あなたの傷に触れたい

特に変わりなく、最近常となったナルトとサスケのやり取りを聞きながら任務を終えた。チームワークが乱れている。どうしたものかと考えるが、伝達鳥からの招集の合図でそれを中断せざるを得ない。解散を告げると、サスケが真っ先に踵を返した。サクラがすかさず、追いかける。年頃の女の子は忍術以外にも色々忙しいらしい。

「サスケ、」

普段より重かったホルスターからクナイを抜いて、サスケの足元に投げる。サスケが病室での会話で満足しないのは分かっていた。それとなく跡をつけ偵知すれば予感通り、昨日の夜、サスケはジュリの病室を訪ねていた。その訪問の仕方は非常識だよ、と思いながら扉の外で話に耳を傾けた。しばらく会話が続いたのち聞こえた金属の鈍い音で何が起きたのか容易に想像できた。全く厄介な部下を持ったものだ。

「クナイはもっと考えて使えよ」

それで、全て分かったようだった。振り返ったサスケは俺と視線を合わすのに躊躇した。それはサスケなりの反省と後悔の意だろう。今回はそれで許そうと笑えば、サスケは地面からクナイを引き抜き、ホルスターにしまいまた歩き出した。さて、俺もそろそろ行こうかな。



招集は中忍選抜試験の知らせだった。反対の声が上がるのは承知で奴らを推薦する。イルカ先生やガイが異を唱えるのも理解できたが、誰よりも奴らを近くで見てきたのはこの俺だった。もちろん、不安要素がないわけではない。それでも、あの三人ならやってくれると考えるくらいには俺は先生らしくなっていた。二年目以降の下忍担当上忍の推薦の有無、参加国の数や、各試験の概要を聞き終え、皆ぞろぞろと火影室から出ていく。いっこうに退室しない俺に紅が声を掛ける。いいから、行こうぜと紅を促すアスマ。まあ、二人で仲良くお茶でも行ってて、と声を掛ければ、二人してムッとした表情になった。分かりやすいな、ほんと。

「カカシ、何か用か」

二人が消え、部屋に二人きりなると三代目が先に口火を切った。

「お分かりのはずです」
「うむ…。しかし、あやつは暗部の一員じゃ」
「では、水木ジュリについて聞かせてください」

彼女の本名を言っても驚かないあたり、三代目は俺が探り当てることは想定していたのだろう。

「ジュリか…」

そう静かに言葉を零して、視線を自身の手に落とす三代目の意は俺には到底計れない。かつて逞しくあったはずの、今は痩せて皺の刻まれたその手。その皺は苦悩の痕か功績の証か。落とされた視線は、手の平に乗る俺には見えない何かに馳せているようだ。この憂いの帯びた瞳は、三年前ここで彼女について話した時と変わらない。

「ジュリはサスケに言ってました。自分は愛する人を失う辛さも、人を憎む気持ちも知ってる、と。それに家族を殺された人間の気持ちも殺す気持ちも知ってるとも話してました」
「…ジュリがサスケに?」

ええ、と頷いて事の経緯を簡単に話す。サスケは恐らく、森で出会った時から彼女に興味を抱いていたのだろう。白との戦いで、暗部と言う存在が気になったのかもしれない。その彼女から、イタチの名前が出たのはサスケにとって嬉しい誤算だったに違いない。三代目はサスケの奴も困ったもんだ、と零して首を振った。

「彼女の言った言葉はどういう意でしょう」
「そのままじゃよ」
「と言うと、つまり、そういうことですか」
「そういうことじゃ」

頷いて、三代目は窓に視線を走らせて夕暮れで温かい色に照らされた里を見、それから話始めた。始まりは、12年前の九尾の事件からだった。里が壊滅状態に陥ったあのころ。良く覚えている。多くが傷を負い、悲しみに暮れ、いくらかの命が散っていったあのとき。そして、誰もが途方に暮れた里の長の、四代目の、先生の、死。

「里はあの出来事で相当痛手を負った。弱り切っておった。いつ他国に攻め入られるかも分からぬ。失った国力を高める為に、何よりこの里を守る為に、忍が必要じゃった。里の上層部は、優秀な忍の発掘と育成に尽力した。その中心にジュリの父親もおったのじゃ」

