――雨の降っていた夕暮れ時、俺は一匹の猫を拾った。


 公園の隅、ベンチの陰に丸まっていたのは、垂れ耳で白っぽい毛色の眉毛猫。
 近付いてもぴくりとも動かないものだから、一瞬まさか……と思いながら触れてみると、持ち上がった瞼の奥にはエメラルドを嵌め込んだような綺麗な翠の双眸が隠れていた。

 吸い寄せられるみたいに腕を伸ばして、両手でそっと抱き上げる。濡れてペシャンコの毛並みが震えているのが凄く寒そうで、シャツが汚れるのも構わず胸に抱き寄せて着ていたジャケットのファスナーを閉めた。こんもりと膨らむ胸元を、下から手を添えて支える。苦しくないように、ファスナーは半端に開けたままにした。

 しとしとと雨が降り注ぐ中を、小走りに駆け抜けて。
 誰も帰りを待つ人の居ないドアを開けて中に入ると、靴と一緒にぐっしょりと濡れた靴下も纏めて脱ぎ捨てた。
 短い廊下を4歩で抜ければ直ぐに居間、兼寝室へ到着する小さな1K。部屋の中には、敷きっ放しの布団とテレビとパソコンとお菓子とお菓子のゴミとギリギリ二人掛けの小さなソファ。
 いつから干していたのか忘れてしまったタオルを引っ張ると、洗濯バサミの外れる音がパチンと響く。胸の中から漸く解放した猫を足元に降ろして、一応は洗濯済みであるタオルでわしゃわしゃと掻き混ぜた。
 そう言えばこのアパートはペット可だったっけ、なんて考えは頭の隅に追いやる。

 そろそろ乾いただろうかとタオルを退ければ、じっと俺を見詰めるエメラルド。まるっとした見た目とは違い案外軽い体を抱き上げて、気付いたら自然と話し掛けていた。

「よし、君の名前はアーサーだぞ」
「マオ……?」

 猫が不思議そうに鳴く。もう一度アーサーと呼んで、俺は窮屈なソファに横たわった。
 何度か身じろいで寝心地のいい場所を探すと、身体は仰向けに、猫…アーサーを胸に乗せた所で落ち着く。

「アーサー……俺さ、失恋したんだ」

 ポツリと呟けば、それまで俺の袖口を銜えて引っ張って、まるで「おい、濡れたままでいると風邪引くぞ」なんて言いたげだったアーサーが、ぴたりと動きを止める。
 俺の顔をじっと見た後、温かくてザリザリした舌で頬を舐められた。

「慰めてくれるのかい?」

 擽ったさに肩を竦めながら横目で見れば、ちょっと汚れたベージュの毛が動いて顔を上げたアーサーと至近距離で目が合う。
 アーサーが落ちないように両手を添えて、甘えるみたいに唇を突き出した。てっきり嫌がられるかと思ったのに、逃げずにいたアーサーの唇は容易く奪えてしまって。
 拒まれないのをいい事に、止まらなくなって其のまま二度三度と押しつけた所で漸く抗議の声が上がった。

「マーオ」
「ごめん、ごめんね……アーサー」
「……マオ……」

 ぎゅうと小さな温もりを抱き締める。ザリザリする舌が、何度も目許を撫でてくれた。

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