不眠と快眠

「あんた、ひどい顔してますね」

ソファーでぐっすりと眠っていた財前を起こせば、開口一番この言葉。予期せぬ来客だというのにこっちはひと晩泊めてやったのに、あまりにも礼儀知らずだ。もうお肌の曲がり角で、学生時代のように寝不足でもお酒が残っててもピチピチなすっぴんでないことは百も承知。けど、ここでばっちり化粧をしてアラを隠すようなことをすれば、なんか相手に対して本気の勝負みたいになっちゃう。もちろん仕事だったら、こっちは相応しいメイクも服装も振る舞いもして戦闘態勢になる。土曜の朝が仕事なわけないので、寝起き感丸出しの素顔と部屋着で済ませた。印象の悪い薄い眉も頬の色むらもそのまま。ひどい顔だと言われても、気にすることはない。相手は財前なんだから。

「おはよう。もう9時だけど」
「まだ9時じゃないですか、寝かせてください。俺夜型なんスよ」

知らないよ、という突っ込みは飲み込んで。努めて不機嫌さを出さないようにして、キッチンに立つ。どうして何年も会ってない後輩を泊めたのか。お金目当てなのかもしれない、とか。身体目当てなのかもしれない、とか。いろいろ考えた。考えたといっても、一週間の疲れとアルコールのせいで十分な思考ができたわけじゃないけど。どこかの段階できっと大丈夫なんていう安心か、どうにでもなれなんていうあきらめが働いて、財前にソファーを提供した。お風呂を入っている間、寝室のジュエリーやタンス預金が心配だったけど、すっぴんを隠すようにタオルを頭にかぶったままリビングに戻れば、財前の唯一の持ち物だったトートバックに入っていたパソコンをローテーブルに広げていた。私に一瞬視線を投げたとき、なんのやましい企みも見て取れなかった。だからといって無防備になれるわけもなく。ベッドにもぐりこんだ後も、いろいろ考えた。

「なんか飲む?アルコール以外なら用意してあげる」
「そんな帰ってほしいですか?」
「そりゃあね」
「なんでスか?」
「私、これから出かけるの。てか、財前に関係ないよね。ほら、これ」

いつまでもソファーでだらけてる財前を立たせるために、ダイニングテーブルにマグを置く。希望を聞いといて勝手にブラックコーヒーを淹れた。よく考えたら、財前はもてなす相手じゃない。ダイニングチェアに座ってマグに手を付ける財前のことを、私は壁に寄りかかって観察する。なんていうか、財前には無職らしさがない。車も持ってるし、パソコンも持ってる。洋服も着古した感じじゃないし、髪も伸ばしっぱなしってわけじゃなさそう。

「なんスか」
「別に」
「考え事ですか」
「…まあね。勤めてると仕事で考えなきゃいけないことが多くて」

さすがに財前の経済力を考えてたとは言えないから、さらっと嫌味を言ってみる。さらに自分の飲み終わったマグをシンクで洗って、それとなく出かけたい雰囲気を出す。すって横から伸びた手がもう一つマグをシンクに置いたので、視線を上げればいつの間にか財前がいた。身長が私よりも高くていやでも見上げる形になる。財前は私をじっと見て、何か言いたそうにしてる。何、って聞きながら、マグを二つ水切りに伏せてタオルで手を拭く。

「朝食は?」
「…は?」

こいつ、朝食まで期待してたのか。

「今日は、外でブランチの約束があるから」
「ふーん」
「だから、本当そろそろ帰ってもらえる?」
「分かりました」

意外にもすんなりな答え。リビングに戻った財前は、トートバッグにパソコンを詰め込んで帰宅準備完了。来た時はわざとお酒飲んで帰れなくしたのに、今朝はおかしなくらい簡単に引き下がるな、って思いながら玄関に向かう財前の後に続く。スポーツブランドのローテクスニーカーを履いている財前。スニーカーにジーンズにTシャツにトートバッグってどこまでカジュアルなの。

「あ、」
「なんスか」
「パーカー」
「ああ」

ちょっと待ってて、って言ってリビングに引き返す。財前が一晩使ってたソファーの脇にくちゃっとパーカーが脱ぎ捨てられてた。それを手に取って軽く畳み直そうとして、ブランドタグが目につく。ゼロがいっこ余分につくくらい高いブランドのだった。ちょっと驚いて握り直せば、肌触りのいい生地の触感。なんで財前がこんな高いものって頭をひねりながら玄関で待ってる財前に手渡す。

「ありがとうございます」
「忘れ物しないでよね。大阪に届けるつもりないし、大阪から取りに来てもらうのも嫌だから」
「いいじゃないですか。忘れ物のひとつやふたつ。どっちにしろ、また近いうち会いに来るつもりですし」
「は?」
「本当は昨日もらってやるつもりだったんですけど、あんまりにもジュリさん疲れてるみたいだったんで」
「…はあ?」
「次は、ジュリさんが元気なときにします。今度はちゃんとクマなくなるくらい寝てくださいね」

ほな、さいなら、って懐かしい関西弁で財前は私の部屋から出てった。誰のせいで、一睡もできなかったと思ってんの。