捕獲


上階にも下階にも逃げることができず、その場で立ち尽くすしかない私の目の前に現れたのは、天使だった。


金色の髪の毛が靡いて、鎧がガシャリと音を立てる。

一瞬天使か、美しい女性と見紛う程整った顔立ちだが、がっしりとした身体とそれを覆う立派な鎧が、男性であることを示す。

思わず見とれて呆けていると、その鋭い瞳がこちらを射る。

あまりにも冷たい視線に、思わずその場に居直って相手の様子を窺う。

重装備であることから、軍の上位の人だろうと思うのだが、顔を見たことがない。

しかしそこで、城の中は他の四星の部屋を行き来するか、アガーテ様の私室に呼ばれるか、訓練の時に闘技場を使用する時以外はあまり自分の部屋から出ないため、自分にはあまりにも城の中での知り合いが少ないことに気付いた。



「見かけない顔だな…そこで何をしていた?」

また呆けて自分の考えに浸っているところを問われ、我に返って相手をまっすぐ見つめる。

凛凛しく釣り上った眉を顰め、腰元の剣に手を掛けている。

重装備となれば、剣も相応のものを携えているだろうと、背に生温い汗が伝う。

同じ城内で過ごしているというのに、互いを見知らぬというのも無理もないような生活を送ってきたことを、今更激しく後悔した。


「え、えーと、怪しいものではありません!怪しく見えますけど怪しくないです!本当です!」

さすがに斬られてはたまらないので、即座に首を振る。

しかし、否定すればするほど怪しい人物に成り下がっていく自分と、険しくなっていく相手の表情。

「ここの階段は国王の部屋にしか繋がっていない。王に狼藉を働こうとしたのではないだろうな」

「ち、違います!滅相もありません!ここには迷い込んで来ただけで…」

いくら否定しても信じてもらえる気配は無い。

国王に乱暴な行いをしようとここへ来たわけではないが、先程までは国王の部屋の前で盗み聞きをしてしまったのは事実。

しかし、たまたま迷い込んで来てしまったことだけはわかってもらわなければ。

必死な私の様子に、相手は少しばかり沈黙した後、所属と名前を答えるよう要求してきた。


「所属?所属はしていなくて…っ!?」

名前を答える前に、首元に剣の切っ先を突き付けられる。

「所属を答えられないのであれば、隊の者では無いな…?」


鋭く光る刃に、身体が震える。


どうにか説明しようと口を開いても、うまく言葉が紡げない。


頭の隅で、「なんてせっかちな人だ…」なんて冷静に考える自分も居る。

国王の寝室周辺に身元不明の人間がうろついていれば、この対応も頷けるが…


このまま殺されてしまうのだろうか。

こんなことなら、ちゃんと訓練受けておけば良かった…と後悔してもしきれない。

好奇心は猫をも殺すと言うが、猫の前に自分が死んでしまうなんて。

目の前に冷たくちらつく刃に、だんだん心臓が冷えていく。


「とりあえず不審者として…」

独り呟く目の前の男性は、剣を持つ手をぐっと握り締める。

その瞬間、ちくり、と、剣の先が皮膚に掠った。



「っ痛!」

痛みはそれほどではなかったものの、剣で傷つけられたという事実に驚いて声を上げ、身を引く。

と同時に思わずフォルスを使って剣を弾いてしまった。

キンッという金属音が響き、沈黙が下りる。

男の人は驚いたように目を見開き、弾かれた剣と私とを交互に見つめた後、また眉を顰める。

どうしよう。攻撃とみなされて反撃されたら勝てる気がしない。

沈黙を破ったのは、相手のほうだった。

「フォルス能力者…?」

男の人の呟きは、人気の無い階段によく響いた。

どうやら混乱しているようで、頭の中を様々な可能性が行き交っているのが見て取れる。

それを受けて、こちらも慌てて出しっぱなしだったフォルスの盾を消すと、説明しようと口を開く。

私が城に来た時はかなり話題になった様子だったし、ここで私が「メイ」だと名乗れば、私が何者かわかってもらえるかもしれない。


「へぇ…将軍はその娘のことをご存じ無かったということですかねぇ?」


階段の陰から、聞き慣れた声が響く。

声の方向へゆるゆると視線をずらすと、階下の踊り場に最高に厭味ったらしい顔をしたサレが立っていた。

「サレ…この娘を知っているのか?」

「将軍が知らなかったことのほうが驚きですねぇ。王の盾は下っ端までこの子の顔を知っているというのに、正規軍には何の達しも出ていなかったと?」

「…説明しろと言っている」

将軍と呼ばれた男の人が訝しげにサレに問いながら剣の刃を私の首元から逸らすと、サレはこれ以上無いような馬鹿にしきった声色で嗤う。

「メイ、と言えばわかりますかねぇ?最近森で見つかった貴重なフォルス能力者ですよ。記憶喪失で、フォルス制御能力でも話題になっているのをご存じありませんでしたか?」

よくわからないが、サレはこの人のことを良く思っていないらしいことが言動から伺える。

私のこともよく嘲笑い馬鹿にしてからかうが、その比ではない。

明らかに悪意の籠った言葉を、ひとつひとつ故意に選んで発している。

もったいぶって相手を苛つかせて、大げさに馬鹿にしてみせて、嗤っているかと思いきやそれすら不愉快であるかのように眉を寄せ、視線を反らした。

「…メイ?この娘が…?若いヒューマの娘…確かに…」

男の人はどうやら慣れているのか、そんなサレの様子を気にとめた様子も無い。

剣を鞘に収めながら、改めてこちらを見据える。


「私は、ミルハウスト・セルカーク。カレギア正規軍の将軍を務めている。」

そして、滑らかな動作で頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。

「疑って掛かったこと、話を遮って剣を向けたこと、謝罪しよう。申し訳無かった。最近、城内に侵入し情報を盗んで売買する輩もいるものでな…少し過敏になってしまった。許してくれ」

