その手を離せ11
「ハッ! ったく張り合いのねぇ……」
仲間意識はあるのか、アーサー曰わくお寝んねさせたらしい男も回収して蜘蛛の子を散らすように逃げ出した彼等を、「格の違いを教えてやる」と追おうとしたアーサーに待ったを掛けたのは、正解だったのか誤りだったのか。
けど俺には、逃げた男達よりも寧ろ、今目の前で「薬が抜けて丁度良い」等と抜かしながら盾として刀を受けた腕の処置を施している男にこそ、教えてやりたい事があった。
因みに毒とは痺れ薬の類らしく、その事についてだけは一先ず安心しておく。
「アーサー!」
「な、なんだよ?」
俺が声を張り上げると、アーサーは一旦処置の手を止めて俺を見た。
分かってる。
あの刃を、もしも今は人間の身体である俺が受けていたら、ただでは済まなかった事。
そして国家であるアーサーにとっては、大きな怪我には至らない事。更にはこの程度の傷など比ではない、もっと深い傷だって彼にとっては慣れたものであるのだろう事。
けれど――。
「……? お前、顔色悪いぞ?」
「君は……いい加減っ、もっと自分を大事にしてくれよ!」
キツく寄せ過ぎた皺で眉間が痛い。
なのに俺のそんな形相をアーサーが意に介する様子は全く無くて。
「あ……?…これか?」
こんなの掠り傷だとでも言いたげなアーサーが、動かない腕を顎で示す。
「知ってんだろ? 俺は国だ、滅多な事じゃ――」
「っ……そうじゃないだろ!?」
尚も言い募るアーサーの両手首を捕らえて、俺が吼える。
どうして、どうしてこの気持ちが通じてくれないのだろう。
「ッ!! ば……ッ、いてぇよ……っ!」
喩え大事には至らなくても痛覚がある事ぐらい、俺だって知っている。
アーサーは困惑顔で俺を見上げた。
いつもの憎まれ口が返されないのは、多少なりと俺に気を許してくれたからか、それとも痛みに気を取られて虚勢を張る事にまで頭が回らないのか。
――俺だって解ってる。
この小さな躯にはこれからも沢山傷が付いて。
その傷の中には俺が付けたものだって、いずれは含まれる事になる。
それでも、俺を庇ってアーサーが傷を負った事に胸を痛めるのは可笑しな事だろうか。
この人は、俺が何とも思わないとでも思っているのか。
なんて、なんて放って於けない人なんだ。
彼の手首を掴む力を緩々と弱める。
こままま力を込めたら折れてしまいそうな細い手首、幾つもの死線を超えて来たとは思えない肉付きの悪い貧相な躯、逞しさなんて微塵も感じられない俺より低い背、男らしいのは眉毛だけなんじゃないかと思わせる童顔。
その眉にしたって『紳士的な何か』だというのなら、全然強そうじゃない。
彼の持つ実力は既に承知済みの筈なのに、何故彼は俺を安心させてくれないのか。
――君が君を大事にしないと言うのなら。
今、ぱしぱしと目を瞬かせながら俺を見上げる翡翠が歩む未来、その先にいる現代のイギリスが、独立しても尚俺を特別視している事は判っている。
けれど俺だって、君と出逢ったあの日から、君が特別だった。
嗚呼、思えば俺がフランスとイギリスとで君を選んだあの時も、今と同じ想いを抱かされたっけ。
(全く……生まれたばかりの幼い俺に護りたいと想わせるだなんて、君って人は本当に――)
もう……弟には戻れないし、戻るつもりもないけれど。きっと互いに抱く想いは違う形を成しているんだろうけど。
(でも、君が俺を特別に想っていて、俺だって君を特別に想っているなら、答えは一つじゃないか!)
それが自意識過剰だって、只の思い違いだとしても構いやしない。
どうせそんじょそこらの想いでは彼まで届かないし、届いた所で寂しがり屋な彼を満たすには足りないのだから。
「俺は君の為に生まれて来たんだ! だから……っ!」
そうだ、俺は、アメリカという国の概念では無く、個人としての意志を持つ俺は。君が居たから今の俺になったんだ。
自我が生まれて間もない頃から、君の事ばかり考えて生きて来た。
君はもっと自分を大事にすべきだ、君はもっと、俺を信じるべきだ。頼るべきなんだ。
もっともっと素直になれば良いじゃないか。泣き虫なのはとっくにバレてるんだぞ。これからは、甘えたい時は甘えてくれよ。
それと直ぐ後ろ向きに考えるそのガティブは、全部とは云わないから半分は捨てるように。
そしていい加減、そろそろ未来を見据えるべきなんだ。
君には知られないように隠してるだけで、俺だって想い出は大切にしてる。
なんで隠すのかって?だって君はひとたび想い出に浸ると、今の俺を見ようとしてくれないじゃないか。
俺は、君にも望んで欲しいんだ。
──俺との、未来を……。
君は果たして頷いてくれるだろうか。
なんて、今言った事の、きっとどれを一つとっても君には難しい事なんだろうけど。
でも、それでも――。
「君は俺を愛するべきだ!」
これなら、出来るだろう?
「なっ……ななっ、バカかてめぇは!! つかバカだろ! いきなり何言って……!」
寂しがり屋で愛に飢えた君は与えられる事には臆病だけれど、ひとたび与える側に回れば惜しみないその愛は、自分が与える側に居る方が安心するからだろう?
そんな事は、残念だけどとっくの昔からお見通しなんだぞ。
君から貰った沢山の不器用な愛情を受けて育った俺が、自分を大事に出来ない君の代わりに君を護るよ。
君がごちゃごちゃ言って来たって、絶対に止めてなんかやらない。
これはもう、決定事項だ。
君のもどかしい愛情を受けて育った俺の本気を、見くびらないでくれよ!
「アーサー!」
「んだよ! てめぇはさっきから!!」
アーサーが真っ赤な顔で怒鳴る。
掴んでいた筈の手首は、何時の間にか振り払われていたらしく外れてしまっていた。
ごめんね、アーサー。
君に伝えたい事は今にもこの胸の奥から沸き出て俺の意思も何も関係なく喉から飛び出して行ってしまいそうなのに。それでも今の君に言う訳にはいかないんだ。
待ってて欲しい。
「時間は掛かるけど、必ず君を迎えに行くから」
そっと腕を廻してみたら、まだ混乱しているのかアーサーは大人しく腕の中に収まってくれた。
「……? ……、……」
暫くそのままの体勢でいると、初めは硬直していたアーサーの躯から徐々に力が抜けて行く。おずおずと後頭部へ廻された手にぎこちなく髪を梳かれた。
嗚呼、身を寄せ過ぎた所為で彼の顔が見れない。
こうしてると、アーサーと過ごす時間も惜しいけど――。
(イギリスに、逢いたいな……)
そのどちらにしても結局俺が望むのはこの人でしか無いことに、少し微笑った。
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