葛藤
あの任務の日から、私はサレとなんとなく距離を置くようになってしまった。
距離をおくといっても、前に訓練から逃げたように、任務から逃げたりしてサレを避けているわけではない。
サレやトーマと自分の気持ちが、前より離れてしまったような気がするのだ。
もう私は王の盾。
しかも四星の部下。
任務は遊びではない。
それくらいのことは、わかっているつもりだ。
「気持ちが、ついていかない…」
自室のベッドで枕を抱きながら身を転がし、溜息混じりに呟いた。
前だったら無遠慮にサレがくつろいでいたソファーは、座る主を無くして寂しそうにそこにある。
あの任務以来、サレが私の部屋に立ち入ることが無くなってしまった。
自分を拾ってくれた時の、あの蔑んだ目。
おもしろそうだから、なんて理由だけれど、記憶を無くして歩けなかった自分をここまで連れてきてくれた。
全て自分が教えるのは面倒だという理由だけれど、他の四星に私を紹介してくれた。
いたぶるのが楽しいからなんて理由だけれど、私に訓練してくれた。
最近では、ちょっと不器用なだけで、実は優しい人なんじゃないか、なんて思っていたのに。
『お前は今まで誰ひとりとして生かした試しがないだろう…』
トーマの言葉が、頭から離れない。
今まで誰ひとりとして?
サレは四星。
四星なんて高い地位になるためには、どれだけ長い期間ここにいたの?
どれだけの任務の数をこなしたの?
どれだけの長い間、どれだけ多くの任務で、いったい何人の命を奪ってきたの…?
苦痛に歪んだ血まみれの盗賊の顔がよみがえって、身体が震える。
あの任務からも、いくつか簡単な任務が請け負っているが、あの時のように人命に関わる依頼は無かった。
迷い猫の探索や街周りの警備、バイラスの退治。
しかし、明日の任務はまた賊退治。
前回は生け捕り。
今回は ―― 生死を問わない。
怖くてたまらないけれど、もう逃げるわけにはいかない。
『恩を返すつもりで任務にあたります。』
自分で言った言葉だ。
歩けもしなかった自分に教養や術技を叩きこんでくれた皆へ、恩を返さなければ。
いくらサレがあの任務の日に少し残忍な面を覗かせたとしても
あれからも以前と変わらないサレだったら、こんなに思い悩みはしなかったのだろうか。
それとも、残忍な面を見てしまっては、以前と変わらぬ態度のサレに違和感を覚え、また別な悩みを抱えただろうか。
サレの部屋と自分の部屋とを繋ぐ薄い扉が、私の胸を締め付ける。
任務が怖い、というのももちろんあるが、あの任務を境に変わってしまった自分たちの関係を悲しく思う自分も居た。
私がふざけあい笑いあえたのは、サレのことを何も知らなかったから?
城の兵達がサレに近づこうとしないのは、サレの残忍な面を知っているから?
