王女様

サレとトーマと、明日からの予定について話し合っている途中、ドアがノックされた。

どうぞ、と声を掛けると、ドアが開き、兵士が2人入ってくる。

「アガーテ様がお呼びです。手をお貸ししますので、アガーテ様のお部屋まで…」

「ほら、お迎えがきたよ」

兵士の言葉を遮り、サレがクスクスと笑う。


「…とにかく、その本全部を今日中に読むのはほぼ不可能だと思うんだけど」

「無理に読めとは言わないよ。ただ、読めなかったらお仕置きが待ってるってことは忘れないでいてくれれば」

サレを睨みつけながらテーブルの上に高々と積み上げられた本の山を指差すと、サレは涼しい顔で本を一冊手に取り、パラパラ捲りながら言う。

「それは無理に読ませるって言うんです!」

ムキになって言い返すと、サレはソファに優雅に腰掛けながら楽しそうに笑い声をあげる。
その隣で、トーマが本の山をまるで汚物を見るかのような目で見ている様子からも、その本の量が異常だとわかる。

「それより早く行かなくていいの?王女様を待たせるなんてどういうつもり?」

サレはどうやら全く私の言い分に耳を貸すつもりはないらしい。
今はサレに抵抗することより、アガーテ様の部屋へ行くことを優先したほうが良いと悟り、兵士の手を借り立ち上がる。

「…これは、私に早く知識を付けさせてあげたいというサレの愛だと思って甘んじて受け入れることにします」

「そんなつもりは毛頭なかったんだけど、それで君の気が済むならそれでいいんじゃない?」

本の山を見つめ、自分自身を励ますかのようにわざと穏やかな口調で呟くが、取りつく島もなく即座にサレに否定された。



言い返そうと口を開くが、兵士がせかすようにこちらを見ているので、慌てて口を閉じた。
城に受け入れてもらえるだけでありがたいのに、こんなところで周りに迷惑をかけるわけにはいかない。

「お待たせしてすみません。行きましょうか」

迎えに来てくれた兵士達に微笑みかけると、支えてもらいながら歩みを進める。


「おや?もう抵抗は終わりかい?もっと楽しめると思ったんだけどねぇ」

その後ろでサレは綺麗に脚を組み、頬杖をつきながらわざと挑発するような口調で笑う。

「はやく行けって言ったのはサレだし、皆さんにご迷惑を掛けるわけにはいかないでしょ。それにね、その本明日までに全部読んでやるわよ!」

本の山をびしっと指さしながら高らかに宣言するのを、サレは少し驚いたように目を見開いたあと、クスクスと笑い声をたてた。
その隣で、トーマが私と本の山を交互に見つめてうろたえている。

「本当に君はおもしろいね。良い拾いものをしたよ。」

「その件に関してはありがとうございました!明日もよろしくお願いします!以上!失礼します!」

馬鹿にしたように笑うサレに、今度は反発せずに勢いよく頭を下げると、さっさと部屋を出る。

挑発に乗るような形になってしまったけれど、これは本当に知識を得るチャンス。
目を通すだけでもしておきたい…

今はまだ日没前だ。徹夜すればきっと大丈夫のはず…

等と考えているうちに、これから誰とお会いするのか、また忘れかけていた。




煌びやか且つ繊細な彫刻が為された、厳かな扉の前に立てば、嫌でもこれから誰にお会いするのか思い出す。

また一気に緊張が体を駆け巡り、手足がサーッと冷えて行く。

「どうぞ。中で王女様がお待ちです。」

一人の兵士は私を支えたまま、もう一人の兵士が扉を開けてくれる。

「すみません。ありがとうございます」

サレと口論している間待たせた挙句、ここへ来る途中も何度もよろめき膝をついて迷惑をかけてしまったため、なるべく丁寧にお礼を述べる。

兵士はぶっきらぼうに頷くと、私を部屋の中へと促した。


薔薇の上品な香りが、室内に漂う。

自分に与えられた部屋も十分素晴らしい部屋だと思っていたのに、王女様の部屋となるとやはり想像を超える美しさであった。

扉と同じように彫刻された柱といい、壁や天井に貼られた美しい壁紙といい、豪奢なつくりの部屋である。天蓋のついたベッドには薄く滑らかなカーテンが掛かっていて、天井から下がるシャンデリアはそれらをキラキラと照らしていた。


