ベラトリックスの杖先は真っ直ぐモニカの胸に向いていた。モニカはちょうど僕のそばを通ろうとした時だった。ほんの一瞬意識が僕に傾いたせいで彼女は応戦に遅れた。彼女は僕の隠れている一メートル先でがっくりと膝をつくとそのまま床に倒れた。声を出すのを堪えているように唇を噛んでいた。苦痛に涙を浮かべていた。僕は立ち上がってベラトリックスを攻撃しようとしたけれど、彼女が潤んだ目を僕に向け、切れ切れに言った。

「ハリー…、だめよ」
「おやおや、ポートマンちゃんはお喋りする余裕があるのかい?クルーシオ!」

ベラトリックスが再び呪いを唱えると、モニカはきつく結んだ唇の間から呻き声が漏れた。いつもの彼女から想像できないくらい苦しみに満ちた声だった。ベラトリックスは何度も繰り返し呪文を唱えた。彼女の悲鳴が大きくなるほどにベラトリックスの笑い声は大きくなった。僕はベラトリックスを止めたかった。けれど、彼女は床に倒れ苦しみで叫びながらも潤んだ目で強く僕を見ていた。その視線はどんな言葉よりもどんな魔法よりも強く僕をその場に留めさせた。

「ほらほら、ポッター坊や。『許されざる呪文』はこうやって使うんだ。本気でやらなきゃいけないんだ」

モニカの叫び声は、一年前の出来事を思い出させた。三大魔法学校対抗試合の第三の課題の後、復活したヴォルデモートに掛けられた『磔の呪文』の苦痛だ。あの苦しみは、人生の中で一番の苦しみだった。ただの苦しみなんかじゃない。いっその事死んでしまった方がいいと思うほどの痛みだ。

モニカは苦しんでいた。助けたかった。それでも、彼女は瞳で僕を見つめ続けている。喉が張り裂けるんじゃないかと思うほどの悲鳴を上げているのにも関わらず、彼女は涙を流す事はなかった。潤んだ瞳が頬を濡らす事を彼女は絶対に許さないようだった。それがあまりにも、真っ直ぐで強くて同時にどうしようもなく脆く弱々し気に見えた。

「まさか、お前の方から私の前に現れるとはね」ベラトリックスは苦痛に悶え叫び続けるモニカに問いかけた。「我々は厳しくお前に教えたはず―――」

ベラトリックスが言葉を切った。呪文の効き目が薄れたのか、モニカはだんだんと叫び声が小さくなって、不規則な呼吸音に変わった。彼女は杖を握る気力も立つ気力もないように見えた。彼女はぐったりと床に横たわっていた。噴水の陰からははっきりとは分からないけれど、ベラトリックスが靴の踵で音を立てながらゆっくりアトリウムの床を歩いて回っているようだ。カツン、カツン、カツンと硬い音が、彼女の呼吸の音を掻き消すように響いた。

「―――穢れた血の分際で調子に乗ると高いつけを払う事になると。それなのに、どうしてポートマン嬢は今だにこうして生きているんだ?―――そうだろう、運が良かっただけだ。ポッターちゃんと同じように」

ベラトリックスの足音が近づいてきた。僕はいつでも攻撃ができるように杖を構え直し、陰から様子を伺おうとした。だけど、モニカは青白くなった顔をベラトリックスには分からない様にほんの少しだけ左右に振った。僕は杖を構えたまま、足音を立てないように噴水の淵に沿って後退した。モニカの姿が見える別の立像の陰に隠れた。

ベラトリックスは、モニカの脇まで来ると彼女の手元から離れ床に転がっていた杖を足で転がした。彼女は完全に無防備な状態になってしまった。ベラトリックスがモニカの脇を蹴り、仰向けにした。ベラトリックスは彼女のそばに屈むと、彼女の左腕を掴んだ。

「お前の腕に刻んだ言葉を言ってみな」ベラトリックスの言葉にモニカは何も返さなかった。「忘れたのかい?書いてあるのを読めばいいんだ。―――言いな」ベラトリックスはモニカの洋服の袖をたくし上げた。
「…言わ、ないわ」モニカはか細い声で答えた。
「言え!」ベラトリックスが大声を上げた。「簡単だろう?昔と同じだ」
「いやよ」
「だったら、こっちにも考えがある!インぺリオ!」

しかし、モニカは口元から僅かに音を漏らした以外、言葉らしい言葉は言わなかった。ベラトリックスは今や腫れぼったい瞼を大きく見開いて、モニカを見下ろしていた。

「レストレンジ―――。私は言わないわ。それに言った所で、もう遅すぎるもの」

モニカは弱々しいが落ち着いた声色で言った。彼女の言葉は大きな意味があるようで、レストレンジはモニカの喉に強く杖を突きつけて言った。

「どこだ!言え!どこなんだ、え―――?クルーシオ!」

レストレンジの激情は全て呪文に込められたようだった。モニカは今までの悲鳴がほんの囁きだったかに思えるくらい大きな悲鳴を上げた。彼女はもはや瞳から溢れる涙を止める事ができないようだった。叫び涙を流し、そして気を失った。それが合図となり、僕は動いた。

「ステューピファイ!」

ベラトリックスの背中に杖を向けて呪文を唱えた。しかしベラトリックスは素早く応戦した。ベラトリックスは今度は僕に的を定めていた。ベラトリックスはもう手に入らなくなってしまった予言を要求した。予言は壊れている。僕は傷痕が痛むのを感じながら、予言がもうなくなったと叫んだ。ベラトリックスはここにいないヴォルデモートに向かって許しを乞うた。

ヴォルデモートが現れた。ベラトリックスの懺悔を無視すると、杖を僕に向けた。しかしそれもダンブルドアの登場で、またもヴォルデモートは僕を殺す事に失敗した。アトリウムの人の気配が増えた。コーネリウス・ファッジはついにヴォルデモートの復活を認めざるを終えなくなっていた。

見えるものも聞こえることも僕の頭の中では何の意味も持っていなかった。ただ目の前で繰り広げられる光景を見て、会話を聞いているだけだった。僕はダンブルドアが移動キーに変えた金の魔法使いの頭部に触れた。ぐっと引っ張られる感覚を覚えた。移動先に行く最後の瞬間に、床に倒れるモニカの姿が見えた。渦のような視界の中で、彼女のむき出しになった左腕が見えた。赤く爛れ腫れているようだったが、横に伸びてゆく色彩の中でははっきりとは分からなかった。


体中の傷は幸せのかたちをしてる


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