あなたが笑う理由を教えて

どれだけ同じ時間を過ごしても、きっと俺たちは一生ひとつにはなれない。同じ場所で息をしても、混じり合うことなく俺たちは別々の命だ。俺がいなくても彼女は息をするだろうし、俺も彼女がいなくても息ができる。



そっと、俺の腕を抜ける温もり。彼女が起き上がる気配がした。目を開けて空の色や時計を確かめるまでもなく、まだ布団に入ってそう時間が経過していないのが分かった。もう長いこと、時間が分からなくなるほど深く寝ることはなかった。染み着いた習慣。ちょっとしたことですぐに目が覚める。それはこうして、自分の里の自分の部屋の自分のベッドでも変わらない。

きっと、彼女は俺が起きたことに気づいてない。目を静かに開ければ、真夜中の部屋でも彼女がベッドの淵に腰かけているのが見えた。枕に頭を預けたままの俺の視界に、暗闇に浮かぶ彼女の背中。いつ見ても頼りなげな華奢な背中。

「まだ寝てなよ」

そう言葉を投げれば、彼女の背中が揺れた。案の定、彼女は俺が起きていることに気が付いていなかった。

「…起きてたんですか」
「うん」
「黙ってるなんて、悪趣味です」

明るい声で茶化す彼女。暗部時代に飽きるほど聞かされたその声。そんな声で話すとき、彼女は決まって何かを誤魔化そうとしていた。話の行く先を変えようとする彼女の手に、俺は乗ってやらない。

「怖い夢でも見た?」
「そんなことないです」
「じゃあ、なんで泣いてるの?」
「泣いてなんか、」
「分かるよ。お前が泣いてるって」

だって俺はずっと彼女のことを気にしてきた。後ろ姿を見れば彼女の表情は簡単に想像できる。だから、彼女はいま泣いているんだと確信があった。肩を震わすこともなく、声を上げることもなく、ただ瞳から涙を流してるんだと、はっきりと感じた。彼女は下していた足を引き上げて、踵をベッドの淵に引っ掛けると胸で抱えて、ポツリと言葉を零した。

「…今日、だったんです。私が父と姉を殺したの」

俺は彼女の丸まって縮こまった背中を見た。違うと言ってやりたかった。今日はお前が家族を失った日だと、否定してやりたかった。でも俺も彼女もそれができないのを知っている。

代わりに俺は起き上がって、彼女の背中を後ろから抱きしめた。彼女一人の身体くらい俺は簡単に包み込むことができる。彼女の小さな背中はすっぽりと俺の足の間に収まる。造作ない。けれど、俺は彼女が胸の内に抱えているものを代わりに抱えてやることはできない。それは、いつだって彼女だけのものだった。

「泣くときは俺の胸貸すって言ったでしょ」
「…そう、でしたね」

彼女はそう答えると、足を抱える腕のその上に回した俺の腕に遠慮気味に顔を埋めた。それはまるで、野良猫が差し出した手におずおずすり寄ってくるようだった。それがどうにも愛らしくて、俺は空いてるほうの手で彼女の髪を梳いた。彼女はそうされるがまま頭を傾けて、でも、と言った。

「あなたは、いつも一人で泣いていますよね」
「…俺は泣かないよ」
「ええ。でも心の中で泣いてます」

こんな話になるなんて予想外だった。彼女は相変わらず俺の腕に頬をつけていて、俺も彼女の髪に指を通していた。何てことない話をしているかのように。動揺を隠すのには慣れている。けれど同時に俺たちは、他人の気持ちの揺れに敏感だった。

「そうかもしれない」
「悲しい、ですか」
「それよりも後悔、かな」

彼女は何がとは言わない。俺も何がとは言わない。大切だった仲間の死。正しく導けなかった部下。俺はいつも気づくのが遅い。救えなかったやつらの事を考えるとき、彼女の言葉を借りれば、俺は泣いているのかもしれなかった。でも、俺はそれを彼女に語らない。彼女も知っていて知らないふりをする。俺が今日、彼女が泣いている理由を知らないふりをしたのと同じのように。

