十数えるうちに消えてくれ

今まで誰にも話してこなかった話を、カカシさんに話した。三年前、彼の術の前に飛び出した私に、死にたいなら殺してやると言った彼。敵に隊員を殺され術を掛けられぼろぼろの私を里まで運んだ彼。極秘でなかろうと家族も友人もいないから見舞いなんてないはずだったのに現れた彼。生きている私を見て死ねなかったねと皮肉った彼。三代目に私のことをあれこれと聞き出した彼。そして誰にも知られずにひっそりと退院してひっそりと死んでしまいたいと思っていたところに現れた彼。私が死に向かい合おうとするとき、必ずと言っていいほどタイミングよく現れる彼。
三年前は面に隠された眠そうなつまらなそうなぼんやりとした片方だけの瞳で、いつも私を射抜いてくる。何も知らないくせに、純粋にひたすらにひたむきに真っ直ぐに私に向き合ってくる。そんな彼の表情を崩してみたかった。
だから今まで誰にも話してこなかった、三代目も知らない、あの日の、私の家族が死んだ日の真実を話した。愛するひとも憎むひともいない私は、自分を罰するために忍として生きてきた。生きることがあの日から私にとって一番の苦しみだった。だから里のためでなんでもなく、死ぬために任務をこなしてきた。そしていまは死に損ないの私は何でもない。
これが真実ですよ、と彼に畳みかけた。里のなかでも一目置かれている忍に構ってもらうほど私は、誰にとっても貴重な存在ではないと分からせたかった。しかし、私の話を聞き終わると、彼は言った。

―――お前は生きたいんだね―――

呆れて何から言っていいか分からず、ただただ隣に立つカカシさんを凝視した。彼はひとり安心したような顔をしていた。瞳に宿るのは、優しい色。そこに込められたものは受け入れがたく、逃げるように瞳を閉じた。それが失敗だった。視覚を遮断すると、他の感覚がさえてしまう。例えば、私の右腕を掴んだ彼の手の存在。例えば、私のなかにある感情。目頭に感じる熱。こんなのはもうとうの昔に殺したはずだった。一回、二回、と深呼吸をして消えてくれることを祈った。しかし、消えるどころかどこからか湧き上がってくるそれは、私の呼吸を邪魔した。いよいよまずいなと思い、彼の手を振り払った。しっかり掴まれていたはずなのにすんなりと離れた。しかしそんなことに気を留める余裕もないまま、私は高台を後にした。



あれから一か月が経とうとしている。里は中忍選抜試験の本選を目前に控え、高揚感に満ち溢れていた。それとは裏腹に、里の中枢は緊張感に包まれていた。三忍の一人である大蛇丸がサスケ君を狙っているらしい。そして恐らくもっと大きな計画があるに違いなかった。それなのに三代目は彼を隔離することも警護することもせずにいる。すでに暗部の何人かは殺されたようだし、ハヤテさんの遺体も発見されている。明らかに、里の内側に脅威が入り込んでいた。情報を得るために暗部の小隊を各国に走らせているため警備は手薄だし、人手は不足していた。
それを体現するように廊下をひっきりなしに忍が行きかうのを、開いたままの扉から見た。敵の術に掛かっている私はいまだにチャクラが戻らず、通り過ぎていく暗部の装束に身を包むことも面を被ることも、中忍だったころ身に着けていたベストを着ることもなく、ぽつんと火影塔の一室にいた。
立ち止まることも休むことも息をつくことも満足にさせないまま任務につかせて、次は休めといって、また仕事だという。まったく三代目は勝手だ。

「捗っておるか」
「順調ですよ」

独特の煙の臭いを纏って現れた三代目の言葉に、机に広げていた巻物から視線を上げた。三代目の後ろをまた忍が駆け足で過ぎ去ったというのにのんびりと煙管をくゆらせている。気まぐれに立ち寄ったのだろうと判断して、巻物に向き合った。否、三代目の視線から逃げたかっただけだった。実際には巻物の解読は九割九分終わっていて、あとはこの情報を分析班に回すだけだった。しかし三代目はいなくなるどころか、向かいの席に座り込んだ。なにが楽しいのか笑みを浮かべている。いままで私を見るときは決まって眉を寄せ奥歯を噛んで老け込んだ表情をしていたのに、どういうことだろう。

