日本から「友チョコ」の話を聞いた年のバレンタインは、それはもう酷いものだった。

 ぴんっ、と何か妙案を思い付いたかのように目を輝かせて頬を緩ませたイギリスに、胸騒ぎを覚えたのは其の場にいた全員だろう。
 その筆頭であるアメリカの嫌な予感は、的中する事になる。

 贈り主の名前を記さない風習のある英国から、誰が送ったのか分からない筈なのに明らかに誰の手作りであると知れる手作りチョコレート、否、異形へと変貌させられた元チョコレートと思しき物体X。税関は何をしているんだと叫びたくなるような其れが、バレンタイン当日の朝、各国の家々に何処からともなく届いていたのだ。
 アメリカは最初、机の上の包みを見付けて封を開けた時、中に鎮座しているのが物体Xにも関わらず其れはもう大層喜んだ。アメリカの胃を脅かす食物兵器であると同時に、初めてイギリスから自主的に送られたチョコレートである。
 ――しかし。
 余りの興奮につい隣国のカナダへ電話した時、「僕の所にも同じ物が届いてるよ」と言われた時のアメリカ気持ちが、一体誰に分かるだろうか。いや分かるまい。あのじめっとしたお国柄の元保護者に200年以上も片想いを寄せているアメリカ以外に、分かる筈がないのだ。

 以来、アメリカは其れまで以上に一層バレンタインに力を入れる事になる。
 後から聞いた、アメリカの分が一番量が多い――だなんて言葉が慰めになったのは、ほんの一瞬だった。嘘ではないだろうが、要は余った分も纏めて送れる体の良い処理係りではないか。そんな物で満足するアメリカ合衆国ではない。
 イギリスから他国へ宛てたのとは違う特別なチョコレートを、あくまで…あくまでさり気なく得る為に、アメリカがこれまで一体どれほどの口実を捻り出した事か。

 そうしてネタも尽きかけていた去年のバレンタインに、事件は起こった。
 奇しくも2月14日に英国で世界会議が催された折りの話である――。

 イギリスはその日、一日中そわそわしていた。
 そして会議が終わると同時に何処かへ向かうと、事前に用意していたのだろうチョコチップ入りのココアスコーン(※イギリス談)という名の黒い塊をゴロゴロと大量に乗せた器を持って来て、あろう事か皆に配り始めたのだ。
 一人、また一人とそそくさ立ち去って行く会議室に残ったのは、「最初から全部俺が食べる為に用意したんだからな!」と椅子に座り込んで俯いてしまったイギリスと、その一部始終を見ていたアメリカ、会議にこっそり潜り込んでいたのをイギリスに見付かって締め出されていたシーランドの三人だった。
 イギリスを挟んで両隣に着席したアメリカとシーランドは、黙々とスコーンを食べ始めた。
 普段はイギリスに似て素直じゃないシーランドが、拙い口調で「シー君は嫌いじゃないのですよ」と言えば、イギリスはシーランド以外は嫌って食べずに出て行ったという気付かなくてもいい裏の意味を察して余計に落ち込み、シーランドが慌てて慰める…。そんなアメリカにとっては面白くも何ともない茶番を聞かされている間も、アメリカは黙々と食べ続けた。
 その内「あーっ!アメリカの野郎がシー君のスコーンも全部食べたのですよ!」とシーランドが声を上げて。イギリスの邸宅で改めて焼き立てのスコーンを食べる事になった話の流れに、「お前も来るか?」と問われ「まさか」と返したアメリカに二度目の誘いが掛けられる事はなく。
 はしゃぐ二人を余所に、最後は手を繋いでイギリスの邸宅へ向かうイギリスとシーランドの背中を見送った時のアメリカの気持ちが、一体誰に分かるだろうか。いいや分かるまい。
 自らの意志でイギリスの庇護下を離れたにも関わらず、いざイギリスが他の誰かの世話を焼いているのを見ると、子供の頃のように其の身体へ腕を廻して「イギリスは俺のなんだぞ!」「君は俺の世話だけ焼いていればいいんだ!」などと引き離して仕舞いたくなる苦い衝動を抱えるアメリカ以外に、分かる筈がないのだ。

 次のバレンタインは、絶対にイギリスと二人で過ごしてみせる――。
 アメリカは一人きりのベッドに俯せながら枕の端を握り締め、強く強く決意したのだった。


 ――そうして1ヶ月前……。


「もう直ぐバレンタインだけど、まさか君は今年も兵器を量産するつもりかい?懲りないなあ、どうせ誰も喜ばないんだから止めておきなよ。誰が残ったのを処理すると思ってるのさ。俺の気持ちも考えてくれよ」

(意訳:もう君が悲しむ姿は見たくない。他の奴にも作った余りだなんて嫌だ。俺は君が好きだから)

「無駄な手間暇かけて毎回あんな不味いの作って、時間はもっと有意義に使うべきだぞ!まあ…君がどうしても、最初から不味いと分かり切ってるチョコを其れでも俺の為に作りたいって言うなら、仕方なく貰ってあげない事もないけどね。俺はHEROだから、相手がどんな試練だろうと立ち向かわなきゃいけないのさ」

(意訳:一緒にイベントを過ごしているのに…いつも君がキッチンに籠もってる時間が長くて寂しいよ。けど、君が俺の為に作ってくれたチョコなら嬉しいんだ。君が作ってくれたものなら、喩えどんなものでも俺が全部食べる)

「あ、でも今年は…その、外に食べに行かないかい?君の舌には勿体無いぐらい、飛びきり美味しい店を見つけたんだ」

 ――アメリカの口は、まるでさらさらと流れる小川のように言葉が止まる事はなかった。大切なのは川そのものではなく、清流に浮かべた一隻の笹舟だったのだ。
 因みに笹舟には、「デートしようよ」と書かれている。

 しかし、イギリスにとって叩き付けられる言葉の濁流以外の何ものでもなかった荒波は、見付けて欲しいと思いながらアメリカが浮かべた笹舟を見事に飲み込み、ついぞ見付けて貰う事は叶わなかった。

 喩え込めた想いが伝わらなくとも、たった一つアメリカが汲み取って欲しかった笹舟は、イギリスの涙を乗せて水底へと沈んでしまったのだ。


 その場にいたフランスに「追い掛けて謝った方がいいんじゃねえの?」と肩を竦められ、日本に「ツンデレにも黄金比というものがあるのですよ」と今流行っているらしい恋愛シュミレーションゲームを勧められ、カナダに「君は本当にどうしようもない奴だよ、兄弟」と肩を叩かれたアメリカは、その夜…枕を濡らしたのだった。

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