素直に
「ドクターバースッ!!サレを診てください!!」
サレを城に運んだ後、医務室に掛けこんでほとんど悲鳴を上げるように叫ぶ。
ドクターバースは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに白衣の襟を正して頷いた。
まず私の背に担がれたサレをベッドへ横たえると、すっかり気が動転した私を宥め、簡単に状況を聞いた後に手際よく治療を進める。
さすが名医と言われるだけあって、余計なことは一切聞かないし、治療の手つきも鮮やかだ。
ドクターバースが落ち着いているお陰で、私もだんだんと落ち着きを取り戻す。
「出血が多かったから驚いたろうけど、たいした傷じゃない。出血が多いと言っても支障のある量じゃないし、頭を打っているけど心配はいらないよ。殴られた衝撃で気を失っているだけだ」
と笑うドクターバースの言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
サレ目を覚ますまで傍についていたいと我儘を言う私を、ユージーン隊長が取り計らってくれて、医務室に泊まらせてもらえることになった。
本当に、隊長には頭が上がらない。
以前なら病人が居れば眠る間もなく仕事をしていたドクターバースも、最近では体調が悪そうだ。
凛とした顔つきにも、疲労が色濃く滲んでいる。
時折顔を歪めて、苦しげに息を吐くのを、もう見ていられない。
「ドクターバース、今日も体調が良くないようだったら私室で休んでください」
「しかし…メイと患者を残して戻るわけには…」
「こんな私に医務室を任せるのが不安なのはよくわかるんですけど…なにかあれば呼びますから、少しでも寝てください。最近夜は特に良くないように思います。ドクターバースになにかあったら城の皆が困るんです。大切なみんなのお医者さんなんですから」
必死に説得すると、ドクターバースは弱弱しく笑みを浮かべる。
老いには勝てないのだろうな、なんて冗談を言いながら、白衣を脱いで畳み始めた。
「サレももう心配なさそうだ。じきに目を覚ますだろう…せっかくメイがそう言ってくれるなら、今日だけお言葉に甘えさせてもらうよ。」
いつも病人を診ている自分が、まさか気遣われる立場になろうとは思ってもみなかったのだろう。
少し申し訳なさそうな、戸惑ったような様子を見せながら、ドクターバースは私室へと戻っていった。
よくよく考えてみれば、いくら体調が悪そうだからと言って医者を医務室から追い出すなんて、なんて生意気な小娘だろう。
気遣ったつもりでも、出すぎた真似をしてしまったのかもしれないと自己嫌悪に陥りそうになる。
しかし、ドクターバースがここに私だけを残したということは、ドクターバースがいなくても大丈夫なくらいサレの怪我は酷くなかったのだろう。
呼吸も安定しているし、城に運んでくる間に出血も止まっていたようだったし…
そう考えると少し余裕が出てきて、サレの顔をよくよく観察してみたくなった。
きめの整った白い肌に、すっと通った鼻筋…睫毛も長い。
いくら観察しても飽きそうにない。
初めて会った時も、綺麗な人だと思ったなぁ…
なんて、少し昔のことを思い出しながらサレの前髪を撫でようと手を伸ばす。
しかしその手は他者に阻まれ、手首を掴まれた。
「………え?」
この部屋には自分とサレしかいない。
となると、今自分の手首を掴んでいるのは…毛布の中から伸びる、サレの白い手。
どうしてサレの手が私の手を掴んでいるの…?と思考が停止する。
その私の疑問は解決されぬまま乱暴に手首を引かれ、悲鳴をあげる間もなくがくりと体勢を崩す。
「ひぁっ…サ、レ…!?」
サレの名前を呼ぼうとした唇は、そのまま目の前の本人の唇で塞がれた。
これ、キスというものでは…
あまりに突然のことでびっくりして動けずにいると、あれよあれよという間にベッドに引きずりこまれる。
「ちょ、待って何!?何が起きてるの!?何するの!?」
そこで初めて抵抗しようと暴れるが、手足はバタバタと虚しく空を切り、結局はサレの背後からだきしめられて添い寝する形で収まってしまった。
サレの体温で暖まったベッド。
背後からがっちり抱きしめられたままで、サレの表情もわからない。
「さ、サレ?起きたの?…寝ぼけてる?」
「任務中に寝ぼけてた君に言われたくないね」
「う…」
返ってきた言葉はいつも通り辛辣で、寝ぼけている様子はない。
二度も背後を取られて賊に襲われた自分には、任務中に寝ぼけていると言われても返す言葉も無い。
「僕が無事だったことも、今バルカ城の医務室にいることも、全部驚きなんだけど」
「私はサレが起きてるんだか起きてないんだかもよくわかんない状況から今こうして何故か一緒にベッドに寝て、背後でサレが思いのほかハキハキとおしゃべりしてるのが全部驚きですよ…!」
「なんで僕は無事で、今バルカ城の医務室にいるのか説明を求めてるんだけどなぁ」
こっちの動揺なんてそこらへんの小石みたいに適当にあしらって、あくまでも高圧的に説明を求めるサレ。
あぁ、サレが無事でよかったなぁ、なんて少しだけ複雑な涙を流した。
「怪我、たいしたことないってドクターバースが言ってた…それに怪我したらお城の医務室に運ぶでしょう普通」
「あのあと捕えた大量の賊と血まみれの僕を運ぶのは不可能だと思ったけど」
「…サレは私が運んで、トーマが賊を纏め上げて連行したの。」
「…へぇ……あの、トーマが。」
サレは本気で驚いたようで、しばらく言葉を失った。
確かに、トーマがヒューマに協力的なのは珍しいことだったのかもしれない。
「しかしメイに僕が担がれたっていうのもなんだか癪だな」
「ひぃあっ!?」
不愉快そうに耳元で囁きながら、私の身体を厭らしい手つきで撫で回す。
「相変わらず色気のない悲鳴…君らしくていいけどね」
溜め息混じりで耳元で呟かれ、ゾクゾクと鳥肌が立つ。
こいつ変態だ絶対変態…!!
