告白したあの日、アーサーは俺の前から逃げた。追い掛ける事も出来なかった俺は、ただ自分が振られた事だけを理解して。けれどそれがもし、アーサーが自分の死期を知っていて、俺を想ってくれての事だったとしたら――。
 あの時もっと、しっかり顔を見て好きだと言えば良かった。そうすれば今、この気持ちにもっと自信が持てたのに。

「……アーサーは、嫌がらなかったんだ」

 単に弱ってて逃げられなかっただけかもしれない、俺に同情しただけなのかもしれない。
 それでも、喩え猫の姿だったとしても、彼は俺のキスからは逃げなかった。
 鼻先を擦り寄せて、啄んで、抱き締めたまま眠っても、それでも傍に居てくれたんだ。

「お礼を言えたらいいなんて、そんなの嘘だ」

 迷いを振り切って、腕の中でくたりと丸く伏せる体に頬を寄せて問い掛ける。

「たった1年傍に居られるだけで満足なんて、俺はその程度の男だったかい?」

 きっと一度は俺に何も言わないまま、1人きりで消えるつもりだったんだろうアーサー。最後は俺達の待ち合わせ場所だった公園に帰って来てくれた。
 アーサーが居なくなってからも、毎日公園に通い詰めて良かった。見付ける事が出来て良かった。連れ帰って来て良かった。連れて行かれる前に目を覚まして良かった。
 これは最後のチャンスなんだ。

「俺の恋人になる奴は幸せ者だなって、言ってたじゃないか。――君がその恋人になって、証明してみせてよ」

 奇跡に願えば何かが叶うだなんて今も思えないけど、俺に何か出来る事があるならやってみたい。それで望みが叶うなら、奇跡だって起こしてみせる。

「もっと欲張ってくれ、アーサー。君が望んでくれないと、ヒーローにだって叶えられないんだ」

 池で溺れていた彼を見付けたのは本当に偶然だった。偶々、近親者の兄貴分に連れられて来ていた自宅からは距離のある公園、初めて来た其処で迷子になって、微かに聞こえてきた水音を追った先。俺が見付けたと同時に水中へ沈んだ瞬間、気が付いたら飛び込んでいた。
 きっとあの時――、君が俺を、俺が君を望んだから巡り逢えたんだって。そんな話を、2人でしたい。
 しっとりと濡れた毛先に鼻先を寄せて口吻ける。

「君のヒーローは、好きな子に振られたりなんかしない。俺だって捨て鉢になって告白した訳じゃないぞ、君は俺を好きだった。――だから、逢いに来てくれたんだろう?」

 告白したあの日、バカみたいに照れ臭がってた俺はもういなかった。
 こんなに好きになった彼と、広い世界で出逢えた奇跡に向き合って、離さない。目を離した隙に居なくなってしまうなんて、そんなのは嫌だから。
 アーサーの体に、ふわりと温かい熱が戻った気がした。

「――どうやら、お前達に肩入れし過ぎたようだ」

「え?」

 上から降る声につられて、反射的に顔を上げる。
 先端に星の付いたステッキを手にする、アーサーによく似た天使。かち合う視線を正面から覗いてみれば、感情を映さないガラス玉のような目は、俺達を見守るように何処か温かな色をしていた。

「奇跡が中途半端に成功した。……まあ許せよ」

 ゆらりと揺らめく身体が薄く透ける。言いたい事だけ言って消えようとする天使に、俺は慌てて食ってかかった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!それってどう云う……!」

 成功?失敗?俺は何か間違えたのか。焦る気持ちに侵されるより早く、腕に抱いた身体がずしりと重みを増して。
 え、と思った先で見たのは、まるであの日の再来――。

「……ん……アル……?」

 俺の腕の中にいたのは、アーサーと名付けた猫じゃなくて。ゆっくり持ち上がった瞼が、丸々と見開かれる。
 初めて彼に名前を呼ばれた時のように腕の中からポカンと呟かれる声に、今度は俺も呼べる名前を呼び返す。