知ってしまった今では、もう前のようには戻れないのだろうか
そんなことを思いながら、着替えることすら忘れてベッドに寝転がったまま、カーテンの隙間から見えるおぼろ月を、ただぼんやりと眺めていた。
結局あまり眠れないまま朝になってしまった。
いくら配属が決まって任務をこなすようになったとはいえ、日中の訓練は相変わらず続いていた。
この日は珍しくミリッツァとの実技で、いつもは男衆とばかり戦っていた私には新鮮な訓練だった。
いつもは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるといった類の攻撃が多かったが、ミリッツァの攻撃は繊細というか、大きなダメージはないものの、じわりじわりと体力が削られていくのがわかる。
トーマとの戦闘はとにかく大ダメージを防ぐことが重要な鍵だったが、ミリッツァは全く違う。
気が付くと背後に迫られ、斬り付けたと思えば消えている。
すっかりミリッツァに翻弄されて、集中力が欠けていく。
まるで舞うように優雅な戦闘に感心しながら、乱れる呼吸を整える。
あぁ、今日の夜更けはサレとトーマとの任務だった。
ふと思考が逸れて、気分が沈む。
考えても仕方が無い、今は訓練に集中しようと意識を戻した瞬間
がくりと、崩れるように膝を付き、その場に倒れてしまった。
「大丈夫か、メイ」
ミリッツァが、光の灯らない無感情な瞳に微かな介意を灯し、地に伏せたままの私を労わる。
小さく返事をしながらも、起き上ろうとはしない。
少し寝そべっていたい気分だった。
広場の突き抜けた天井から、空が見える。
せめてこの空が晴天だったなら、私の心も少しは晴れたのだろうか。
ミリッツァが私の傍らに座りこみ、同じように空を見上げる。
「……大丈夫か、メイ」
ミリッツァが、もう一度私に問う。
質問は同じでも、きっと聞きたい内容は違うことだ。
最近いまいち訓練にも身が入っていない私を、気に掛けてくれたのだろう。
「ミリッツァ…私…」
少しでもミリッツァに話せば心も軽くなるだろうかと口を開いた瞬間、言葉が詰まってうまく出てこなくなった。
代わりに目から涙が伝い落ちて、地面に吸い込まれる。
記憶喪失で森に倒れていた時も、どんなに厳しい訓練でも絶対に泣かなかったのに、こんなことで泣いてしまうなんて。
「初めての任務の時から様子がおかしいとは思っていた…。サレと何かあったのか」
「……こんなんじゃいけないってわかってるのに………怖くて」
涙を見られるのが嫌で、砂まみれの腕で顔を隠しながら、ミリッツァに届いたかわからないくらい小さな声で呟いた。
ミリッツァは相変わらず感情が読めない表情で寝転がったままの私を見つめる。
訓練でボロボロに汚れて、泣きながらブツブツと何かを呟く自分は、ミリッツァの目にどれだけ惨めにうつっているのだろう。
「…メイは賢い子だから、きっと今にわかる」
ミリッツァが私の傍らにしゃがんで、砂の付いた私の髪をぎこちなく撫でる。
叱咤とも慰めとも違う唐突すぎる言葉に、動揺を隠せず涙が止まった。
「…どういう意味…?」
「……きっとわかるから」
涙と砂でぐちゃぐちゃになった顔でミリッツァを見上げて聞き返すと、ミリッツァは同じように繰り返すだけで、あとは何も言わなかった。
「…今日の訓練はここまでだ。疲れただろうから部屋まで送ろう。」
再び何か言おうと口を開いた瞬間、ボロボロの身体が宙に浮き、いとも簡単にミリッツァに背負われてしまう。
「この細い身体のどこにそんな力があるのだろうか。」
ミリッツァの引き締まった腰をぺたぺたと触りながら冗談めいた口調で問いかけると、ミリッツァは濁った瞳を伏せ、俯く。
「…ハーフだから。」
あまりに悲しげな声色に一瞬呼吸が詰まる。
ミリッツァと話していると、時々、やはりハーフであることを引け目に感じているんだなぁと改めて実感する。
確かに街を出歩いてもハーフは見かけない。
道具屋のおじさんはガジュマ、装備品専門店のおじさんはヒューマ。
街行く大勢の人たちも、噴水で戯れる子供たちも、みんなヒューマかガジュマだ。
ハーフが育たないのか、どこかに隠れ住んでいるのかはわからない。
しかし、あれだけ人が集まる王都でも見かけないとなると、この国のハーフに対する差別は根強いのかもしれない。
でも
「…ミリッツァ、私ね、ミリッツァが好きだよ。ハーフでもガジュマでもヒューマでも、きっと私はミリッツァが好きだよ。ミリッツァはハーフに生まれて、嫌な思いをたくさんしたかもしれないけど…力持ちのミリッツァは頼りになるしね」
私の言葉なんかで、ミリッツァが慰められるなんて思っていないけど
「…私も、メイのそういうところが…好きだ」
大好きなミリッツァが、少しでも笑っていてくれたらいい。
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