だってもういない

目が覚めて、ああ生きてると思った。視線の先には白しかなくて、鼻には消毒液独特の匂いがついた。病院だ。窓の外から見える馴染んだ景色は月で照らされていた。里に帰って来たのだと分かった。どうやってここにたどり着いたのだろうか。そう思い返して一番に浮かぶのは、あの色素の薄い銀髪。私の登場に驚いている部下らしい子達に話すその声、よく聞き覚えがあった。あの頃、面をしてコードネームで呼び合った彼だと分かった。先生と呼ばれるということは下忍の担当上忍をしてるのか。久しぶりに会ったと思えば、彼の素顔も名前も一度に知ってしまう。暗部時代あれだけ一緒に任務をしていて、その後会うこともなくなった彼のことを今更知るのもおかしなことだ。そんなことを考えている間も、心臓は不安定に鼓動し、頭の痛みは酷くなっていた。死ぬかも。まあ殉職するのは悪くない。立っていることもできなくて、さらに意識を保つのが難しくなってきた。最後の任務はぜひとも完遂したいと、カカシさんに巻物を渡す。押し返された巻物をどうしたかは記憶が途切れていて分からない。



―――いい機会じゃ、ゆっくり休め―――

そう三代目が告げられてから二週間以上寝たきりを強いられている。ベッドの上で一日中ぼんやり過ごすだけ。入院の初日に三代目が訪ねてきた以来、どうしてか私を見つけ出したカカシさんがふらりと立ち寄ってくれるくらいだった。医者の質問に答え、浅い眠りを繰り返し、たまに彼と話す以外、何もすることがない。何もすることもなく寝ることもできない時間に考えるのは、三代目が私に言った言葉。今まで絶え間なく任務を命じてきたのに、今度は休めと言う。いつまで休めばいいんだろうか。こうしてベッド収まっていても何も休まらないというのに。窓から射す月明かりから逃げるように、寝返りを打った。

「…面会時間はとっくに過ぎてるはずだけどなあ」

時間外の来客に、声を掛ける。部屋の暗い場所に立っていた彼は、ズボンに手を入れたまま、ベッドの傍に来た。月明かりに照らされた彼の顔が青白く見えた。

「聞きたいことがあるって顔をしてるね、」

サスケくん、と昔イタチが良く話に出していた名前を呼んだ。薄暗い中でも、その赤い瞳に宿る激情を見るのは簡単だった。まだ12歳だというのに、なんて冷たい視線をしているんだろう。まったくもって可愛げがない。

「お前、イタチを知ってるって言ったな」
「うん、イタチとは一緒に中忍になったからね」

12歳という妥当な歳でアカデミーを卒業したばかりの私が選抜を受けるは珍しかった。周りが年上の中で私の班は目立ったし、やっと十代になったばかりのイタチは異色の存在だった。私の先生は、三人一組で参加しなければならないこの試験に私を受けさせるために、他の二人に無理強いさせた。ここ数か月の私を見て、先生は私を下忍にしておくのは惜しかったんだろう。里は立て直しの時期だった。私も、彼も、あの場にいた木ノ葉の下忍は皆、火の国の国力を担う駒だった。二人は周りの、自分たちよりも歳も実力も上であろう下忍に囲まれて怖気づいていた。そんな姿を見て無理もないと思った。この試験の最悪の結果は不合格ではなく、死だった。私のせいであの場にいた彼らの責めるような目を受け流すと、まだあどけない顔をした子が目に留まった。私よりもさらに若く、この場にそぐわない穏やかな表情をしていた。どれだけ優秀なのだろうか。私の視線に気づいた彼は、背を向ける一瞬前に微かに微笑んだ。ような、気がした。背中には大きな家紋。うちは一族の子か、とそれを見て彼がここにいるのを納得したのを覚えている。

「イタチは憎まれるような奴じゃなかった、っていうはどういう事だ」
「そのままだよ。彼は、誰よりも強い優しさを持ってる忍だった」
「お前、知った口を聞くが、他でもないあいつが一族を殺したんだぞ」
「間近の結果だけ見ても、分からない事もあるんだよ」

