「明日は仕事だろ?何時のフライトで帰るんだ?」
「っ、今夜も泊まって行くんだぞ!……日付が変わるまで…諦めるもんか……」
「…アメリカ……?」
朝から機嫌が優れなかったアメリカは、朝食を摂る時に一瞬浮上したものの、その後は相変わらずだった。 疲れているのだろうかとイギリスが仮眠や帰国を勧めても決して頷かず、かと言って積極的に会話を振るでもなく、アメリカは…ただじっとイギリスに視線を送り続けていた。 イギリスは刺繍を刺す手を一旦止めて溜め息を吐く。
(一体なんだってんだ……)
理由を考えようとした所で、朝に出したスコーンを不味いと言われた事を思い出した。 イギリスは瞼が熱くなるのを感じて慌てて刺繍を再開すると、薔薇の模様の事だけを考える。
――そして再び夜が訪れた。
「……」 「…………」
「えーっと……アメリカ、寝室は昨日のままでいいのか?」 「……うん」
「そ、そうか。それじゃあ…お、おやすみ。明日の飛行機の予約、忘れるなよ?」 「うん……」
アメリカの、まるで親兄弟の仇でも射殺すような強い視線を受けながら、イギリスはぎこちなく片手を上げて身体の向きを変えた。アメリカとの距離は、おおよそ5メートル。
リビングの席を立ったイギリスの後を追って来たアメリカは、イギリスが自室の前に到達して扉のドアノブに手を掛けると「何か忘れてない?」と訊ねて来た。しかし思い当たる事の無いイギリスは首を捻るばかりで。 未だアメリカの視線を感じながら、イギリスがドアノブを回そうと手に力を込めた其の時。
「――……ひどいよ……っ」
アメリカの弱々しい悲鳴が響き渡った。ぎょっとして振り返ったイギリスは、更に目を大きく見開き固まる事になる。 両の目から大粒の雫を零すアメリカが、視線だけはキッと強くイギリスを見据えていたのだ。イギリスは困惑した。
「イギリスの馬鹿……っ」
「ア、アメリカ!?どうした……?」
イギリスが駆け寄ってハンカチを差し出しても、むずがる子供のように頑ななアメリカは受け取ろうとしない。
「俺の分のチョコだけないなんて、あんまりだ……っ」
涙と共に呟き落とされた理由に、イギリスは危うくハンカチを落としそうになった。
「は……?」 「まだ分からないのかい!?俺は、君からまっずいバレンタインチョコを貰う為に、わざわざ急いで仕事を終わらせて来たんだぞ!?」
「へっ?」 「なのに君って奴は……!っどうしてそんなに空気が読めないんだい!」
「いや、待っ――」 「フラグクラッシャーもいい加減にしてくれ!俺が毎年どんな気持ちで……っ」
「おいアメリカ!だから……っ!」
イギリスは髪を掻き毟りたくなるのを懸命に堪える。 俺は悲劇のHEROだ!こんな眉毛の悪に屈するだなんてと訳の分からない事を言い始めたアメリカの意識を自分に向けさせる為、両手を伸ばしてアメリカの頬を捉えた。むにっと挟んで正面から視線を合わせる。
「おまえ、朝にバクバク喰ってたじゃねーか!」
声を大にして訴えたイギリスが漸く言えたと肩で息をする傍らで、アメリカはパチリと瞬いた。
「……what's?」
「だからッ、テメエは俺のチョコチップコスコーンを……ああもうっ!くそっ!ちょっと待ってろ!」
イギリスが美味いかと聞いた其れを、てっきり意図して不味いと言い放ったと思っていたアメリカは、どうやら気が付いてすら居なかったらしい。
「いいか!絶対付いて来んじゃねーぞ!」
ちっ、とイギリスは舌を打った。普段は紳士たれと気遣う振る舞いも無視し、廊下を踏み鳴らして歩く。 アメリカが来る前は、本人の口から欲しいと聞くまで絶対にチョコはやるまいと思っていたのに。顔を見てしまうと、どうしてもやりたくなってしまって――欲しいと言われずとも、イギリスの意志で――。 それくらい、当たり前になっていたのだ。アメリカと過ごすバレンタインが。
だからイギリスは考えた。イギリスとて、不味いと言われると分かりっているものを渡してわざわざ傷付きたくはない。特に今年は、直接強請られた訳でもないのだから。 其処で去年、珍しく文句一つ言わずに食べきった(シーランドの分も残さずに、だ)チョコチップココアスコーンを思い出した。あれならば、アメリカに美味いと言わせる事が出来るかもしれない。 早朝から密かに作り始めた其れは、妖精たちに「今年はチョコを届けに行かなくてもいいの?」と言われるまで皆へ宛てたチョコの存在を忘れていたぐらい、イギリスにとって時間を費やした力作だった。結果は、見事惨敗な訳だが。
「くそっ……」
キッチンに到着したイギリスは、ガサカザと荒い動作で棚を漁り始める。
「確かまだ少し残ってた筈なんだが……――あった!」
イギリスは棚の奥の奥に隠していたチョコチップ入りの小袋を取り出し、矯めつ眇めつ色気も飾り気もないパッケージを見た。
「……まさか、これをそのままやる訳にもいかないよなぁ……」
小指の爪ほどもないチョレートの粒。いくら時間がないからと言って、これをバレンタインだと渡す事は憚られる。
「――……そうだ」
イギリスは再び棚を漁ると、勝利に満ちた気持ちでにっと口角を釣り上げた。
(待ってろよ、アメリカ……!)
* * *
「イギリス……遅いよ!」
「悪い悪い、……ほら」
「……これは…?」
「チョコレート・ティーだ」
「…チョコレート……」
差し出したカップを受け取り、鼻を寄せたアメリカがくんと匂いを嗅ぐ。ふわりと香るカカオに、イギリスは得意気に頷いて見せた。
「Happy Valentine's Day,アメリカ」
アメリカは何か言いたげに唇を開いたり閉じたりと動かしていたが、その拗ねた子供のような所作にイギリスが笑み返すと、黙ってカップに口を付けて。
「――……おいしい……」
「っ!…あっ当たり前だろ!俺を誰だと思ってやがるっ」
カップから視線を上げたアメリカと、腕を組んでそっぽを向きながらもちらと様子を窺い見たイギリスの視線が絡む。何方からともなく、ふっと笑み交わして。
「来年からは、毎年チョコレート・ティーを淹れてやるよ」
「えっ……?そん――」
焦った様子を見せるアメリカに、どうしたお前だって美味い方がいいだろうと問う前に、アメリカの方が先に言葉を切って台詞を改めた。
「YES!!つまり君は、これから先のバレンタイン当日に、俺と逢ってチョコレート・ティーを淹れるって事だね!」
「ん?ま、まあ……そうなるな」
「茶葉だけ送るとか止めてくれよ!君が淹れてくれなきゃ意味がない!仕事が忙しいからって前日とか、翌日以降なんて以ての外だぞ!」
「う…努力しよう。紳士に二言はねえ」
――早まっただろうか、イギリスは僅かにそう思うも、アメリカの様子に悪い気はしなかった。
「紅茶だけだと物足りないし、他のも食べてあげるんだぞ」
「いいから、ほ…ほら、それ飲んだら早く寝ちまえ」
イギリスが紅茶のカップを片付けにキッチンへ向かってる間、毎年の約束を取り付けた――とアメリカが笑み崩れた表情でガッツポーズをしていたのをイギリスが知るのは、もう少し先の事になる――。
アメリカの周りには、くすくすと小さな光が舞っていた。
Happy Valentine's Day!
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