「っ……アーサー……!」

「なんで……俺……」

 強く抱き締めたアーサーが苦しがって解放する頃には、見上げた先に天使の姿はなかった。


『言っただろう?強く願えば何だって叶うんだ』


 聴こえた声は、あの天使のものだろうか。

 かくして奇跡は成功して、アーサーは人間になった――。








 ――……それから1年。



「アロー、お兄さんが味音痴なお前等の為に美味しい料理を――」

 ――――ぼふんっ。

「……」
「……」

「…………何やってんの?お前等」

 フランシスは玄関の扉を開けた先、大きな籠でも抱えるように腕で輪を作るアルフレッドを見て眉を潜めた。

「君が突然来るから、アーサーが吃驚したじゃないか!」

「玄関開っ放しで突っ立ってるのが悪いでしょーが!そもそもお兄さんを呼んだのはそっちだからね!?……って言うか、なんで玄関に服……?」

 くしゃりと折り重なるシャツやズボンに視線を移し、ズボンの中から覗くユニオンジャックの柄に手を伸ばす。それだけで持ち主は知れるが、だからこそフランシスは、こんな場所に脱ぎ捨てられているのが不思議だった。

「マーオォウ!!」

「あいたァっ!」

 不意に走る手の甲の痛みに、慌てて腕を引っ込める。

「もうっ!昔はお兄さんとこに、ご飯食べに来てたのに……!お前が飼い始めてから凶暴になったんじゃないの!?」

 視線を移した先、アルフレッドは素知らぬ顔で、衣服を銜えてトコトコと奥へ引っ込む猫を見送っていた。

「さあ、アーサーの影響じゃないかい?」

「ああ。それは言えてる……っつーかお前、飼い猫と恋人が同じ名前でややこしくねえの?」

「俺は全くややこしくないぞ!」

「ああそうですか……」

 フランシスは疲れた声で肩を落とすと、靴を脱いでアルフレッドに買い物袋を押し付ける。狭い間取りは、廊下を歩く途中でフランシスを目的地であるキッチンの前に導いてくれる。

「で、恋人の方のアーサーは?アイツが前を歩いてるのを見掛けたからゆっくり来たんだけど、まだ帰ってねえの?」

 玄関先でお帰りの口吻けを交わす男2人と、鉢合わせなんかしたくないからね!とは心の中で付け加え、フランシスは部屋を見渡した。

「うるせーな、聞こえてるぞクソ髭」

 むっつりと不機嫌そうな声と共にアーサーが扉を開けて出て来た其処は、先ほど猫のアーサーが入って行ったバスルームだ。フランシスは直ぐに察する。

「……お前ねぇ、いつでも何処でも服脱ぐのやめろって」

「ばっ……!好きで脱いでんじゃねーよ!!」

「はいはい。飼い猫がお利巧でよかったなあ」

「誤解だかんな!!」

「――……アーサー、ちょっと」

「ん?なんだアル」

 アルフレッドがアーサーを呼んだのを最後に大人しくなった二人を背に、フランシスは買い物袋から食材を取り出し始めた。
 困った弟分二人に美味しい食事を食べさせるのが、今日のフランシスの仕事である。



「――……アーサー、右の耳が少し見えてる……」

「……えっ、こ、これでいいか……?」

「……まだもうちょっと、手退けてアーサー、俺が……――」



「あ。お前等、コレとコレどっちが良い……ってヤメテ!お兄さんもいる部屋でイチャイチャしないで!」

「なっ!イチャイチャなんかしてねーだろ!ばか!」

「してるでしょーが!アルフレッドに頭もしゃもしゃ撫でられて!」

「っう……好きでこうしてるんじゃ、ないんだからなっ!」

「へえ、そうなのかい?アーサー?」

「うぐ……」

「はいはいはいはいはい!」

 押し黙るアーサーと、アーサーの頭から何かが飛び出して来るとでも言うのか両手で頭を押さえているアルフレッドから視線を剥がし、フランシスは作業に戻る。

「ほらアルフレッドも手伝う!アーサーは頼むから座っててくれ」

「なんでだよ!」

「そうだぞ!座っててくれよ、だって今日は……君と俺が出逢った日で、君の誕生日だからね!」










 ――不完全なくらいが奇跡は起こりやすいと言うのなら。

 こんなクレイジーな秘密を抱えた俺達は、きっとこの先も色んな奇跡を起こして行くんだろう。

 ずっと、一緒に。




  『にゃんにゃん』≠本タイトル
  



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