負け組と不審者

29歳。この年の女は、もう可愛いだけじゃ許されない。
仕事では、指示されたことだけやればいいわけではなくなる。責任と結果が求められる。
身体は、徹夜が響くようになる。肌も身体も労わってあげなきゃすぐにボロボロになる。
恋愛では、需要が減ってくる。反比例に相手に求める条件は現実的に重くなる。
周囲は、結婚だ出産だと何かとめでたいことが増える。寿退社の後輩が申し訳ない顔をする。

仕事は楽しい。やりがいもある。肩書きも気に入っている。もらってるお金にも満足してる。
でも、心のどこかでぽっかりと穴を感じてるのは、否めない。それが、どうしようもなくくだらなくて子供じみたさみしさだっていうことも分かってる。アラサーの、一人で立ってるのに慣れてしまった女の、思うことじゃない。けど、これがいわゆる“孤独”ってやつなのは、明らかだった。

例えば、金曜日これといった予定もなく、後輩達が嬉々として帰っていくのを見送りながら残業して次の企画の案をまとめて、終電に乗り、一週間の疲れを感じながら、マンションのエレベーターから降りて愛しのマイルームに向かえば、ドアの前に寄りかかる審者がいたとする。
そんな時、誰に頼っていいのかわからない。ジーンズにパーカーという軽い服装に身を包む人間は知り合いにはいない。目深にかぶったフードのせいで相手の人相も分からない。音を立てないように足を止めて鞄から携帯を取り出したものの、連絡する相手が頭に浮かばない。いつだって自分の足で立ってきた私は、助けを呼ぶのがひどく苦手だった。そんな私に愛想の尽きた歴代の彼氏達の連絡先はとうの昔に消していたし、男友達にも私より逞しい人なんて思い当たらない。女友達はみんな家庭があったり金曜日なのでデートに勤しんでいるはず。結婚もしてなければ、恋人もいない、独身女の窮地を救ってくれるのは自分以外いないんだと、痛感する。独りぼっちだと、実感する。どんなに仕事ができても、女としては負け組。
どうしよう。もう、警察しかない。でも、何もされてない。これって取り合ってもらえるのかな。取り合えず、逃げる?下のコンビニで時間でも潰す?私に気づいていない様子の不審者がこのままこっちに顔を上げませんようにと祈りつつ、片足を後ろに下げる。最悪なことに、廊下のつなぎ目の金属の小さな段差に履いているパンプスのヒールが取られ、盛大に転んでしまう。最悪、と心の中で舌打ちしたのが一番目。二番目に、こっちに気が付いて顔を上げた不審者を見て、ヤバいと毒ずく。距離にして5メートル。こっちに近づいてくる不審者。本当に怖いと、身体は固まってしまうらしい。立ち上がることもできないまま、不審者と視線を合わせないように顔を伏せる。もしかしたら、無視してくれるかな、なんて我ながら間抜けな考え。視界に男の人の手が伸びてきて、ああ不審者に何かされるとおののくけど、待てど暮らせど、何も起きない。

「…、あんた相変わらずどんくさいんですね」

聞いたことのある声がした。昔、私が馬鹿にした関西弁ではなく綺麗な標準語を話すその声。驚きで訳が分からなくなっていると、馬鹿にしたような笑いが降って来た。

「いつまで、座ってるんスか?俺の腕がくたびれてしまいます」
「え、…え?」
「早くしてください」

視線を上げれば、フードの下に見知った顔があった。左手を私に差し出したまま、耳を刺さっていイヤホンを右手で外して、ポケットにしまい込んだ。

「ざ、財前?」
「お久ぶりです、ジュリさん」