彼女はこちらに背を向けて座っていた。肩に手を置いて呼びかける。彼女はゆったりとした動きで首を回し僕を見た。

「…リーマス」

彼女の声は落ち着いていた。それが彼女という人間だった。いつも悠然としている。静けさの中に感情を抱えるのが彼女の特技だった。しかしそんな彼女の目元にも隈ができていた。何日も寝ていないようで、表情には疲労が滲んでいた。もちろん、疲労だけが彼女の曇った表情の原因ではないことくらいは分かっている。テーブルには並々と注がれた紅茶があり、その横にぽつんと彼女の手が置いてあった。向かいの席に座ってその手を上から包む。彼女は、ありがとうと言って微笑んだが、本当は僕がそうすることを必要としていた。

「素敵な場所だ」

店は華やかな装飾が施され、洗練された客たちばかりがいた。彼女はこの場に相応しい恰好と佇まいを身に着けていた。いかにも上品なマグルが集う場所で、僕や他の騎士団のメンバーや魔法使いや魔女たちには似合わない場所だった。

「どうしてこんな所にいるんだい?」
「マグルだけの場所の方が静かだもの」
「こういう所にいられると、騎士団のメンバーは君を見つけられないよ」
「でもあなたは見つけたわ」
「…あいつがここの事を話してたのを思い出したから。それまで、ずいぶん色々な所を探したよ」
「あいつ?」
「シリウス・ブラック」

一度は無二の親友だと思っていた男をフルネームで呼んだ。彼が『例のあの人』を手引きしジェームズとリリーが死に、ピーターを殺したことが分かった今、僕はもう依然と同じように彼の名前を呼ぶ事はできなくなっていた。

「そんな呼び方よして」
「なんて呼べと?」
「今まで通りでいいじゃない」
「それはもう無理だよ」
「どうして?」
「君もそれは分かっているだろう」

彼女の手に力が入った。僕の手から引っ込めると、彼女は真っ直ぐ僕を見据えた。口元だけは変わらず緩やかに弧を描いていたけれど、その瞳には笑みとは違う何か別の感情が浮かんでいた。しかし僕には分からない。

「あいつはアズカバンに収監された」
「アズカバンに?裁判だってまだじゃない」
「クラウチは今回の事に早く決着をつけたいのさ。それにダンブルドアも魔法省にあいつが『秘密の守人』だったと証言した」
「それで?」
「それでって?」
「あなたもシリウスが裏切ったって、そう思ってるの?」
「僕だって信じたくはないよ」
「だったら信じないで。シリウスがスパイだなんてあり得ないわ」
「でも実際にはそうだったんだよ」

僕だって本当にできることなら信じたくはない。けれど信じない理由はひとつとして残っていなかった。

「あなたは、あなただけは、シリウスを信じていると思っていたのに…」
「辛いのは分かるよ。でも、これが真実だ」
「信じないわ」

彼女の感情が燃えているのを彼女の瞳を通して感じた。それは僕に対する落胆だった。あいつを信じない僕に失望していた。けれど、 僕だって、あの晩からの一連の出来事を知って、衝撃を受けた。困惑し失望した。僕はもうシリウスを信じていなかった。もっともシリウスが僕達全員を裏切ったのが先だ。


宇宙の錆


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