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その手を離せ

その手を離せ7


 夢を、見た。

 イギリスかアーサーかは判らないけど、兎に角彼の夢だ。

 周りは全て敵という酷薄な環境下で、周りに虐げられながらたった一人で生き抜き孤独にのし上がる。
 そんな彼の生き様が、まるで走馬灯か、もしくは映画のシーンのように目の前を流れて行く。

 夢の中の彼は、時に前を睨み据え、時に俯きながら一度も微笑う事はなかった。
 昏い翠の眸は何も映そうとはしない。

 愛されたくなどない……、……愛して欲しい、彼の心から両方の声が聞こえる。

 そしてそれよりも強い思いが込められた、小さな声が。

傷付けないで──

 信じられないのか、誰も。否、信じたくないのか。

 そんな彼が最初に愛したのは、自国の国民達だった。
 俺たち国にとって、上司の命令は絶対であり、国民は愛すべき存在だ。
 其処に求める見返りはない。愛する事こそが自然体なのだ。
 しかし、それでも自分の意志や感情が全くのゼロな訳ではない。

 嵐の夜に必死だった彼の姿を思い出す。
 風邪で弱った全身を風雨に晒し、力の入らない手で工具を握り締め、最後は俺を庇って海に落ちた。

 そんな事をしなくても、君の居場所は無くならないのに。
 自分の身を賭す事だけが愛ではないのに。

 人それぞれ、国それぞれ、愛し方は千差万別、様々だ。

 けれど、君のそんな愛情は違うと俺は思うんだ。


 目まぐるしく展開される映像が、モノクロの大草原に立つ小さな金髪の子供の姿を映し出す。
 次に彼が愛したのは、幼い日の俺だった。

 初めて国としてではない……彼個人の意識で。
 与えて、癒されて、微笑んで。そうして彼は、俺を信じた。

 彼の視点で見ればそれは優しい家族愛の風景。
 けれど俺は、彼が後一歩いつだって俺に踏み込んで来なかった事を知っている。
 小さな違和感は、正体を知る事の無いまま次第に俺と彼を遠ざけた。

 今なら少し分かる。君はいつも線を引いていて、その中に俺を入れてはくれなかったんだね。

 ぬるま湯に浸って居たのは果たしてどちらか。
 ただ君から色々なものを与えられていただけの俺か、現状がいつまでも続く事を願っていた君か。

 俺はねイギリス。
 もっと君から……君が誰にも見せた事が無いような色々なものが欲しかったし、俺からも、君に貰った以上のものをあげたかったんだよ。

 けれど君は、俺には何も望まない。
 君にそう言えば否定されるかも知れないけど、違わないさ。
 君が俺に望むのはいつだって俺の為、良くて二人の為。
 けど俺は……俺はねイギリス。俺が聴きたかったのはそうじゃなくて、もっと――。

 ああ、税が欲しかっただなんて言わないでくれよ?
 あれは"君"じゃなくて"国"の意向だろう?

 俺は君を癒やす為だけの可愛い人形じゃない。
 生きている。
 生きていると否が応でも変わって行く。
 それを無理矢理受け入れさせたいなんて思わない。
 けどね、俺は君に、もっと俺を見て、俺と向き合って欲しかったんだ。……こんな事を言えば、君はどんな顔をするだろうか。

 ねぇ、君は変わる事が怖いのかい?
 それとも愛する事が怖いのかい?――嗚呼、愛される事が怖いのかな。

 求められる手にただ応じて、与えている自分に安堵して、そうして得た自分の居場所に君は本当に満足しているのかい?満足……出来るのかい?