相手が正規軍の将軍であったこと、またその相手に頭を下げさせてしまったことに慌てて、こちらも頭を下げる。

「メイです。こちらこそ…疑われるようなところをうろうろしていたのが悪いんです」

「…そこで改めて聞くが、一体ここで何をしていたのだ?」

ミルハウスト将軍の質問に言葉を詰まらせ、しばし視線を彷徨わせながら唸り声を洩らす。

そしてその視線は、階段の下で怒りに顔を引き攣らせたサレへとおさまる。

…怒っている。


訓練から逃げて、探させて、手こずらせて、こんな形で見つかったことに。


サレの怒りの形相という直視し難い現実から目を背け、ミルハウスト将軍に向きなおる。

もう先程までのような敵意むき出しの冷たい目ではなくなっていることに安堵しつつ、説明のために口を開いた。

「…サレから逃げていたら迷ってしまったんです。ここの先に国王の部屋があることも知らなくて」

「そういうことです。ミルハウスト将軍」

サレは私の言葉を遮り、苛ついた様子で階段を昇ってきたかと思えば、私の手を掴んで捻り上げる。


顔が怖い。怖すぎる。


私の苦痛に歪む顔を、最高に楽しそうな顔で眺めている。

「いたたたた痛いごめんなさいごめんなさい本当に悪いと思っています」

「メイがサレから逃げる?どうして?」

「こっちにも事情がありましてね。正規軍には関係のないことです」

痛いと喚く私を無視して、サレはミルハウスト将軍の疑問を素っ気なく叩き落とすと、私の手を捻り上げたまま歩きだす。

やはり正規軍と王の盾は仲が悪いんだなぁ等と呑気なことを頭の片隅で考えながら、サレに乱暴に引き摺られる。腕が痛い。

「ミルハウスト将軍、またお会いした時にはよろしくお願いします…うぅっ!」

痛みに耐えながら、なるべく冷静な声色で将軍に声を掛けようとするも、サレが更に強く手首を掴むので、思わず苦痛の声が漏れる。

涙で滲む視界で必死にミルハウスト将軍を捉えると、彼はポカンとした様子で立ち尽くし、こちらを見ていた。

今度改めてご挨拶に伺わねば。


…無事、今の状況から生還できればだが。



「サレさん、今回のことは本当に私が悪かったので、もう私の右手を勘弁してあげてくださいませんか…っ!」


痛くてサレの手に縋るも、彼の手はびくともせずに私の手を捻り上げている。

「…ほんとに、馬鹿じゃないのかい君は。あんなところに居てどうするつもりだったんだか」

いつものように楽しそうな笑顔ではない。


もちろん、心配そうな声色でも、無事を確認して安堵する声色でもない。


先程ミルハウスト将軍に向けていた嘲笑とも違う。


怒りの滲み出た、真っ黒な笑顔。

むしろこれはもう笑顔ではない。

釣り上った口元から毒ガスが出てきそうだ。


「さすがに本当に悪かったと思ってますっ…っ!」

徐々に締められる手首がギシギシと音を立て、あまりの痛さに涙が滲む。

その場凌ぎに謝罪の言葉を叫んでいるようにも聞こえるが、本気で悪いと思っている。

訓練から逃げて探させたうえに助けてもらって、本当に迷惑を掛けてしまった。

怖い痛いと頭の中で泣きながらも、サレがここまで怒るのも無理はないかもしれないと胸がキリキリ痛む。