そんな部屋の中央に、一輪の花が咲いている。

否、純白のドレスの裾を広げて、アガーテ様が座っていた。


アガーテ様の向かいには椅子がもう一脚置いてあり、テーブルの上には上品なティーセットと茶菓子が乗っている。

それらが自分のために用意されたことは明白で、恐れ多さに頭がクラクラした。

先程までは転んで泥を食ったり、サレにいじめられたり、トーマに罵倒されたりしていたはずなのに、今自分の目の前には一国の王女様が、自分と話したいがために時間を割き、部屋に招かれたという現実がある。



緊張に身体を固める暇もなく、支えてもらっている兵士によって否応無くアガーテ様の向かいの席まで連れて行かれる。

「うまく歩けないのでしたね。遠慮せず掛けて頂戴」

アガーテ様が、あくまで上品な仕草で向かいの椅子を示した。


「すみません。失礼します…」

なんと言ったら良いのかわからず、とにかく失礼のないように頭を下げた後、兵士に支えられながらゆっくりと椅子に腰掛ける。

兵士は、私をここまで連れてくるという役目をようやく終えると、恭しく頭を下げて部屋から出て行った。



…この国の王女様と、二人っきり。



茶菓子を勧められても、香りの良いハーブティーを口に含んでも、緊張で味がわからない。


汗ばんだ手でワンピースの裾をクシャクシャになるのも構わず握りしめ、挙動不審に部屋中を見回してみたり、王女様の顔を見上げてみてはまた俯いたりを繰り返す。


「今日の早朝にサレとトーマに発見されて城に来たばかりだというのに、部屋に招いたりしてごめんなさい。どうしても貴女とお話がしてみたかったのです」

「いえ!むしろ私のようなどこの馬の骨とも知れぬ者と話がしたいなんて思っていただけるだけで!」


アガーテ様の私を気遣う優しい言葉に、弾かれたように顔を上げて否定する。
緊張しすぎて敬語の使い方を間違っていないか気にする余裕がない。
そういえばさっきサレに敬語がおかしいと指摘されていた気がする。

そんな私の様子を見て、アガーテ様は柔らかく微笑みながら、もっとくつろぐように促す。


「悪いようにはしません。どうかそんなに畏まらないで。ただ、年齢の近いヒューマの女の子とはあまり会ったことがないものですから、興味があっただけなのです。」

アガーテ様は表情を緩めた後、ハーブティーを少し飲んだ。

「記憶が無いので私自身のことはお話できませんし…面白いお話はできないと思いますが…」

「わたくしを楽しませようとしてくださらなくても良いのです。」

アガーテ様はハーブティーをテーブルの上に置くと、しばし視線を彷徨わせた後、私を見つめた。


「…私の容姿について、どう思いますか?」


突然投げかけられた質問の意図がわからず、アガーテ様を見上げると、
浅縹色の流れるような艶やかな髪をさらりと靡かせてこちらへ身を乗り出していた。
キラキラと輝く花浅葱色の猫のような目には不安がよぎり、潤んで揺れている。


「…美しい方だと、思いました。」


無難な答えだ、と自分でも思う。しかし、お世辞でもなんでもない。
本当に、美しいと思ったのだ。

だがやはりアガーテ様は私の答えでは満足しなかったらしい。
瞳を曇らせてうつむいてしまう。

「…本当のことを言って。」

「本当ですよ。私…」

「嘘。私に気を遣っているのでしょう。」

アガーテ様が下唇を噛み締め、震える声で言い放つ。
大きな瞳を潤ませて、俯いたまま。


「そんなことありません!」

気がつくと、声を荒げて叫んでいた。
もし私の脚に力が入ったなら、思わず立ち上がって椅子を倒していたと思う。

私の声に、アガーテ様は驚いて顔を上げる。

「私、本当に一目見たときから、アガーテ様のこと綺麗な人だって思っていました。
 その白くてしっとりとした肌も、大きくてキラキラした目も、サラサラな髪の毛も、上品な身のこなしも、素敵だと思ったんです。美しいだなんて、適当な答えに聞こえるかもしれませんが、決して嘘ではありません!」


