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その手を離せ

その手を離せ15


 殴ったり蹴ったりは本当に力のセーブが効かない。
 アーサーの周りに集まっていた三人程を再起不能にしてから其れに気付いた俺は、呆然と立ち尽くしたり、腰を抜かす海賊達を次々と海へ投げ込んだ。
 俺が殴ってやりたかった相手は既に海の中だし、ヒーローは弱い者虐めしないのが世の常だからね。
 人数が半分減る頃には、誰かが退却の号令を出して皆散り散りに、横付けされていた自分達の船へと飛び移ったり、自主的に海へ飛び込んで行った。けど――。
 俺は辺りを見渡す。

「アーサー。これ、一つくらい無くても平気だろ?」
「お、おう……」

 アーサーに尋ねると、彼は甲板に肘を着いて僅かに上肢を起こした体勢で気の抜けた返事を寄越した。
 別にそれは構わないけど。
 ボタンが無いみたいだから仕方無いけど、もう少しその露出した胸元をどうにかして欲しい。

「服、ちゃんと着なよ。みっともないんだぞ」
「なっ!? うっ、うるせえ!」

 慌てて胸元を掻き合わせて白目を剥く彼を確認してから、最初に「それ」と指した物へと視線を戻す。
 ずんずんと大股で近付くそれは、小振りの手動式砲台で。
 俺はその漆黒の鉄塊を持ち上げると、狙いを定めた。

 もう、爪が甘いなんて云われないように。
 アーサーを危険な目に晒さないように。

 両手で頭の上まで持ち上げて、大きく振り被る。

「お、おい馬鹿! 危ねぇだろ!! それは大人6人で……っ……ッッ!!」

 ドーン!という振動と太い樹の幹がへし折れるような音が隣の船から響いて空気を震わせた。
 力一杯投げた鉄塊は、直撃してめり込んだ太いマストを半分にした後、落下の自重で甲板の床板を割り、今も男達の野太い悲鳴に混ざってバキバキと響く音が船板を割り進んでいる事を伺わせる。
 折れたマストが丁度操舵室の辺りを潰したのを見届けてから、俺はアーサーへ向き直った。

「さぁ、早く行こうよ。今動けるのは俺達しかいないんだぞ!」

 アーサーは無事だし、悪者はやっつけた。達成感に自然と笑みが浮かぶ。
 俺は相好を崩したまま、未だ放心状態が抜け切っていない彼に手を差し伸べた。
 おずおずと伸ばされた手は触れられる刹那に戻されてしまったけれど。
 気難しげにへの字に曲げられた口は、照れ隠しの類か、プライドが邪魔をしたのか。

「こらっ……待て! 俺より先に行くんじゃねえ!」

 一人で立ち上がったアーサーを置いて、俺は先に歩き出す。
 向かうはカークランド号の操舵室。
 今度こそ本当に、あの海賊達とはお別れだ。
 それまでは、いつなんとき何が起こるかなんて分からないじゃないか。
 だから俺は、彼の前を歩く。

「それは出来ない相談だね」
「はぁ?」
「だって君、危なっかしいじゃないか」

 後ろから俺より小さな歩幅が駆けて来る足音が聴こえる。
 肩越しに振り返れば、眉間にきゅっと皺を寄せたアーサーと目が合った。
 眼差しで目笑すればフイと逸らされる視線に、けれど不快な空気は無い。

 俺達の間に流れる空気は、とても穏やかだった。

「――お前、あんなに強かったのかよ」

 ぼそりと小さく落とされた声は、まるで隠し事をされていたと責めるように寂しげで。
説明のしようがない事に俺は焦る。
 空気が読めないと云われて来た俺が、彼との心地良い空間を少しでも持続させたくて焦るだなんて。ちょっと笑ってしまう。
「大人になったんですよ」今にもリトアニアの声が聞こえて来そうだ。
 あの時は苦笑を返したその言葉に、今なら頷ける気がする。

「え? うーん、それは……」

「――まあ良いけどよ……っ!? アル!?」

 アーサーの声に名前を呼ばれて、まだ擽ったく慣れない響きとその声の切迫感に驚いて彼を見遣る。
 瞬きする先に見るアーサーは、信じられないものを視るように顔が強張り、少し青褪めていた。
 事態を把握出来ない俺に苛立つように、早口で捲くし立てる。

「おっ、お前……その指! な、なんで消えかけてんだよ!?」
「え……?」

 震える指に差される先、自分の指先に視線を落とすと、彼の言葉の通り、爪先の辺りが不自然に消失していて。
 まるでサラサラと空気中に溶け行くように、その範囲は少しずつ広がっていた。思わず息を呑む。

