苦しくなったら言ってね、やさしくころしてあげるから

死ぬかもしれないと言った彼女を里に連れて帰ってから三日が経った。あれから何の情報もない。暗部は任務も隊員のことも極秘扱いなので、俺の耳に何も入ってこないのは当然のことだが、それでも経過くらい知らせてくれてもいいんじゃないかと思う。情報がこないなら、こちらから探しに行くしかない。生きているとして、病院から当たろうと決める。

思い立ったが吉日という言葉に従い、病院に足を運び各階を回る。通り過ぎてきた病室とは違い、入り口に掛かっている入院中の患者を示す札に名前が書かれていない個室を見つける。ここだろうな、と思いドアを開けた。

「え、カカシさん。何してるんですか」

初めて見る顔が声を上げた。この声は確かに彼女のものだ。面の下にこんな顔が隠されていたのかと、まじまじと見てしまう。実際の年齢よりも大人びていた。それでも笑う彼女には年相応の素直さもあって、アンバランスな印象を受ける。あああ、顔見られちゃいました、とおどける彼女は入院患者らしくベッドに収まり、病院の寝間着を着ていた。

「入院のことは機密扱いなので、カカシさんが初めてのお客様です」
「…生きてるのね」
「ご覧の通り」

点滴をしているものの、あまりにも普通な彼女に拍子抜けしながら、部屋の隅にあった椅子をベッドの脇に寄せて座った。間近で彼女を見る。瞳を縁取っているのは長く豊かなまつ毛で、冗談めかしたように端が上がっている唇は形が良かった。面を外して、暗部の装束を纏っていない彼女は、ごくごく普通の21歳に見えた。そんな彼女は今でも相変わらず汚れ仕事をしているのか。彼女はこの3年間、俺の分の荷物も背負って暗い所で任務をこなしてきた。俺が3年間、上忍として明るい所で任務をこなし、さらに下忍の担当としてあれこれ考えている間も、彼女はずっと里の暗くて重い荷物を背負っていた。

「死ねなかったね」

皮肉を込めて告げると、彼女はゆっくりと俺に向き合った。

「何言ってるんですか」

彼女は本当に俺の言ったことが分からないと言った感じで、こっちが何を言っていいか分からなくなる。3年前、彼女が去った後三代目と話した会話を、俺は覚えている。死ぬ機会を探していると言った三代目は、心底憂い嘆き心配している声だった。

「お前、死にたいんじゃないの」
「いきなり来たかと思えば何ですか」

やめてくださいよ、と彼女は子供っぽい高い声で言った。暗部時代度々聞いた笑い声。面をしていた時は分からなかったが、素顔の彼女には似合わない声色。彼女を森から運ぶ時、今回は本当に死ぬかもしれないので、と告げた落ち着きのある声色のほうがずっとしっくりくる。そこで、もしかしたら、と考える。

彼女はいつも自分を偽って生きていて、だからこそ潜入という誰かに成りすます任務が得意なんじゃないだろうか。彼女は木ノ葉の仲間といる時ですら、本当の自分なんて晒していなかったのかもしれない。ダダ漏れだと思っていたあの感情たちも、彼女の本当の気持ちではなかったのかもしれない。そのことを、彼女と任務をこなしていた時に考え至らなかったことにやるせなさを感じる。

3年前、もう少し彼女につかせてくれと頼んだのが滑稽に思えた。俺はあの時、三代目の言葉聞いて彼女のことを分かったつもりでいた。その上でもう少し時間があれば、彼女を正しく導けると思った。実際はこうして素顔の彼女と向き合って初めて、彼女のことがほんの少し分かったというのに。もしも時間をもらえていたとしても、面を付けたままだったらどれだけ経っても、彼女のことなんて分からないままだったに違いない。

「死にたいなんて思ってません」

そう言い切る彼女の真意が分からなかったが、俺のまっすぐと見つめる彼女の目に、これ以上言うのはやめようと思った。聞きたいことは山ほどあった。だが聞いたところで本当のことは答えてくれないだろう。

「3年間、どうしてたの」

代わりに、分かり切ったことを彼女に尋ねる。暗部なんて、何年経とうが回ってくる任務は変わらない。彼女だってそれを分かっているだろうが、それでも俺が解任されてからの任務の話をする。その声は3年前と同じで、べらべらと話す所も変わっていなかった。明らかに機密情報だろう思われることまで話すのは、元暗部として如何なものかと思うけど。まあ、テンゾウが元気にやってるのも分かったしよしとしよう。

「カカシさんは暗部を辞めてから、どうしてました?」
「最初の2年は下忍は担当しなかった」
「無理な演習でもして落としたんじゃないですか」
「無理かは別として、忍に向いてない奴らばっかりだったかね」

どいつもこいつも、チームワークもなってなければ、仲間を大切にしない奴らばかりだった。どれだけの能力があっても、どれだけの頭脳があっても、忍としてはやっていけない。そんな奴らが忍になった所でどんなになるかは、俺が一番分かっていた。かつての俺のようになるし、今の彼女のようになる。それなら、恨まれてもアカデミーに送り返す方がマシだった。

「でもまあ今年やっと下忍の担当になったわけよ」
「良い先生してるんでしょうね。私の先生もカカシさんみたいな人だったら良かったな」

彼女が下忍になった頃の里は九尾の事件の後の混乱から抜け出すため、何よりも忍の数を増やすことを第一にしていた。彼女は周りより優秀だったために、立ち止まる暇もなく昇格して暗部に所属することになってしまった。

「3年前カカシさんに怒られたのが、初めての説教だったんです」

実は、と漏らした彼女は俺とは反対側にある窓の外に視線を送った。ガラスにわずかに映る彼女は目を少し細めて眉を寄せていた。あの夜、しょげていた彼女は面の下でこんな表情をしていたのかもしれないと思った。あの時、俺が彼女に言った言葉は本気だった。しかし、三代目の言葉を聞いたあと後では、感傷的だったせいでキレたのはいけなかったと後悔もしていた。

扉がノックされる音で向き直った彼女は相変わらず抜けた笑顔を浮かべていた。どうぞ、と向かい入れると白衣を着た医師が、回診だと言う。彼女に歩み寄って今日の調子はどうだと尋ねる医師と入れ替わるように席を立った。点滴のチェックされている彼女に声を掛け、出口に向かうと扉の所で呼び止められる。

「カカシさん」
「なーに」
「あの時、私に言った言葉覚えてますか」
「…俺、何か言ったっけ?」

そうとぼけて扉を閉めた。それが精いっぱいだった。歩く気にもなれず、ため息をついた。襲ってくるのは、どうしようもない無力感と失望感。ぼんやりと立ち尽くして、彼女を診た医師が横を通ったことに気づいた後、やっと足を動かす。病院の廊下を進みながら、あの時の言葉を思い返す。忘れようのない言葉。

―――仲間使って死に急ぐような真似するのは、チームワークでもなんでもないよ。
もし本当に死にたいんならね、教えてくれれば俺がしっかり殺してやる―――

ねえ、お前はやっぱり死にたいの。彼女の真意が分からなかった。