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その手を離せ

その手を離せ13


「おまえ……分かってただろ!」

「うう、アーサー……声が大きいんだぞ……」

 柔らかなベッドの上、俺はアーサーの声から逃れるように手繰り寄せたシーツを頭から被った。
 しかし直ぐに引き剥がされる。再びアーサーの眼前に晒された俺に降り注ぐのは、怒気を孕んだ鋭い眼光。
 心なしか頬が赤いのは、果たして何が原因か。
 恐らく怒りだけでは無い筈だ。
 そう思える余裕がある俺だけど、身体が勝手に震え出して寒気に身を縮こませながらアーサーに奪われた掛布へ手を飛ばす。

「さ、寒い……」
「自業自得だ馬鹿!」

 嵐の海水浴に続いて慣れない無人島生活、そして再び海に落下して暖房器具も無いこの世界で全身ずぶ濡れになった俺は、とうとう無理が祟ったのか寝込んでいた。
 バサッと顔に掛けられた其れをもそもそ手繰り寄せて首まで覆う。

「もっと労ってくれよ……」
「うるせぇ」

 同じ境遇で過ごしたアーサーはというと、まだ腕の痺れが残……って言うか俺は痺れ薬よりも自分の腕を盾にして刀傷を受けたのが原因だと思うんだけどね。
 兎に角、片腕を肩から吊ってはいるけど、見ての通り元気だ。

今は「島じゃ世話になったからな!」なんて言って、ベッドに横たわって動けない俺の世話を律儀に焼いてくれている。


此処、カークランド号で。


「――おまえ、崖の上から船が見えてたろ」

 地の底を這うようなアーサーの声は思い切りドスを利かせてはいるけれど、その目は羞恥で心なしか潤んでいる。
 きっと自分が言った台詞を思い出しているんだろう。

「まあね」

 そう――あの時、滴る汗が邪魔だと思って上げた俺の視線は、海の上に見覚えのある船を見つけた。
 その船は、俺が見付けるより先に既に進行方向を此方へと向けていて。
 絶対助かる、俺の確信は見事的中してくれた訳だ。

 こうして助かる前は、その時見張り役をしていて崖の上の俺達を見付けてくれた彼には盛大なお礼をと思ってたけど……。
 小舟に引き上げられて直ぐさまアーサーから拳骨を貰った俺とは打って変わって、彼は偉大なる大英帝国サマの熱烈なハグを受けていたから。
 だから俺からのお礼は、このサイドボードの上に山ほど詰まれた特製スコーンをあげようと思う。

「なんっで言わねぇんだよ! あの時っ……ッだぁぁあ! くそっ!!」

 顔を俯けて頭をバリバリと掻き毟る様子は、照れ隠しにしても全く可愛くない。
 けれど真っ赤に染まった耳に気付いてる俺は、したり顔で笑みを漏らす。

「はは、助かったんだからまあ良いじゃないか」
「チッ、人にとやかく言って於いてよ……」

 ガシガシと、徐々に勢いを潜めて手を止めたアーサーが恨みがましく俺を見る。

「うん?」
「お前の方がよっぽど危ねぇじゃねーか。……ただの人間だろ? 当たりが悪けりゃ死んでたぞ、あの高さ」
「平気さ、俺はヒーローだからね!」
「へえへえ、親の顔が見てみたいぜ」

 ちらりと向けられる翠の視線から、俺はワザとらしく目を逸らして逃れる。
「君だよ」なんて、嫌味でも言いたくない。
 話題を変えてしまおう。

「――ところでアーサー」
「ンだよ」
「"アーサー"って名前は君が自分で付けたのかい?」
「あ? ああ」
「今は気に入ってたりする?」
「まあな」
「そうかい、俺もなんだ」
「あそ、ってお前偽名なのかよ!」

 アーサーが白眼を剥いて怒鳴る。
 偽名が面白くないという事は、少しは興味を持ってくれているのだろうか。

 可笑しいよね。
 俺の名前は「アメリカ」なのに。
「アルフレッド」と呼ばれるのも悪くないと思うなんて。
 もっと呼んで、もっと俺を見て欲しい。

 ねえアーサー。
 俺の事を覚えていて欲しいんだ。
 この先何百年経っても君が俺を忘れないように。

「だから、あの時君が呼んでくれて凄く嬉しかったよ」
「くそ……っ黙れ!」

 振り上げられた手は、殴るフリだけで掲げた訳では無いらしく、サイドボードに詰まれたスコーンを一つ掴んで俺の口に押し込めてくる。
 焦げ焦げの匂いに石みたいな歯応え、けれど場所が船上……材料が入手困難である事が幸いしてか取り分けて奇妙な味はしない其れに「美味しいよ」と言ってみせれば「うるせぇ!」と一蹴されてしまった。
 無人島での色々は、多少なりと彼の頑なさを解してくれたみたいで。
 こうしていると、俺の知ってるイギリスみたいだった。

