不安
「そういえばメイ、闘技広場を壊したと聞きました…一体どうしたのですか?
」
アガーテ様が、紅茶をテーブルに置き、首を傾げて尋ねる。
私はクッキーに伸ばしていた手をピクリと止めて、苦笑いしながらアガーテ様を見上げた。
アガーテ様は、咎めるというよりは純粋に疑問に思っている様子で、大きな猫のような目でこちらを見つめ、私の返答を待っている。
訓練や勉強で慌ただしくはしているものの、週に一回程度の割合で、こうしてアガーテ様の部屋に招かれていた。
「いつものサレの訓練ですよ…フォルス制御を誤った私が悪いのですけれど」
改めてクッキーに手を伸ばし、溜息を吐きながら小声で説明する。
自分の失態をお姫様に報告するのは、恥ずかしく情けないことだった。
私の言葉に、アガーテ様は「まぁ」と小さく声を漏らすと、悲痛に眉を寄せる。
「広場は修理ができますが、貴方に傷痕でも残ったら大変です…くれぐれも無茶はしないで」
「アガーテ様は本当にお優しいですね…サレにその優しさを分けてあげたいくらいですよ」
生傷が絶えない私の身体を見ては、本気で心配してくださったり、訓練の話を聞きたがって目を輝かせたり、少々世間知らずでポヤンとしているところはあるけれど、優しくて可愛らしいお姫様。
「怪我はないようですが…闘技広場のこと、ユージーンがなんと言っていましたか?」
私の身体を労わりつつ、アガーテ様が再度質問を重ねる。
実はあのあと、サレが隊長に報告するまでもなく、すぐにご本人が駆け付けてきたのだった。
広場に飛び込んできた黒い影を見て、私はもうお終いだとばかりに少しよろけた。
無残に砕けた足もとの石畳が、ガラリと空しい音をたてる。
「今の音はなんだ!…これは…?」
ユージーン隊長は、広場の惨状を見まわし、言葉を失う。
その中心に立っている私とサレを見つけると、こちらへ駆け寄ってくる。
「どうした!怪我はないか!」
この惨状を見ても、まずこちらを心配し労わってくれる隊長に、胸がジーンと熱くなる。
普段は目の前の紫男から酷い扱いを受けているから尚更だ。
「怪我人はいませんよ。メイのフォルス訓練に広場を使っていたら、フォルスの制御を誤り、広場の一部を破損してしまったんです」
サレは、申し訳なさそうな声色というよりはむしろ楽しそうな様子で、簡単に事のあらましを説明する。
サレの言葉に、ユージーン隊長は改めて周囲を見渡し、サレに視線を戻した。
「メイのフォルスに攻撃力は無いものと思ったが?まさかお前のフォルスではあるまい」
「まさか。僕がこんな素人相手にフォルス制御を誤るとでも?」
ユージーン隊長の問いに、サレは鼻で笑いながら私をチラリと見て答える。
「…やはりそれは無いだろうな。だとするとメイのフォルスなのか?」
ユージーンが、解せぬといった表情でこちらを見るので、思わず畏まって背筋を伸ばす。
「私のフォルスは盾ですが…攻撃にも使えないかと思って実践した結果、広場をを壊してしまい…申し訳ありません」
ここで長々と経緯を説明すれば、きっと言い訳がましくなってしまう。
ユージーン隊長が今求めているのは現状把握のための情報。まずは簡単に言葉を添えて謝罪し、頭を下げる。
「いや、修理はそう難しいことではない。気にするな。しかし、盾を攻撃に使うとは…?」
「攻撃を防ぐためにフォルスで盾を作れば、こちらに向かってきた相手を弾き『防御』することができますよね。逆に、盾を自分から外に向かって瞬間的に広げれば、敵を弾き飛ばす『攻撃』になるのではないかと思ったんです。」
うまく説明できているかわからないが、拙い言葉で懸命に説明する。
とりあえず隊長は納得してくれたようだったが、少し唸り声を上げながら思考を巡らせた後、サレに向き直った。
「…サレ、メイにはフォルス制御についてどの程度指導してあるのか、後程報告してくれ」
「僕は指導なんてしてませんよ。メイが勝手に使えるようになっただけです。メイのフォルス制御能力が高いのは僕の成果では無いと同時に、今回のこの惨事も僕の知ったことではないです」
サレのあまりにもそっけない言葉に、私は目も鼻の穴も口も全開にして、呆けてサレを見つめる。
私の間抜け面を見てサレは馬鹿にしたように笑い声を洩らしたあと、「そういうことなので」とヒラヒラ手を振ってさっさと広場から出て行ってしまった。
さっきのサレの態度はさすがに無礼過ぎたのではないかと慌てて隊長の顔色を伺うが、隊長はただ苦笑して「まぁサレらしいと言えばらしいな」と呟いていた。
「隊長は寛大ですね…部下にあそこまで無礼な態度を取られて、お気を悪くされないのですか?」
「いや、あいつの性格上、丁寧に手取り足取り教える筈が無いと思うが、本当に意味の無いことはしない。本当に指導するつもりが無いのなら、最初からお前が城を抜け出す度わざわざ連れ戻したり、闘技広場を使用してお前と戦闘したりはしないだろう。」
城から逃げ出していたことまで隊長にバレていたことに冷汗を流しながらも、隊長の言葉に首を傾げる。
「…それは私を痛めつけるのが楽しいからでは?」
私が恨めしそうな目つきで呟くのを見て、隊長は再び苦笑したあと、咳払いをしてこちらを見下ろす。
「確かにそれも無いとは言い切れんが…少なくともそれだけでは無いと俺は思っている」
「じゃあどうして…」
腑に落ちない顔で隊長を見上げると、隊長は私の言葉を遮るように、私の頭をポンポンと撫で、小さな声でこう呟いた。
「どうしてかは本人にしかわからないが…気に入られているんだろうな」
