エレベーターに乗り込んでアトリウムに着くまでの時間がとても長く感じた。皆の無事が分かっているのにどうしてか不安を拭えない。

エレベーターから降りると、アトリウムに人だかりができているのが見えた。さっと視線を走らせる。片隅にいるダンブルドアと黄緑色の帽子をかぶったファッジの姿を見つけた。周りと少し距離を置いて話し込んでいる。私は極力目立たぬようにダンブルドアに駆け寄った。狼狽しているファッジを無視し、ダンブルドアにハリーの無事とモニカの居場所を聞いた。ダンブルドアは端的に話し視線を投げた。その先を見れば、噴水の淵に寄りかかるようにして目を閉じている彼女がいた。周りを数人の魔法使いと魔女が囲んでいる。私は彼女の元へ走った。

「君は―――?」魔法使いの一人が、突然現れた私を見て聞いた。
「私は、彼女の友人だ」

彼女を囲む人々を押しのけて彼女の傍に膝をつく。頬に涙の痕があった。視線を下せば床に伸びた腕に行き着く。無造作に捲り上げられた袖から伸びる前腕が所々赤く爛れていた。私は彼女の腕を取ると、そっと袖を下した。

下ろし終えても私は彼女の手を放すことができないでいた。私は彼女の左手を握った。あの日も、私はティーカップの横にあった彼女の手を包んだ。私がそうしたかったという理由で。そして今夜、あの日と同じように私は彼女と手を重ねた。

「彼女は大丈夫なのか?」自分ではしっかりと喉に力を入れたはずなのに、情けない声が出た。
「ええ。もう目覚めてもいい頃だと思うんだけど」別の魔女が答えた。

その会話を交わしたきり、彼女の周りにいる私達は沈黙した。私はモニカの横顔を見つめ続け、他の魔法使い達は離れた所にいるダンブルドアとファッジに、落ち着かない様子で時折視線を投げていた。私が彼等に向き合って「ここは、私が」と言えば、彼等は安堵した表情をして、ファッジの元へと戻って行った。彼等の後ろ姿を眺めていると、私の手の下で動きがあった。彼女の方に向き直ると、彼女が身じろぎして眉を顰めていた。

「…モニカ?」私は彼女の手を握る力を僅かに強くして問いかけた。
「ああ、リーマス…、あなたね」

瞼を重そうに開けた彼女はぼんやりと辺りを見て私を認めた。言葉には落胆が滲んでいた。

「ハリーは無事なの?レストレンジは?」
「ハリーは無事だ。ダンブルドアがホグワーツに帰したよ。レストレンジは、―――逃げた」
「そう…」

彼女は僕から視線を逸らし、思い出したように自分の左腕を撫でた。私がその動作を見ていた事に気付いた彼女は、何も言わずに肩を竦め、そして私の手の中から左手を引き抜いた。それからそっと守るように腹の上で腕を組んだ。

彼女の左腕に何があるか、私は初めて知った。彼女が卒業後から死喰人に執拗に狙われ続けた理由は、その腕に刻まれた言葉が表していた。傷を見て、全てが私の中で説明づけられた。けれどきっと彼女はこの話をしたがらないだろう。

私は何も聞かなかった。彼女は、重たげに頭を回しそこで初めてアトリウムの人の多さに気が付いたようだった。ダンブルドアの姿をちらりと見た後、彼女は腰を上げた。途中でよろめき、私は咄嗟に彼女の手を掴み支えた。彼女は、ありがとうと言って微笑んだ。もう一度足に力を入れると、今度はきちんと彼女自身の足で立ち上がった。

「そんなしっかり掴んでくれなくても。もう一人で立っていられるから大丈夫よ」

彼女は未だに私に繋がれたままの手を見て言った。私は彼女の手を強く握っていた。離してはいけないような気がしていた。しかし、彼女は私の目を真っ直ぐと覗き込んでくるので、いつまでも握っている訳にもいかず、結局彼女が倒れてはしないか恐る恐ると手を離した。自分の脚で立つ彼女は、床に落ちていた杖を拾うとマントのポケットにしまった。

「やっぱり、魔法使いのいる場所は賑やかね」彼女はアトリウムに次第に増えていく人々を見て呟いた。
「…モニカ」
「リーマス、そんな顔しないで」きっと私は情けない表情をしているのだろう。彼女はそっと私の頬に手を添えて続けた。「あなたも分かっているはずよ」
「考え直す気はないのかい?」
「ないわ」
「でも、まだ何も終わっていない」私は訴えた。「私達には君が必要だし、ハリーだって君達の事を知りたいと思っているはずだよ。ダンブルドアだって―――」
「リーマス」彼女は私の言葉を待たずに言った。「私はね、彼がいたからこの世界を選んだの。こんな危険な世界、彼がいないのなら何の価値もないわ」

彼女の手が私の頬から落ちた。私を見る彼女の瞳は決然としていて、口元には笑みが浮かんでいる。私もつられて、口角が上がる。何となく、こうなる事は分かっていた。拘束された死喰人と一人残された『神秘部』で感じた緊張も彼女が生きていると分かった後も消えなかった不安も、こうなる事を心のどこかで気付いていたからだ。

「君は昔から変わらない」
「ええ」
「…どうしても、行くんだね」
「そうよ」
「どこに?」
「あなた達がいない場所よ」
「きっと私達は君を探すよ」
「今度は絶対見つけられないわ。だから、私を探そうとしないで。あなた達はあなた達のすべき事をしてね」
「…モニカ」
「これでさようならよ、リーマス」そう言って、彼女は壁に備え付けられた金張りの暖炉に向かって行った。

止めるのは無駄だと分かっていた。私が手を掴む度するりと引き抜くように、彼女は私が静止しても行ってしまうだろう。ダンブルドアはまだファッジと話をしていた。視線を彼女の背中に向け直した時、彼女は暖炉の前に辿り着いていた。勢い良くエメラルド色の炎が上がると、彼女はこちらを振り返る事なく炎の中へ消えた。私は知らぬ間に、空の手の平を握りしめていた。


まだ笑っていられる


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