「……っ!!」

 これで二度目だ。前回の事を思い出し今度は俺が慌ててアーサーを見遣る。
 彼の身に何かあったのかと胸が騒ぐけど、大丈夫……ちゃんと、元気だ。
 ほっと息を吐く。でも、何で突然――。
 其処まで考えて、俺はこの現象の理由を悟った。

(嗚呼、そうだね……同じ時代に、二人の"アメリカ"は存在出来ない)

 もう、時間なのか。
 不思議な力でこの時代へとやって来た身体は、今また、不思議な力で元の世界へ戻ろうとしている。

 イギリスの所へ。

 君が、きっと俺を待っている世界へ。

 そう思うと、自然と表情が綻んだ。

「……アーサー。もうあまり危ない事はしないでくれよ?」

「っ……そんな事より……!」

 左右に髪を振り乱すアーサーの金糸が、目の前でパサパサと揺れた。

「そんな事してばかり居ると、友達が出来ないんだぞ。君には……紳士の方が似合うよ」

 ゆっくりと、祈るように紡ぐ。
 一歩一歩距離を詰めて彼に近付き、髪を撫でた。

「うるせぇ……ちくしょ……っ、ちくしょう! 何なんだよお前……、ホントなんなんだよ……ッ!」

 アーサーはその手を振り払って、縋り付くように俺の胸を叩いた。

「……アーサー……?」

 驚いて、胸の前で小さく肩を竦ませる彼の髪に再び手を添える。第二関節まで指が消失した手をぎこちなく動かして撫でた。
 今度は、振り払われなかった。
 代わりに、肩から吊られていた手が震えながら徐々に持ち上がったかと思うと、胸を叩いていた手と合わせて両手で俺の服を掴んで。白い指先が、震えている。
 俺は驚いて、ただ彼を見下ろす事しか出来ない。

「こ……な、俺の中に入って来やがって……責任取れよ……っ! バカ……ッ」

 泣き出しそうに歪む相貌が俺を見上げて、けれど顔を見られたくないのか直ぐに俯いてしまう。
 悔しげに震える唇が、また一つ「バカ」と呟いた。
 俺は真っ白になった頭で彼の言葉を反芻し、ゆっくりと頷く。

「うん。この先、何があっても……喩え君と道を違える事があろうとも、俺が君を好きな気持ちに変わりはなくて。君の代わりはいないんだ」

 ――だから責任、取るよ。喜んで。

 潮風に晒されている所為か、イギリスよりも痛んで見える髪を指先で撫で梳こうとして、もう其れが叶わないと知る。
 残された時間は、後僅かしかないらしい。

(覚えていて欲しい。俺が君を好きな事、君じゃなきゃ駄目なんだって事……)

 別れを惜しむように見遣ると、俺の気配から察したのか何かを堪えるように眉間をキツく寄せた相貌を持ち上げた後、アーサーがはっと目を見開いた。
 その顔が、再びくしゃりと歪む。
 指以外にも、消え始めているのかも知れない。
 じわじわと染み出すように瞬く間に水の膜が張った翠が、瞬きもせずに俺を見る。
 燦々と降り注ぐ太陽の光を反射して、綺麗だと思った。

「っ……いや…だ、……嫌だ……置いて行かないでくれ!」
「アーサー……」

 彼の指先に握られた服はクシャクシャとアーサーの手の中に掻き集められて皺を作っているのに。先程は布越しに感じた彼の熱が、もう感じられなくなっていた。

 伝えたい事は沢山ある筈なのに。言葉が出て来ない。

 不意に、アーサーの泣き出しそうに歪んだ顔が、独立時の彼と重なった。

「ずっと一緒だと思ったのに!」

 彼が叫ぶと同時、ずっと鋭利に冷えていた翠の双眸から、暖かな涙が溢れてその頬を伝った。

 泣き顔が、被る。

 俺はこの顔に一番弱いのに。

 あのアメリカ大陸の大草原で出逢ってから独立、その後の修復までが走馬灯のように脳裏を駆け巡った。

 君は、ずっと……ずっと俺を……──

「――必ず逢える、君を迎えに行くよ」

 もう手だけでは彼を感じる事が出来なくて、その身体に腕を回した。

「……お前、ずりぃよ……」

 瞼を伏せたアーサーの目尻から、涙が溢れる。

(君こそ狡いじゃないか……アーサーとしては一度も見せてくれなかった涙を、こんな時に見せるなんて──)