中忍昇格の直後、彼はどこでも噂されていてすでに知っていたと言うのに、うちはイタチです、と直接自己紹介してきた。律儀だなと思った。班こそ違うが合同任務もあったり、何かとイタチとの接点ができた。任務の行き帰り、彼は弟の事を良く私に聞かせた。サスケが、と言う彼の顔には戦いの時の厳しさはなく、年相応の緩んだ笑みがいつも浮かんでいた。そして半年が経った頃、彼は暗部に配属された。それから一年が過ぎ、今度は私が暗部へと入った。何度目かの任務で彼と再会した。暗部のルールの下、もう彼と以前のように話すことはなかったが、写輪眼を使う人間は限られているので、面とコードネームがあっても私は彼に気が付いたし、恐らく彼も私に気が付いていただろう。それを確かめる術もないまま、イタチは弟を除き一族を殺して、木ノ葉の里を去ってしまった。

「はっ、偉そうに」

吐き捨てた彼の瞳には憎悪しかない。彼は私を通して、彼を見ているのかも知れなかった。

「イタチ、君の話ばっかりしてたよ」
「…あいつが?」
「うん。でも、私が聞いたサスケ君と、今のサスケ君はずいぶん違うな」
「当然だ。あいつが俺を変えたんだ、あいつを恨み憎む復讐者に」
「復讐?そんなことしてどうするの」
「お前には関係ない」

そっちは質問してくるのに、こっちの質問には答える気がないのか。ずいぶん勝手な子だ。カカシさんが苦労している姿が目に浮かんで、ふふ、と笑い声が零れてしまう。

「何が可笑しい」
「君の頭の中には、イタチへの憎しみしかないんだなって思って」
「…、何が言いたい」
「サスケくん、君忍に向いてないよ」

言うが早いか、彼が私の首元にクナイを当てた。下忍のわりにスピードがある。

「俺が忍に向いてないかどうか、お前を殺して、証明しようか…?!」
「殺せるなら、どうぞ」

彼の手が震えているのは分かっていた。どんなに威勢が良くても、所詮少し前までアカデミーにいた子供。布団の下から腕を出し、彼の手に握られたクナイを奪う。床に放ると、金属とリノリウムのぶつかる鈍いを音がした。訪れる静寂。漆黒に戻った彼の瞳は落ちたクナイに注がれていた。先ほどまでの威勢は消え、彼の横顔には疲労とも言えない影が差していた。もう、やめなよ、と言ってやりたい。悲しみを独りで抱え、憎しみだけを糧にするのは、良い結果など招きっこない。言った所で、彼は聞き耳を持たないだろう。あの赤の激情は、彼だけのものだった。三代目が、よく言った。忍たるもの大切な存在を忘れるな、認め信じ愛する者を生きて守れ、と。彼にあるのは憎しみだけで、それ以外の何もない。憎しみは人を強く導く。彼は、その先にあるものも知らず、復讐心を自分で焚き付けている。

廊下でリノリウムが擦れる高い音がした。ゆっくりと歩く足音はこちらに近づいていた。深夜の見回りだろう。それが合図になったのか、彼は踵を返し扉へと向かった。背中にはうちはの家紋。

「サスケくん」

呼び止めると、首だけ回し片目で私を見据えた。

「君には、今、心から愛する人はいる?」
「愚問だな」
「いないの?」

これだけははっきりと、彼の口から答えを聞きたかった。

「…そんなものは、もういない」
「ねえ、サスケ君。憎しみに生きるのはやめな」
「やめてやるさ、イタチを殺したら」
「…憎しみで満たされちゃダメだよ」

何も知らない奴ほど、説教したがるんだよ、と吐き捨てた彼は、扉に手を掛けた。知らなくないんだよ、サスケ君。

「愛する人を失う辛さも、人を憎む気持ちも知ってるよ。家族を殺された人の気持ちも、家族を殺す人の気持ちも全部私知ってる」

私の愛した人も、私が憎んだ人も、みんなもういないんだよ。愛も憎しみをももうないんだよ。どちらも消えた後に残ったものは何にもなかった。扉の向こうに消えていく彼の背中に訴えた。届いてくれれば、いい。心ではなくとも、耳だけにでも。