「悪いと思ってる…?へぇ、じゃあ今から僕に何をされても文句は言えないよね」

「え?うわっ…」


いつもより低いトーンでそう呟いたサレは、捻り上げていた私の手をそのまま乱暴に引く。


何をされるのかと驚いて顔を上げると、サレの整った顔が目の前にあった。

サレは、そのまま口角を上げて妖しく笑うと、そのまま顔を近づけてくる。



どうしてこうなった。

これはどうしてこんなことになっているのだ。


手を煩わせた私の顔なんか見たくもないだろうに、どうして顔を近づける。


あまりの急展開に頭がついていかず、思考が真っ白に塗りつぶされる。


いくら私が馬鹿で、記憶喪失でも、男女の顔がこれだけ近づくのはおかしなことだというくらいわかる。

そして、男女の唇が重なるということが何を意味しているのかも、当然知っている。


なんで、なんで…?


いつものようにからかってるの…?


あぁ、ほんとにこのままじゃサレとキ――






「…あら」



小さな声が廊下に響く。


瞬間、サレから飛び退いて距離を置いた後、声がした方へ視線をゆっくりと滑らせる。


あぁ、なんということだろう。



視線の先には、アガーテ様御一行が立っていた。



アガーテ様は、口元を両手で押さえ、驚いて石像のように動かない。

その周りを固める兵士達は、顔こそ兜で見えないものの、皆気まずそうに頭を反らしたり、不自然に咳払いをしたり、俯いてガチャガチャと意味も無く鎧を触ったりしている。

「あーあ、残念…続きはまた今度ね、メイ」

静寂を破って、サレがわざとらしく声を張り上げるので、私の身体が勝手にびくりと跳ねた。

「なんの続き!?いや、言わなくていいけど、えーと…」

のらりくらりと私をからかうサレと、慌てふためく私を見て、アガーテ様の驚きに見開かれた瞳が、だんだん無邪気に細められる。

覆われた口元から小さく笑い声が漏れた。

もう、一体何がおもしろいというのか、アガーテ様もわからない人だ。

アガーテ様の様子をしばし眺めた後、恨めしそうにサレを見上げると、サレは少しだけつまらなそうに目を細めていた。

その表情の意図がわからず、思わずサレを見上げたまま停止する。

サレの腕を掴んで、どうしてさっき顔を近づけたりしたのか聞こうと口を開く前に、サレは腕を振りほどいて立ち去ってしまった。

いつものように、口角を上げてこちらを嗤いながら。

しかし、その表情でさえ、取り繕ったものに見えて仕方がなかった。


違和感が拭い去れずサレの去った方向を未練がましく見つめていると、アガーテ様がこちらに近寄ってきた。

無駄な抵抗とわかっていながら、なんとか話題を逸らそうと口を開く前に、アガーテ様が私の耳元に顔を寄せ、

「メイ、次回のティータイムが楽しみですね」

と囁き、本当に無邪気に笑って見せた。


何を聞かれるのだろうかと想像し、今から言い訳を考えておかなければと口元を引き攣らせながらアガーテ様に笑い返すのが精一杯で、サレへ抱いた違和感はすっかり忘れ去っていた。

―――――――――――――――
ちょっと甘い描写をたまには入れてみようと頑張ったのに、あれ…?


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