俺たちはあまりにも長い間、ひとりで抱えていた。悲しいことや辛いことを堪え忍んで、自責と後悔に苦しんできた。胸の内に抱えたそれは、自分だけのものだった。分け合うことをしてこなかった。できるはずない。それは今でも変わらなかった。俺たちは分け合う術を知らない。そのことを、俺も彼女も知っていた。

「カカシさん」
「なあに」
「私も、あなたが必要なときは胸を貸しますよ」

いつだったか俺の言った言葉だった。あの日の事を思い出して、俺はお前ほど泣き虫じゃないよ、と軽口を叩いてみる。すると彼女が喉を鳴らして笑った。俺も僅かに口角が上がる。

「笑った」
「あなただって、笑ってるじゃないですか」

どうやら珍しく彼女は忍らしく、俺の変化に気が付いたらしかった。指摘されてしまったので、俺も静かに笑い声を上げた。あの日のカカシさんは可笑しかったです、と彼女は言った。

「病み上がりで顔色が悪いのに、私の病室に来て。ノックもしないで扉を開けたと思えば、化かされたような顔して」

あれ、どうしたって言うんですか?と彼女は俺の腕の中から振り返って俺を見上げて問うてきた。間近で見て、彼女のまつ毛が涙で濡れているのが分かった。それでも、もう涙は止まっていて、形のいい唇は緩やかに弧を描いている。

「だって、あの時と同じ病室で、同じ病院の寝間着で、同じ言葉を言われたから」
「おかしなこともあるものですね」

そう言うと彼女は笑った。年の割に大人びた彼女も笑うと、年相応の無邪気さが見える。俺もそれにつられて笑みが深まる。ひとしきり笑ってから、もうちょっと寝ようよ、と彼女に声を掛ける。ふたりでベッドに潜り込む。彼女はすっぽりと俺の腕の間に収まった。まるでやっと懐いてくれた野良猫のようだと、思わず笑ってしまう。

「何ですか」

暗闇の中、その声で彼女が不機嫌だと分かる。

「いや、お前って野良猫に似てると思って」
「意味が分かりません」
「かわいいってことだよ」

そう言うと彼女は恥ずかしそうに身じろぎして俺から離れようとした。俺はわざと力を込めて彼女を腕から出してやらなかった。代わりになだめるように彼女の頭に手を置いた。そうすると、彼女は諦めて俺の胸に頭を預けた。

「…ねえ、ジュリ」
「はい」
「これからいっぱい笑おう」
「ええ」
「できるなら、」

俺たちはもう、悲しみや苦しみを分けることはできない。俺たちはきっとお互いがいなくても生きていける。長い間そうしてきたから。胸の内に抱えたものは、自分だけのものだった。自責も後悔も完全に拭い去ることはできない。

「ずっと俺のそばにいて」
「できます、きっと。…私はそうしたいから」



俺たちは別々の命だった。苦楽をすべて共有することができる生き物じゃない。それどころか、俺たちはひとりでやっていける。曖昧な約束に頼るほど弱くない。けれど、必要なものだけで生きれるほど強くはなかった。







いずみ様リクエストありがとうございました!
遅くなりすいません(涙)

Let meのその後とのことで、プロポーズなんかだとニヤニヤしてしまいますとおっしゃっていて、私もニヤニヤしたかったんです。…ですが!たぶん、ふたりは結婚というものを考えないんじゃないかなあ、と。約束事のように結婚をして一緒にいるというよりか、自然に隣にいるみたいな。そんなことを考えて書いた結果、ニヤニヤなど到底できないお話になってしまいました。ごめんなさい。でもきっとふたりは仲良しです。

裏設定的には、カカシさんと同棲して初めての春のお話でした。