「はぁ……ったく、……なあ」

 アーサーはぎゃあぎゃあと怒鳴った後、不意に纏う空気を変えて難しい顔をしながら躊躇いがちに口を開く。
 俺も口の中で咀嚼する塊を飲み込んでアーサーを見た。
 翠の瞳が、少し強がりの殻から覗いて揺れている。

「……俺も、一つお前に訊きたい事があるんだが」
「なんだい?」

「――おまえ、俺を見てるようでなんか見てねぇ時あるだろ。……お前の台詞は、全部俺に言ったものなのか? その、愛だのなんだの……」

「勿論さ」

「……そ、そう…か。……あっ、そっ、そうだ! それとな、別に無理して美味いっつって喰わなくてもいいんだぜ。不味い……んだろ? 本当は。っ……残すのは許さねぇけどな!」

 アーサーは落ち着かない様子で椅子を降りると、忙しなく入り口を目指す。
 向けられた背中が扉まで到達した所でくるりと振り向いた。

「――けど、紅茶は美味いんだかんな!」

 そんな捨て台詞を残して、乱雑に閉じられた扉が大きな音を立てる。とっくの昔から知っているよ――俺は心の中で返した。
 廊下をバタバタと駆ける音が徐々に小さくなって。

 そうしてアーサーの足音が聴こえなくなる頃に、俺は漸く詰めていた息をゆるゆると吐き出した。

 ──吃驚、した。

 自然に即答出来て良かった。
 お陰でアーサーは、此処に来てからは見ていなかった、懐かしいくらい真っ赤になった顔で出て行ってしまった。

 アーサーの言葉を頭の中で反芻する。
 彼を見ていない訳ではない。ただふとした拍子についアーサーの中にイギリスを探してしまうだけで。
 他の誰かに宛てた言葉だなんてとんでもない。
 アーサーがイギリスでイギリスはアーサーなのだから、俺の想いも言葉も、たった一人に宛てたものだ。

 ただ……、アーサーにそれを説明する訳にはいかないけれど。

「――俺が突然いなくなったら、アーサー……どうするかな……」

 何となくだけど、元の時代に帰る刻が近い気がした。




  ◇◇◇




「……はっ……!」

 心臓がバクバクと音を立てるのは、此処まで走って来た所為か……それとも。
 操舵室へ続く梯子を登りながら、アーサーは唇を引き結んでへの字に曲げた。
 そうしていないと、何だか良く分からないもぞもぞとする感覚に表情筋が支配されて、変な顔をしてしまうからだ。

「……変な奴……」

 あいつは本当に変な奴だ、今まで会ったどの人間とも違う。
  アーサーは心の中で何度か「変な奴」と繰り返し、ある一つの可能性に辿り着く。
薄々、思っていた事だ。

「あいつ……もしかすると、」

 自分と同じ"国"ではないだろうか。
 だとしたら、それは……"嬉しい事"だと、ざわざわとむず痒い感覚が全身を巡った。

 人の一生は短い。
 しかし、国ならば。

 ずっと一緒にいる事が出来る。
 二人支え合って、ずっと。

「……らしくねぇ、よな」

 誰に聞かせるでもなくぽつりと呟いて、いつの間にか止まっていた手を再開させる。
 カツカツ響く靴音を聴きながら、表情を引き締めた。
 操舵室の扉を開ける。

「何か変わった事は?」

 椅子に掛けておいた外套に袖を通して、羽根の装飾が付いた気に入りの帽子を被る。
 報告は、幸か不幸かアーサーの気を引くに充分な事だった。

「……へえ、面白ぇじゃねえか」

 今はまだ何も考えずにいよう。
 時間はまだ、あるのだから。

 アーサーは胸に芽生えかけた慣れない気持ちに蓋をして、意識を目の前の事象へと切り替えた。
 口角を吊り上げて手を振り翳し、指示を出す。

「野郎共!戦闘準備だ!!」


 



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