初めてアガーテ様を見たときに感じた素直な感想を力説したあとに、はっと気づいた。

アガーテ様が頬を赤く染めている。

怒ってしまわれたのだろうかと、アガーテ様とは対照的に血の気が引いて顔が青くなる。


「すみません…あの…」

「…そんなことを言われたのは初めてだわ。なんだか、情熱的な愛の告白のようでした」

とんでもないことをしてしまった、としどろもどろになりながら謝罪すると、アガーテ様は熱に浮かされたようにうっとりと呟く。


「…アガーテ様は、ご自身のことを美しくないと思っていらっしゃるのですか?」


この質問は失礼にあたらないだろうか、と気にしながら小さな声で尋ねると、アガーテ様は目を閉じ、ゆっくりと首を振る。
その仕草すら、美しいと感じた。

「…違うのです。わたくしも、お母様のことは美しいと思いますし、わたくしを美しいと讃えてくれている側近の者達が嘘を言っているとは思っていません。…しかし、その美しさはガジュマからの視点。ヒューマの方から見た私は、どう映っているのか…種族の間での美しさに関する感覚は、多少相違があります。わたくしはその種族の違いが怖い…」

「それは、種族の間の違いなのでしょうか…」

「え?」

アガーテ様は大きな目を更に大きく見開き、首を傾げる。
王女様のお話を遮るような形になってしまったため、一度は慎んで口を閉じた。
しかし、アガーテ様は黙って私をじっと見つめたまま、私の言葉の続きを待っている様子で、私は勇気を出して言葉を続ける。

「同じガジュマでも、アガーテ様とトーマでは違いますよね。同じヒューマでも、私とサレとでは違いがあります。もちろん性別も違いますし、性格も、好きな物も、嫌いなものも違います。『美しさに関する感覚の多少の相違』というのは、種族関係なく存在するものなのではないかな…と思ったんです。」


「貴女…記憶がないのでしたね。」

「…は、はい。記憶も教養もないので、間違っていたらすみません。」

「記憶がないからこそ、そのような視点で物事を捉えることができるのでしょうね…」


生意気な口をきいてしまったか、と一瞬不安になるが、アガーテ様は柔らかく微笑み、小さく頷いた。


「貴女の意見、とてもおもしろかったわ。今後もこんなふうに、たまに招かれてわたくしの話し相手になってくださいますか?」


王女様の口から出た予想外の言葉。
おもしろかったと言っていただいた喜び、安心。
そして、今後も招かれるという驚き、不安。


あぁ…!なんだかとんでもないことになった!


「はい!喜んで!」と返事をしながら、私は内心冷や汗を流した。


王女様にまた招いていただけるのは嬉しいことだし、光栄であることには違いないが、不安のほうが大きすぎる。

教養も常識も記憶も無い自分がしばしば王女様の私室に招かれてしまうなんて、本当に恐れ多いことだ。

明日からたくさん勉強しなければ、と小さく拳を握り、ひとりで勝手に誓う。


「貴女、と呼ぶのもおかしいかもしれませんね。なんと呼んだら良いかしら」

アガーテ様の問いかけに、一瞬で我に帰った。

そういえば、サレにも「君」と呼ばれ、トーマにも「お前」や「貴様」「ヒューマの娘」等と呼ばれていたので、呼ばれ方で困ったことはなかったのだ。

「…お恥ずかしながら全く考えてませんでした。」

うへへ、と照れ笑いしながらアガーテ様を見上げると、アガーテ様は私とは対照的に上品にクスクスと笑う。

「では、貴女をこれからどう呼ぶか――貴女の名前を、わたくしに決めさせてくれないかしら?」


控え目な口調で、アガーテ様は私に思わぬ提案をした。
確かに名前があった方がこれからの生活には便利だろう。

それを王女からもらえる。これからの、わたしの名前を。


「はい!素敵な名前を、付けてくださいね。」


悪戯っぽく微笑んで承諾を示すと、アガーテ様はとても綺麗に微笑んだ。

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