ぎこちない笑顔でお別れ

三代目が死んだからといって、里の機能が停止するわけもなく。こういう時だからこそ、今まで通りに働いて、今まで以上に強く結束をしなければいけない。私達は立ち止まっていてはいけない。

「あ」

私はいまだに火影塔で内勤をしている。三代目がいなくなったいま、私の素性を知る人はほとんどおらず「病気持ちの引退くノ一」という何とも不名誉な立場で働いていた。書類仕事が多く最近はコテツさんとイズモさんと一緒だった。各国から来た巻物の山をさばき終わり、たまにはうまい飯でも食おうと、コテツさんが言いだし、新米の私が街まで弁当を買いに行くことになった。太陽がほぼ真上にあった。こんな明るい時間に出歩くことにいまだに慣れず、足元にできた短い影を見ながら角を曲がると、数歩先に見知った子がいて、思わず声が出てしまう。

「…あんた、」
「久しぶり、サスケくん」

最後に会ったときの状況が状況なので、隠しもせず嫌そうな気まずそうな顔をしていた。砂の忍とやり合ったと聞いてどれほど傷だらけだろうと思っていたが、元気そうなので安心する。踵を返して立ち去ろうとするサスケくんに、どっちの道か聞くと、一緒だということが分かった。それを言えば、ひどく苦い顔をされてしまう。冷静そうで意外に表情に出やすいのを見て、口元が緩む。

「…あんた、変わったな」
「そうかなあ。どう変わった?」
「そんなもん、自分で考えろ」
「サスケくんは相変わらずだね」
「………」
「これからどこ行くの」
「カカシの家に」
「もしかして、待ちぼうけ食らっちゃった?」

暗部時代、時間にルーズな彼を隊員総出で控室を見て回ったり慰霊碑まで探しに行ったりしたことを思い出した。いまだに直っていないんだと聞けば、今日は時間通りに来ていたらしい。珍しい。修行を見てもらうはずがサスケくんが一瞬視線を逸らしたすきに、瞬身でいなくなった、と。

「気まぐれだね、あの人は」

じゃあね、サスケくんに別れを告げて弁当屋でも火影塔でもない方向に足を進める。嫌な予感がした。カカシさんが約束の時間を守ったり、黙って瞬身を使うなんて普通ではない。恐らく何かが起きている。この里にとって穏やかではない何かが。そうではないと願うが、確かめるまではこの不安は拭えない。仮に何かが起きているとして、カカシさんも他の忍は人の多い街で争いを起こすようなことはしないはずだった。では、恐らく人気の少ない街の外側だろうと予測する。

サスケ君の背中が見えなくなったことを確認して、走り出す。気持ちは急いて心臓も早く鼓動しているのに、チャクラを使わない駆け足は酷く遅かった。医者の、無理にチャクラを練ろうとすると普通の生活ですら満足に送れない身体になる、という忠告を思い出したが、それを気にしている暇はなかった。何かが起きていることは絶対だった。足にチャクラを集中させる。一気にスピードが上がり、それと一緒に呼吸が乱れた。それを無視して街の外れまでたどり着く。街とその奥の森の間を流れる川を目の前に、足を止めた。柵を飛び越え水の上を歩き森に行くのが一番の近道だが、走っただけでこんなにも呼吸が上がっていた。チャクラをコントロールして川を渡り切ったところで、その先の森で敵に遭遇したとき戦える力は残っているとは思えない。一番近くに掛かっている橋を探そうと視線を走らせれば、川下の方で人影を見つける。

名前を聞いたことがある木ノ葉の上忍二人。それから黒い外套を羽織る二人組。彼らの方がどうやら優勢らしい。対岸で刀を背負った背の高い方が印を結んでいた。駆け出しながら、土遁の印を結ぶ。全ての印を結び終える前に、突然鈍器で殴られたような痛みが頭を襲う。強烈な刺激に足元が狂った。心臓が変に鼓動し倒れそうになるのを柵に捕まってしゃがみ込むのがやっとだった。歪む視界で、敵の水遁を加勢に現れた人間が相殺したのを見た。同じ術を同じ威力でそっくり真似できるのは一人しかいない。