ジュリの父親は難しい立場におった、と言い息を吐いた三代目は続けた。
彼女の父親は、強硬派の人間だった。能力があれば、年齢も経験も関係なしに難易度の高い任務につけた。その中にはもちろん命に関わるものもあり、忍の親兄弟から批判があった。彼自身の子供である、ジュリは順当な年齢でアカデミーにいて、彼女の姉は卒業して数年経っても中忍試験を受験すらせず下忍に留まっていた。事実、当時の彼女は大多数のアカデミー生のうちの一人にすぎなかったし、彼女の姉は言ってしまえば忍としては才能に恵まれていなかった。だが里の者たちは自分の子供が、友人が、恋人が命を掛けているなかで、彼が自分の子だけ特別扱いしていると見なした。それを、彼は甘んじても受け入れていた。いわば恨まれ役だった。そして、ジュリが下忍になった年に事が起きた。

「何があったんです」
「ジュリの姉が父親と母親を殺し、そしてジュリが姉を殺したのじゃ」

夕空に紺色が混ざり始めていた。三代目の視線を伏したその表情は老け込んだように見えた。

「父親の口寄せの知らせを受けわしら上層部がその場に駆け付けた時には、すでに母親と姉はこと切れておった。座り込む彼女の傍で倒れていた父親を救うには遅かった。父親は彼女に忍として生きるように言いつけて死んでいった。彼女は、自分以外の家族が死んでいく姿を一度に見てしまったのじゃ」
「知りませんでした、そんなことが起きていたとは」
「そうじゃろうな。上層部の忍の一家の中での殺しなど闇に葬るべきだと、御意見番を含め上層部は誰もがそう考えたのじゃ」
「だとしても、彼女はその年に中忍試験に合格していますよね。その事件は公になっていないにしても、彼女の身に起こったことを考えると、直近の試験に彼女を推薦した担当上忍も、それを受諾した―――」

そこまで言って言葉を切った。言うべきではないことを口にしようとした自分自身に驚きを隠せなかった。それに気が付いた三代目は、皺を蓄えた目元を下げて笑いかけてくる。

「カカシ、お前がわしを非難するのは当然じゃよ。わしとて、同じじゃ。あの頃、彼女に他の道を示さなかったことを後悔しておる」

彼女が忍として生きることが忍の育成に務めた父親の最後の願いでも、当時の里にとって忍の存在がどれほど必要なものだったとしても。そう続けた三代目を見ることができなかった。

「ジュリはあの日から、誰にも何にも関心を抱かなくなった。まるで愛憎の感情など失くしたように。父親の死に際の言葉に憑りつかれたように、ただ任務をこなした。彼女の中でいまでもあの事件が燻り続けているのは明らかじゃ。自分ひとりだけ生きていることに苦しんで、彼女はいつも心のどこかで死を望んでいる。それが彼女の任務をこなす唯一の動機じゃろう。わしは心配だと暗部として手元に置きながらも、任務に就かせてきた。そしていま、わしは彼女の忍としての道を塞ぐ羽目になったのじゃ」
「…俺が森から彼女を連れ帰ったときの任務で何かあったんですね」

あのときの彼女の様子。何より肌に感じた彼女の乱れたチャクラ。

「あの任務で、彼女はなんなかの禁術に掛かった。チャクラが上手く練れない状態じゃ。そして今この里にはそれを解くことのできる者はおらぬ。わしは彼女にただひとつ忍の道を示し、今度は彼女の生きる唯一の動機を取り上げる羽目になった」

それが最大の後悔じゃと、静かに呟いた三代目の瞳が余分な潤みで煌めいたのは、部屋の明かりの悪戯であるはずがなかった。

火影室を出たころには、夕刻をとっくに過ぎていた。外は家々の窓から漏れる光や、飲食店から聞こえてくる音が夜の落ち着きを飾っていた。俺はいつも、後になってから重大なことに気づく。俺を導いてくれるひとが死ぬたび、彼らが教えてくれたことを心に刻み、自身を諫めてきたというのに。俺はいまだに自分の古傷ばかりを弄っている。