「…どうかしましたか」
「いやのお、カカシのやつも全く面倒見がいいと思ってな」

予期していなかった名前が三代目の口から出てきて、見せかけで筆を握った手に力が入った。カカシさんとは高台で話した以来だった。彼の担当の下忍のうち二人が本選に残っているので、部下の修行に付き合ったりと忙しいんだろう。
突然彼の名前が挙がったことに分からないという表情をすれば、あやつがお前に内勤をさせるようにと持ち掛けてきたんじゃよ、と三代目は言った。どうしてそんなことするんですかね、私はもう彼の同僚でも部下でもなんでもないのに、と無意識のうちに独り言ちていた。

「お前があやつの大切な仲間だからじゃろうな」
「はあ、」
「カカシは、一度すべてを失った。父親は里からの中傷に死に、一番のライバルで親友だったやつはあやつを庇い死に、その親友を含めマンセル組んでいたくノ一も里のためにあやつが殺した」
「そんなこと私に話してどうするんです」
「お前に過去があるように、カカシにも過去があるんだと知らせておきたくての」

三代目が零したカカシさんの過去に驚かないといったら嘘になる。そして、こうして訊ねてもいないのに話す三代目に、この人はこうやって本人のいない場所であれこれと話すのだろうな、と思った。私のことが彼に筒抜けだったのも頷ける。

「お前には知っていてほしい。お前が忍として務めを果たしてきたのは誰の何のためでもなかったとしても、それでもカカシやわしや里の者たちはお前のおかげで救われてきた。そしてお前を大切な仲間だと思っておる、例えお前が忍ではなくても」
「…そうですか」

どうして、三代目もそんな優しい視線を私に投げてくるのだろう。あの日捨てたはずのそれが私の表情に瞳に声色に浮かぶ前にしたを向き、息を吸った。暗記している巻物を読むふりをして、壁に掛かった時計の秒針に聞き入る。一秒、また一秒と刻まれるのに合わせて静かに息を吐いた。

「さて、そろそろ行くかの」
「立ち寄っていただいて、ありがとうございます」

立ち上がった里の長に頭を下げれば、おぬしも行くんだぞ、巻物の解読終わっておるのだろう、と言われてしまう。お見通しだというように瞳を輝かやかせた三代目。誤魔化しが通用しないのは明らかで、私は机に広げた資料をまとめ、届ける巻物を手に三代目に従うしかない。私はどこに連れていかれるのだろうか。

「お前が思うほど、この里は悪くないというのを見せてやりたくてな」

分析班に巻物を渡したあと、三代目の後ろを歩けばたどり着く火影塔の屋上。そこには、顔岩に背を向けて立つ男と、その人の周りに座っている小さな背中。そのうちのひとつから先生と声が上がった。それでアカデミー生と教師だと分かる。彼らが突然現れた三代目に驚きざわめき立つ。教師に招かれるまま生徒の前に立った三代目。振り返っていた生徒たちは三代目の動きを目で追って、またこちらに背中を向けた。十にもならないだろう子供たちは好き好きに発言して、教師がそれを注意する。

「人生はただ一度じゃ。無理な道を選ぶこともない。好きに生き、好きに死んでも構わん」

だったら、私はどうなのだろうか。あのころ他に選択肢はなかったじゃないか。ただ道具のように忍として生き、結局私は死ぬこともできないでいる。

「ただ大切な人を守ることだけはどんな道を生きるとも忘れてはならん。―――心から認めて信じて愛している者のことじゃ」

まだ十代のころ、事あるごとに三代目が私に言って聞かせた台詞。私にそんな存在いないことを分かっていながら私を忍としての道を歩ませた三代目。まったくおかしな話だ。生徒の一人が手を上げ質問した。煙管を口から離した三代目は、今まで見たなかで一番の笑みを浮かべて言った。

「―――この里、全ての者たちじゃ」

目を細めて笑う三代目。生徒たちは静まり返っていた。ゆっくりと目を開き生徒たちを見て、それから後ろに立つ私にも笑いかけてくる。時代が変わったと言いたいのだろう。平穏を取り戻したからこそ、ただ任務をこなし、敵を倒すだけでは忍として不足だと言いたいのだろう。でも、いまさらそんなことを言われても、チャクラの練れない私はもはや忍ではない。その場にいることができず、踵を返した。階段を一段ずつ下りていく。それといっしょに胸にこみ上げるものが消えるのを期待した。けれど、それはほとんど不可能だった。私はもう内側に満ちる感情を否定することができなかった。