好奇心
「うーん…なんだかおかしなところに迷いこんじゃったなぁ…」
もはや毎度のこととなった訓練からの逃走も、最近はそろそろ逃げ場もワンパターン化してきてしまい、サレから容易く連れ戻されてしまう。
外に逃げればすぐに人混みに紛れることができるが、人混みに紛れる前に連れ戻されては意味がない。
城の内部はまだ把握できておらず、迷えば厄介なので外にばかり逃げていたが、今日は思い切って城の中を探索しながら逃げていた。
しかし、早速迷ったらしく、見たこともないようなところに来てしまった。
「だから城内で逃げ回るのは嫌だったんだよー…」
最初から逃げなければ良いという話だが、どうも逃げるのが習慣化してしまい、大人しく訓練を受ける気にならない。
階段は何度か昇ったし、少ないながらついている小さい窓から見える風景から、かなり上階まで来たことが伺える。
自分の部屋の周りの廊下よりも静かで、敷いてある絨毯や壁に施されている装飾も違うようだ。
そして、廊下の奥に大きな扉がひとつ。ほんの少しだけ隙間があいている。
明らかに踏み入れてはならない場所に来てしまった気がする。
不安と罪悪感が身体の中をぐるぐると廻り、その奥底では好奇心がむずむずと湧いてくる。
「戻った方がいいかな…でも…ちょっとだけ…」
足音を忍ばせ、扉に忍び寄る。
獅子を連想させる壮大な彫刻が施された、高い天井まで届く大きな扉。
まさか…という思いが頭を過りつつ、扉の隙間に耳をあててみる。
ほんの微かだが、声が聞こえた。
「そうか…あの娘はもうそこまで…」
「えぇ。日々成長していますよ」
聞き覚えのないしわがれた声と、ユージーン隊長の声が聞こえた。
姿を確かめたくて、隙間から少し中を覗いてみる。
もうここに忍び込んだ時点で何をしても悪い事をした事実は変わらない。
そんな気持ちが、私を大胆にさせていた。
窓には分厚いカーテンが掛かっており、間接照明によるあかりが灯っているだけなので部屋の中は薄暗くよく見えなかったが、アガーテ様の部屋とは比べ物にならないくらい、広い。
それに、ベッドもとても大きい。アガーテ様の部屋のベッドと同じように、カーテンが掛かっていた。
そして、私の目に映ったのは、跪くユージーン隊長と、カーテンの隙間から見え隠れする、蓄えられた立派な髭と、皺だらけの顔。
本や肖像画で見たことのある顔。
――ラドラス・リンドブロム。
アガーテ様の父君にあたる、この国の国王だ。
驚きすぎて、思わず扉を思い切り閉めてしまいそうになったが、ぐっと堪えて唇を噛み締める。
私がこの城に来てからすぐに体調を崩し自室で療病しているらしく、一度もお目にかかったことはなかったが、間違い無い。
想像通り、というか…
それにしても、なんてところに迷い込んでしまったのかと、頭を抱えたくなる。
ユージーン隊長と国王の会話は、「娘」という単語が多く出た。
自分の体調が思わしくなければ、この国はアガーテ様が取り仕切ることになる。
アガーテ様のことが気にかかるのだろう。
お茶に呼ばれる度にアガーテ様御自身も、まだ王となるべく自覚は全く無い、どうしたら良いかわからないと瞳を曇らせていた。
ジルバに励まされても、いくら勉強しても、気持ちが着いて行かないのだと、顔を伏せて呟くアガーテ様は、儚げで、とてもか弱く見えた。
アガーテ様の様子を思いながら、しんみりと二人の会話を聞いていると、信じられないような話が出てきた。
「闘技場を壊したと聞いた時には驚いたが、わずかな訓練だけでそれだけの力を出し切れるとはたいしたものだと、私は安心したのだよ」
「最近はどうやら訓練から逃げ回ったりしているようですが、訓練自体には真面目に取り組む娘ですよ。」
どこかで聞いたような話だなぁと、私は一瞬現実から目を背けた。
背中から冷水を流し込まれたような
心臓を強く鷲掴みにされたような
衝撃が、全身を駆け巡って、脚元がふらつく。
王様ったらアガーテ様の話題ばっかり、やっぱり父親だなぁ…なんて思っていたら、「あの娘」とは、どうやら姫ではなく自分のことだったようだ。
アガーテ様のことも少なからず話題には上がっているが、ラドラス王は私の情報をユージーンから聞き出しては、頷いたり顔を綻ばせたり、目を閉じて考え込んだり…
どうして国王が自分のことを気に掛けてくださっているのかはわからないが、不可解すぎて、考えることすら放棄したい。
今ここで考えても、答えなど出ないのだから。
隙間から部屋を覗き込むのを止め、扉に背を預けて宙を見つめる。
城に来てからの、どこか特別な待遇に、うっすらと感じていた違和感が、はっきりと形を成す。
ヒューマの少女で、フォルス能力者だから
フォルス制御ができるから
記憶喪失だから
おかしなことではない。説明はつく。
四星直々の訓練
アガーテ様とのお茶会
そしてラドラス王の言葉
今までだって、おかしいと思ったことにはすべて説明がついた。
今まで感じてきた違和感や疑問と同じ。
この違和感にも、きっと説明はつくのだ。
…きっと、そうだ。
無理矢理自分を納得させて、その場を離れた。
物音を立てずに来れたか自信が無いが、あの分厚い絨毯なら、きっと足音を吸い取ってくれたはず。
そう信じて、ふらつく足元だけに最小限気を配りつつ階段を降りる。
霧の中を歩いているように、意識がぼんやりする。
それなのに、霧の向こうで頭の中はぐるぐると思考が巡り、整理できずに絡まっていく。
言い訳を重ねても、ラドラス王の声が頭から離れない。自分をごまかしきれない。
ヒューマの女の子だからだし、フォルス能力者だからだし、フォルス制御ができるからだし、私は記憶喪失だからだ。
…でも、それでも、そんなの
「…納得なんてできるわけないでしょーー!!」
「そこに居るのは誰だ!!」
階段を降りる足を止め、どうにもならない回り回る思考を止めようと叫ぶと、思いもよらぬ返答、というか怒鳴り声が階下から返ってきた。
霧の中を彷徨っていた思考が一気に現実へ戻ってくる。
ここの階段は国王の部屋にしか繋がっていない。
ここに居たら怪しまれてしまう。何をしていたのかと問われたら言い逃れできない。
当然上に逃げるのはまずい。
国王の部屋の前で騒ぎを起こすのは大問題だ。
しかし階下からは足音が迫ってくる。
上を見ても下を見ても逃げ場が見当たらず、思考が停止して頭が真っ白に塗りつぶされる。
もはや早鐘のように鳴り響く心臓を抑えながら、成す術も無くその場に立ち尽くすしか無かった。
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好奇心は猫をも殺す
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