捉える。

「……まさか……!」
「はは、馬鹿だなぁ……毒があるなら刃にも塗っとくもんだぜ?」

 アーサーは男の手から落ちた武器を拾い上げると、相変わらず重力に引かれるまま力無く垂らされた腕の小脇にその柄を挟んだ。
 そして再びの自由を得た手を腰の後ろに回してベルトとズボンの間に忍ばせていたらしい何かを取り出す。
 ――目の前で小さく振られて見せ付けられる其れは、先程アーサーの手によって折られた矢の、羽が付いていない先の方だった。
 鼻歌でも歌い出しそうな愉しげな横顔で、これ見よがしに矢の先端を刃へ擦り付ける。
 奪った矢筒からではなく、わざわざ隠し持っていた方でやって見せる辺りから性格の悪さが窺えてしまうのは、仕方の無い事だろう。
 つまり、最初に腕に矢が刺さった時点で鏃に毒が塗布されている事に気付いていたアーサーは、手折った先端を隠し持ちこっそりと自分の武器……今は俺が持つこの短刀に仕込んでいたという事だろうか。
 男達には誰も目立った外傷を負っていない。しかし掠り傷程度だと思っていた無数の傷口から今も尚じわじわと毒が効いているのであれば。

「……形成逆転だな」

 そうして完成した薬剤の塗布された長刀を手にしたアーサーは、反対の手が血の滴り落ちる動かない腕である隙など、微塵も感じさせない尊大な態度で各々の顔へ順に視線を巡らせる。頬や着衣に自分のものか其れとも誰の物とも知れない返り血を浴びながら、アーサーは今この場にいる誰よりも不敵に嗤った。

「――愉しませてくれるんだろう……?」


 



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