「…っ変なとこ触んないでよ!っていうかなんで今私抱きしめられたまま添い寝してるの」
「もっと人間らしく生きてみてもいいかもしれない、って思ったからだよ」
「そいつは素晴らしいことだけど説明になってないよ…!」
サレは全く説明する気の無い返事をしながらも、相変わらず身体を撫でる手を止めない。
「もっと人間らしく欲望に忠実にメイに対して接していこうと思ったんだよ」
「よくわかんないしなんか怖い!」
「あぁ、頭の傷が少し痛むから激しい動きは難しそうだ。もっと調子がよければ押し倒してるところなのに」
「言わんとするところはなんとなく察したけどなんでそうなった!人間らしく欲望に忠実にってなにいきなり!」
「素直になるってことだよ」
間違ってるよ!素直になる方向性を間違えてるよ!
ポンポンといつもの、いやいつも以上にサド発言炸裂のサレに、もう傷の心配はいらないとひしひしと実感することになった。
むしろこんなのいつものサレじゃない。
頭を打っておかしくなってしまったんだろうか。
「あのですね!サレの目が覚めたら謝ろうと思ってたことがあるからとりあえずその手を止めてくださいませんか!」
「メイの身体は柔らかいなぁ。余分な肉がついてるんじゃない?」
「その失礼な口を閉じて話を聞け!」
無遠慮に這いまわる手をどうにか制止して、無理矢理身体を反転させてサレのほうを向く。
サレの蒼い瞳に、自分の真剣な顔が映る。
「私、サレにひどいことしたじゃん…。守ってくれたのに怖いと思って…今まで一緒に居たサレ自身をないがしろにして、冷酷っていう噂に流された…」
少しずつでも言葉を紡いで、正直な自分の気持ちをサレに伝えたい。
でも、言葉と一緒に何故か涙も流れる。
馬鹿にされるかと思ってサレを見つめたけれど、サレは真剣な目で私を見つめ返した。
「…別に酷いことをされたなんて思ってないし…冷酷だっていうのも嘘ではないさ」
サレは、いつものように人を見下す声色ではなく、ただ淡々と、そう言った。
「任務でたくさんの人をこの手で殺め、そして人を虐げては快楽を得る僕が、冷酷じゃなかったらなんだっていうんだよ」
吐き捨てるように、そう言った。
無表情のサレを見て、この人はきっとこんなふうに感情を殺して、任務をこなしてきたんだろうと思った。
だからこそ、今回私がサレに対して持ってしまった『恐怖』という感情は、きっと彼を傷つけた。
謝りたい。謝って、そうじゃないんだって伝えたい。
思わずサレの手を強く握りながら、真剣に言葉を選ぶ。
「たとえそうだとしても、それだけがサレじゃないもん…皆が言うほどサレは酷い人じゃない。私はまだ城に来て短いけど、サレのいろんなところを見てそう思う。今回の件で一度は本当に酷い人なんじゃないかって疑ったけど…サレは私を助けてくれたもん。もう疑うことなんてないよ」
理解したい、なんて難しいことは思ってない。
みんなにわかってもらえなくても、ただ私だけは知っておきたい。
サレの不器用で、優しいところ。
「…よくもそんな甘ったるい言葉がポンポンと出てくるね。寝起きの頭に染み込んで吐き気がするよ」
サレは思わず顔を歪めるが、本気で嫌がっているようには見えない。
見逃してしまう、サレの不器用な感情表現。
「今ならわかる。照れ隠しでそういうこと言ってるんでしょ。」
悪戯っぽく言ってやると、サレは一瞬戸惑ったように瞳を惑わせたが、すぐに顔を顰める。
「なんて幸せな思考回路なんだ君は。」
サレは呆れたように息を吐くと、私の額を乱暴に弾いた。
「…馬鹿じゃない?」
素直になるって言ったのに、やっぱり素直になりきれないサレに、私はおかしくなって思わず笑みを溢す。
「…サレが目を覚ましてくれて、馬鹿じゃない?って言ってくれるだけで幸せだから今は許すよ」
「…ほんとに馬鹿だね」
「いつもよりも言葉のボキャブラリーが随分少ないんじゃない?罵る時は口が達者な癖に」
調子に乗ってからかい続けると、サレはふと余裕の笑みを浮かべて私の頬に手を添える。
「頭の怪我のせいだよ。つまり君のせい」
絶対、嬉しかったからとかじゃないからね。
そう呟いて、サレはまた私にキスをした。
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今まで意地張って感情を殺していたぶん
解き放ったら暴走して歯止めがきかなくなりそうなサレさん。
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