「…カカシさん」
「はたけカカシ」

私の声に重なった声に驚く。

「…イタチ?」
「ジュリさん」

上忍の二人が目の前の敵を注視しているなか、黒い外套のふたりとカカシさんの視線は私に注がれていた。振り返った男は間違いようがなかった。しかし、イタチは冷酷さを湛えた表情をしていた。いつか弟のことを嬉々と話していた面影はどこにもなかった。

「また、イタチさんのお知り合いですか。この方も木ノ葉の人間なら、あなたを相当嫌っているんでしょうね」

対岸で話す大刀の男を見て、ビンゴ・ブックに載っていたと思い出す。

「殺しておきますか?どうやらチャクラが残り少ないようですし、あなたの手を煩わせずとも、一瞬で終わらせますよ」
「…いや、やめておけ」

この人は、チャクラが練れないのを無理やり練っているだけだ、お前がわざわざ手に掛ける必要もない。イタチの言葉が胸をついた。言う通りだ。こうして何を考えて駆け付けたところで、いまの私は何の力の足しにもならない。呼吸は乱れ耳鳴りもし始めた。何もできないまま眼下の川の上で交わされる会話に耳を傾けるしかない。しかし痛みが支配する頭では聞いた言葉を理解することもできずにいた。歪む視界で彼らの姿を見ていると、突然カカシさんがしゃがみ込んだ。相当なダメージを受けているようで、苦しそうな表情を浮かべている。カカシの両脇の二人は相手の攻撃対策か、目を瞑っていて、カカシさんがもはや水の上にいることが難しくなっていることに気が付いていない。

身体は節々が悲鳴を上げて熱いのに悪寒がした。干柿鬼鮫が背負った大刀に手を伸ばすのが見えた。朦朧とする意識で右足が踝まで水に浸かってそれ以上沈むことがないことを認識した。なんで、死にたいと思い込んでいたときに死ねなくて生きたいと思うときに限ってそれができないんだろう。あの干柿鬼鮫を前に、今の私ができることは三人の盾になることぐらいだった。文字通り捨身の行動。不安定に川の上を駆けて、カカシさんの前で構えを取る。また一段と視界が歪み迫ってくる干柿鬼鮫の姿がねじれたと思うと、次に視界に現れたのはこちらに背を向ける忍の姿。味方だと判断して、片膝をついてしゃがんでいるカカシさんに駆け寄る。

のぞき込めば、表情を歪めながらも何かを言っているようだった。今の私には耳鳴りばかりが響き彼の声が届かない。彼の鋭い視線を辿ると、その先にはイタチの赤の双眼があった。サスケくんの激情を浮かべた燃えるような赤と、同じようでまったく違う。中忍試験で初めて見かけたときの穏やかな表情も弟思いの笑みもなく、その目に宿るのは静かな冷酷さだけだった。

その瞳を見て長い時間が経ったような気がした。けれど実際にイタチと視線を交えたのはほんの一瞬だったに違いにない。後ろから引っ張られたと思うと、カカシさんの隣に引き寄せられていた。いつのまにか膝まで水に沈んでいる。イタチと目が合った瞬間から、チャクラが消えていき、五感が機能するのを少しずつやめていた。あれだけしていた痛みも感じなくなっていて、耳鳴りもしなくなった。同時に私の腕を掴んでいる彼の手の存在も分からないし、彼がこちらに向かって問いかけていることも分からない。そんな私を見る彼の顔もだんだんとぼやけていっていた。そんな苦しそうな顔をしないで。

死ぬんだろうな、と直感的に思った。死んでしまったら何にもできない。生きて伝えたいことがあった。もっと生きてしたいことがあった。でも、たぶんそれはもう無理なんだろう。ずっと私のことを心配してくれていた人の前で死んでしまうなんて。でも、私は私なりに忍の道を歩けたかな、なんて。思ったことも死んでしまったら伝えられない。世界はいつだって情け容赦ない。そんなことを考えて、カカシさんの姿が霞んで白んで、それで私の世界は終わった。