〜 もしも元に戻らなかった場合 〜





「まさか君が気付かないなんてね、ホント最低だよ!」
「わ、悪かったってアメリカ、機嫌直せよ」

 アメリカ……の中身が入っているフランスの身体が、ポコポコと湯気を出して怒っている。
 紅茶とスコーンを出そうとして、暫く逡巡した後に珈琲と市販のビスケットの缶を手を取った。

「イギリス! 君ちゃんと聞いてるのかい!?」
「はいはい聞いてるっつの! 本当に、悪かったよ……何も無かったんだからいいだろ?」

 トレイに載せた珈琲と籠に移したビスケットをアメリカの前にセッティングして、少し低い位置から上目で見上げる。
 おずおずと伸ばした指で髪を撫でると、アメリカはまだブツブツ言いながらも大人しくなった。
 ──うん、ないな。
 ゾワゾワと、腕に鳥肌が立つ。至近距離から、唇を尖らせて拗ねた風貌のフランスを見てしまったからだ。頭は掻き毟り過ぎて柔らかそうな髪質が跳ねたり絡んだりしていて、口許には早速手を伸ばして齧り付いたビスケットの欠片が付着している。
 いつもなら嬉々と手を伸ばすか舌で舐め取っているだろう其処から、そっと視線を剥がした。

「当たり前だよ! もしあのままキスなんかしてたら、君もただじゃ済まさなかったぞ……!」

 ──あの時、フランス……の意識が入っていたアメリカの身体と口吻ける寸前、不意に足首を掴まれたかと思ったら思い切り引っ張られたのだ。犯人は、目を覚ましたアメリカ(外見はフランス)だった。
 (身体だけが)フランスの顔には、鬼神の如く凄まじい気迫と殺意が込められていた。
 それこそ俺が一発で「こいつ俺の知ってるフランスじゃない」と分かってしまう程。
 腐れ縁歴を延々積み重ねて来た俺とフランスだが、あんな顔は未だかつて見た事が無かった。
「フランス!」
 そう一喝し、そのままの勢いで本物のフランス……と言うのも可笑しな表現だが、外見はアメリカの姿をしたフランスを殴り飛ばしたフランスの身体(中身はアメリカ)を、俺は必死に止めた。
「止めろアメリカ! アメリカの身体が死んじまう!」
 あの時は俺自身、自分が何を言っているのか分からなかった。
 フランスの身体が繰り出したパンチだったからか、丈夫が取り柄のアメリカの肉体が功を奏したのか、ヨロヨロと起き上がったアメリカの身体に向かって「いいからおまえは早く帰れ!」と叫び、フランスの身体を引き摺るように連れ帰って今に至る。

「……落ち着いたか?」

 珈琲を飲み終えてほうと息を漏らしたアメリカ……とは名を付しがたい外見に向かってそっと問うてやれば、こくりと頷き返されて。その晴れた空の色とは異なる青い目が、少し潤んだ瞳で俺を見詰める。きも……い、いや、きもくな……きもく、な…ぃ。

「イギリス……元に戻るかな」
「だ、大丈夫だ……。こんな前例は聞いた事はないが、俺達は国だ。姿形だってしっかり国民性を引き継いでる。こんなんじゃ、アメリカだって胸を張れないだろ?」

 もし自然に戻らないようなら、絶対、絶対俺がなんとかしてやる。絶対に。
 よしよしと頭を撫でて跳ねていた髪を整えてやれば、アメリカ──そうだこれはアメリカなんだ──は、安堵したようにふにゃりと相好を崩した。
 それを見て、俺は……プツプツと鳥肌を立てる腕を擦る事も出来ず、目を逸らさないよう己の眼球に試練を強いながら、こいつ今夜泊まって行くのかなと考えていた──



 ◇◇◇



「ん〜、お兄さんってばやっぱ最高っ」

 フランスは途中何人かの女の子たちに声を掛けつつ自宅に帰り、夕食の支度をしていた。
 辺りに漂ういい匂いに釣られてか、さっきから食欲をそそられた腹が早く早くと鳴いている。
 何度味見をしても、我ながら極上の出来だった。
 味見に使った小さな皿を流し台の中に入れようとして……もう一口。

「くーっ、うまい! お兄さんてば天才! ッじゃなくて!!」

 確かに美味しい。何度味見をしても美味すぎる。けれど今フランスが確かめたかったのは、そんな「美味しい」なんて当たり前過ぎる感想ではなく、塩加減だった。
 しかし何度何回繰り返した所で、フランスに分かるのは「美味しい」──ただひたすらに、それだけだった。

「この味音痴ちゃんが!!」

 気付けば鍋の中身は随分と減ってしまっている。フランスは諦めた。今日はもう寝てしまおう、明日には戻っているかもしれない。
 火を止めてフラフラ部屋に戻ろうとして──ふと、ある事に気が付いた。
 フランスが求めて止まない完璧な味覚を有した自分の身体は今、世界のメシマズ国家と名高いかの隣国にいる。

「ッ──……!!」

 さぁと血の気が引くと同時、フランスは取る物も取り敢えず家を飛び出した。




「アメリカ! アメリカぁ!」
「くそっ、遅かったか……」

 イギリスの屋敷に辿り着いたフランスが先ず始めに聞いたのは、家主である腐れ縁の悲痛な叫びだった。
 手を掛けただけで鈍い音を立てて壊れた扉は捨て置き、フランスは走る。
 その先で目にした光景は、あまりに悲惨なものだった。まあ予想はしていたが。
 床に横たわるのは、まるで屍のような自分の大切な身体。その手には、一本のフォークが握り締められている。傍には泣き崩れたイギリス。机の上には、黒々とした物体が乗った皿──食べたのか、アレを……。

「アメ……フランス?」

 真っ赤な目に涙を溜めたイギリスが振り返った。

「フランスっ、……アメリカが、アメリカが……っ」
「落ち着け、まずは吐かせ……いや、病院に連れて行け」
「わ、わかった」

 わたわたと携帯電話を手にするイギリスは此方に背を向けている。
 フランスは、血の気の失せた唇の端から一筋の銀糸を垂らす痛ましい姿に向け、そっと十字を切った。
 神よ、この哀れな青年を救いたまえ。せめて身体だけでも。

「ちくしょうっ! 誰だよ俺の料理に毒を混ぜた奴は!! 捜し出して同じ目に合わせてやる……くそっ!」

 涙が引っ込むと次は烈火の如く怒り狂い始めたイギリスを余所に、フランスはやってきた救急隊員に簡単な事情を説明した。
 そうして二人を乗せた救急車を見送り、イギリスに言い付けられてしまった部屋の片付けをしながら何気なく目に付いた黒い物体。

「………」

 この、地獄の業火で火炙りにしたような物体を、いつもバクバクと食べていたアメリカ。
 その味覚や胃袋は一体どうなっているのかと、ずっと気になっていたのだ。

「…………」

 恐る恐る手に取り、口に運ぶ。

「──……なんだよ、マズいじゃん」

 口の中に残る後味は、なんとも言えないものがある。
 しかしこれで、実はアメリカにだけ美味しく感じられるのではないかという疑問は消えた。
 アメリカは正真正銘、いつもこのマズい物体をバクバクバクバクと懲りも飽きもせずに食べていたのだ。
 全く恐れ入ると溜め息をひとつ零して。

「あーあ、お兄さんはご飯の美味しい国に帰ろうかな」

 お兄さんの身体には無茶しないでねと、目を覚ましたらそう連絡しなければと決め、フランスは自分の国へ帰って行った。


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昨日書いたお話の別バージョンでした!

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