 そんなのは違うだろう。

 それが君の幸せだなんて、あの日々こそが君の幸せだったなんて、俺は認めない。
 君の自己満足に付き合わされるのなんて、まっぴら御免だ。

 君は黙って愛していれば良い。
 怖がらずに、思うままに。
 ぶつかってくれば良い。
 真っ直ぐに、目を合わせて。
 見返りを求めてそれを言葉にすれば良い。
 出来るようになるまで、俺が傍にいてあげるよ。

 ああ、けど、筋金入りの君が相手だ。君が上手く言えるようになる前に、俺が先に察せられるようになってしまうかも知れないね。

 なんたって俺は、悔しい事に世界のヒーローにはまだまだ遠く及ばないけど。
 子供の頃から君の一番のヒーローなんだから。
 そうだろう?イギリス。

 これだけは誰に何を言われたって、譲れないんだぞ。


 ――走馬灯のような映像の波が終わる。

 最後に現代の、イギリスの……無償の愛も見返りも誰にも求めず、自分は誰からも愛されないんだと小さく震える背中が見えた。

 はは、そんな……これは流石に俺の勝手な夢が映した幻であって欲しい。

 そう思うのに、何故だろう。喩えそうであっても無くても、俺は彼を護りたくて仕方なかった。

 その震える背中ごと。
 心も、躯も、笑顔も泣き顔も、彼の総てを。

 ヒーローには、君を笑顔にする事なんて簡単なんだ。
 君を笑顔にする方法なんて、どうすれば良いかなんて、とっくの昔から知っている。

 けどね、本物のヒーローである俺は、それだけじゃ満足出来ないのさ!





 パチッ、と小気味良い音を立てて乾いた木片が火の中で弾けた。
 その音に気付いたのか、視界の先でぐったりと伏せられていた瞼が震えて反応を示す。
 ぼんやりと火の粉を見詰めて意識を飛ばしていた俺は最初それに気付かなかったけど、「ん…っ」と漏らされた小さな声に完全に覚醒した。

 薄暗い洞窟の中、集めた葉の上に横たわるアーサーの翠眸がゆっくり開かれて。

「――っぅ……此処は……」

 小さく唸ったアーサーが身を起こすと、身体に掛けていた俺のシャツがずり落ちて白い肌が露わになる。掠れた声音と定まらない焦点が具合の悪さを醸し出していた。
 彼にシャツを貸して上半身裸という格好の俺は、地面に座り込んで丸めていた背筋を伸ばし、焚き火を挟んで対角線上にいるアーサーへ軽く手を振り上げて見せる。

「やあアーサー、気が付いたかい? まだ寝ていなよ」

 アーサーは暫しぼんやりと俺に視線を合わせて居たが、徐々に事態が飲み込めて来たのか、眉間の皺が深くなった。
 注意深く辺りを見渡す。

「……俺の服は……」

「濡れて居たから脱がせたんだ。其処に干してあるよ」

 俺が大きくせり出した岩を指すと、アーサーは重そうな頭をゆるりと巡らせてその上に広げられた彼の服を認める。
 漸く僅かに眉間の皺を緩めると、ぼすっと再び葉っぱの布団に沈んだ。
 アーサーの視線がちらちらと揺れて葉の布団や掛けられた俺のシャツや俺を見遣る。
 色々と言いたげな様子が窺えて、それが借りて来た小型の犬猫を思わせるような頼りないものだったので、俺は小さく笑みを漏らした。

「嵐の夜に海に落ちたのを覚えてるかい? 近くの島まで泳ぎ着けたのは良いんだけどね、この通りさ」

 何か言いかけて口を開くアーサーを制して更に続ける。

「いいから、君はまず体力を回復させる事を考えてくれよ」

 アーサーはまだ何か言いたげにして居たが、暫しの沈黙の後、質問を一つに絞ってぼそりと呟いた。

「……お前、寒くねぇのかよ……」

 俺が思わず相好を崩すと、アーサーは視線から逃れるように渋々といった様子を装って、彼には大き過ぎてすっぽりと覆えてしまうシャツを引き上げ赤い顔を隠す。

「平気さ。だから君は、ゆっくり休んでいればいいんだぞ」


 



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