「泣かないでくれよ、アーサー……」

 もう涙を拭ってあげる事も出来ないのに。

 ふわり、と宙に浮くような浮遊感に襲われる。

 今自分の身体がどうなっているか分からないけど、多分ほとんど消え掛けてるんじゃないかと思う。
 視界が徐々に白んで彼の姿が見え難い。俺は目を凝らす。

「アル……アル……、嫌だ……俺、お前が……」

 掴まれていた服が思い切り引かれたのが分かった。
 涙に濡れたアーサーの瞳が間近に迫る。
 あと僅かで唇が触れる、そんな距離まで近付いた刹那、


(アメリカ……)


 声が、懐かしい名前を呼ぶ声が聴こえた。

 イギリスだ。

 そう思った瞬間、俺の五感は真っ白な世界に閉ざされた。

(……アメリカ……)

 今度はさっきよりもはっきりと聴こえる声に、俺は残った意識を預ける。
 全てを委ね、導かれる侭に瞼を伏せた。

 蘇るのは彼の泣き顔。

 沢山待たせて…ごめん。

 約束通り、君を迎えに行くよ。




* * *




「っ……イギリス!! …〜〜ッ!?」

 ――頭がクラクラする。
 どうやら俺はベッドに寝かされていて、名前を呼ぶと同時に飛び起きたらしい。
 そして頭がクラクラするのは、飛び起きた拍子に何かにぶつかってしまったからのようだ。
 記憶にある部屋の内装が、此処がイギリスの……現代の家であると俺に告げる。

 頭を押さえて視線を落とすと、黄色いツンツン頭がベッドの端に頭を乗せて寝ていた。
 次に視線を上げると、ブランケットを手にした不審者さながらのフランスがいた。

「なんだいフランス、そんな所でダンスなんて」
「お前に頭突きされたの!」

 何かにぶつかったと思ったのは、イギリスの肩にブランケットを掛けようと屈んだフランスの顎だったらしい。
 髭の生えた其処を擦っている。

「ったく。……イギリスもついさっきまで起きてたんだけどな……っつーかお前、寝てる間中『イギリスイギリスアーサーイギリスアーサーアーサーイギリスアーサーアーサー』って、そればっかだったぜ?なんでお前がイギリスの海賊時代の名前知ってんの?」

 ニヨニヨと笑うフランスから視線を逸らす。その顔は絶対に何か知っている顔だ。

「別に、そんな事はどうだって良いじゃないか」

 まだ笑ってる気配がする。逃れるように視線を落とせばイギリスが目に入った。
 その姿が、何だかやつれて見えて。
 自然と手が伸び、まだ記憶に新しいヒヨコみたいな頭を撫でる。
 潮風に晒されなくなって久しい金糸は、柔らかい触り心地を指に伝えた。
 暫く黙って見ていたフランスが、突然大きな声を上げる。

「ああー! そういや、もし寝てる時に眼を覚ましたらって伝言預かってんだ。
『お前が独立した時に覚えた絶望がどれほどだったか、ハンバーガーな頭でよっく考えとけ!』
 だとよ。んじゃ、お兄さんは帰らせて頂きますか」

 手にしていたブランケットを無造作にイギリスの上に落として、フランスが踵を返した。

「ちょっ……まだ訊きたい事が……」

 呼び止めているというのに、フランスは振り返りもせずに肩の上でヒラヒラと手を振って部屋を後にしてしまう。
 その背中は、「イギリスが起きたら訊けばいい」と言っていた。
 俺はブランケットを手にしてイギリスの肩に掛け直す。

「……イギリス……」

 ポツリ、小さな声で呼んだ。
 胸に温かい何かが広がる。
 緩々と緩む口許を、誰も見ていない今は隠す必要も無い。

 ――イギリスだ。

 そして彼は、アーサーだ。

 帰って来たんだ。

 約束通り、迎えに――。

 胸を満たす実感に鼓動が高鳴る。
 今すぐ彼を叩き起こして、色んな話がしたかった。
 けれど目の下に隈を作っているイギリスは随分と疲れているようで。

「いや、時間は沢山あるんだから……」

 そう思った時。

「………っ……」

 俺の独り言を聞きつけたのとは違う、寝言のような吐息混じりの声がイギリスから漏れた。
 寝息を奏でる薄く開かれた唇が微かに動くのを見て、耳を寄せる。

「……アル………」

 思わず勢い良く身体を起こして彼を見詰め、至近距離から目を瞬かせる先でイギリスの目尻から一筋の涙が零れてブランケットを濡らした。
 ああ、ダメだ……目が覚めるのなんて待っていられない。

「ねえ、イギリス! 起きてくれよ!」

 肩を揺さ振ると、眉がぴくりと反応した。
 俺は一際大きい声で彼を呼ぶ。

「アーサー!」





 



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