「…とユージーン隊長に言われたのですよ」
アガーテ様はところどころに相槌を打ちながら、話の続きをせがむように両手を合わせてこちらをみつめるので、余計なことまで話してしまったような気もする。
「確かにサレは気難しい性格ですから、こうしてメイを気に掛けるというのは、珍しいことですね」
アガーテ様までそんなことを言うので、私はますます訳がわからなくなって首を捻る。
気に入っているというにはそっけないし、冷たいし、怖いような気がするのだが…
「それでは、広場については咎められなかったのですね」
アガーテ様は相変わらずぽわんとした表情を浮かべ、安心したように笑みを浮かべる。
そして、アガーテ様の言葉で、ふと我に返った。
ただ闘技場と隊長について聞かれただけなのに、どうしてサレの話になってしまったのか。
アガーテ様の美しい笑みを眺めながら、私はそこでサレの事を考えるのを辞めた。
こんなに楽しい時間にあんな訳のわからない人の事を考えるのは止そう。
今はアガーテ様とおいしいお茶とお菓子をいただきながらおしゃべりする時間なのだから。
アガーテ様に笑みを返し一息ついて思考を整理してから、少し温くなってしまった紅茶を飲む。
「広場については、そうなんですけど…保留にしたい件もあるとか、いろいろよくわからないことも言われたんですよ?」
「保留にしたい…?」
アガーテ様が怪訝な表情を浮かべて聞き返すので、私もまた眉を寄せて肩を竦めて見せる。
「よくわからないんですけど…というか正直、森で拾われた時からわからないことだらけなんですけどね」
溜息を吐きながらクッキーに手を伸ばすと、アガーテ様もカップケーキを上品な仕草で口に運びながら首を傾げる。
「私もユージーンの考えはわかりませんが…」
「そろそろ、王の盾に貢献しろという意味かと思いますよ」
言葉尻を弱めるアガーテ様に続けるように、凛凛しい声が部屋に響く。
顔をあげると、いつのまに部屋に入ってきたのか、アガーテ様の肩にケープを掛けつつこちらを睨むジルバの姿があった。
ジルバは、突然会話に割り込んだことを小さな声で詫びながら、紅茶を手際よく淹れ直す。
側近であるジルバの部屋とアガーテ様の部屋は扉一枚で繋がっており、緊急事態にも駆けつけられるようになっているのだが、私とアガーテ様のティータイムにもこうしてちょくちょく現れる。
一緒にお茶を飲みたいのか、私とアガーテ様のティータイムが緊急事態と認識されているのか。
…おそらくどちらでも無いだろう。
「ジルバ、貢献とはどういう意味です?」
アガーテ様が無邪気にジルバに尋ねると、ジルバはアガーテ様を幼子を愛おしむように肩に手を掛ける。
「メイはこの城に来て、もうじきひと月になります。そろそろ王の盾として働いても良い頃かと、ユージーンも判断したのではないかと」
「そんな、メイは最初立つことすら儘ならなかったというのに…もう任務をこなすなんて早すぎるのではないかしら…!」
ジルバの言葉に、アガーテ様はこちらをチラリと見ながら驚いて椅子から立ち上がる。
その拍子に肩から滑り落ちたケープを床に着く前に素早くジルバが拾い上げ、丁寧に畳み直してアガーテ様を椅子へ座らせる。
一つ一つの仕草に無駄がなく、抜け目無い人だと、感心すると同時に少し恐怖を覚える。
ジルバは、アガーテ様の肩に再びケープを掛け、宥めるようにその華奢な肩を撫でると、穏やかな口調で説明し始める。私の方を鋭く見据えながら。
「このひと月でメイは随分成長したと皆喜んでおりました。それ故の決断と考えればおかしなことでは無いかと思いますよ」
内容こそ褒めてくれてはいるが、その表情には「さっさと役に立て」という蔑みがアリアリと浮かび、思わず視線を逸らす。
「まだユージーンがそう言うと決まったわけではありません。メイ、そんなに気を張る必要は無いのですよ」
ジルバの顔色を伺いながらも、アガーテ様は私に優しい言葉を掛けてくれる。
ジルバは、きっと、いや確実に、私のことを良くは思っていない。
私のような素性の知れぬ娘と姫を二人きりにすることを快く思っていないのか
庶民と姫が慣れ合うと姫に悪影響があると考えているのか
私の何が気に食わず邪魔だと言うのか理由ははっきりしないが、それがはっきりと彼女の顔や態度に出ているのだ。
さすがにアガーテ様も気付いているらしく、部屋の空気を悪化させぬようにいつも気を遣う。
申し訳ないと思いながら、自分はアガーテ様の言葉に返事をするくらいしかできない。
なるべく皆と仲良くしたいと思っている自分としては、ジルバの態度が辛かった。
彼女がアガーテ様を思っているからこその態度であるのだろうと予測すれば、尚更。
穏やかに曲線を描き、あくまでも笑っている形を作っている目が、その奥で鈍く光る眼光が怖くて、うまく顔を上げることができない。
「何かあればまた会議が開かれるでしょう。今のように周りに尽くしてもらえる生活が続くと思わぬことです」
素直に返事をして頭を深く下げたまま、胸を貫くその言葉に潜む冷たさに、私は思わず顔を歪める。
丁寧な口調なのに、ジルバのその視線と雰囲気のせいかその言葉はずっしりと重く、私を不安にさせたのだった。
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ジルバはヒロインが嫌い…?
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